第4節 社会的条件と犯罪の発生 前節までにおいて,社会の進展に応じ,犯罪の発生状況に多様の変化の見られることが示された。社会的変動と犯罪動向の双方の経緯を検討すると,両者の間には何らかの法則的な関連性があるように思われる。この関連性については,昭和49年版の白書において,法務総合研究所が行った研究「社会変動指標による地域別犯罪率の推定」から得られた所見に基づいて若干の解説を試みた。すなわち,窃盗,詐欺,殺人,傷害,強姦及び業務上(重)過失致死傷の各犯罪について,その発生状況に地域性の見られることを指摘し,更に,各犯罪と社会的条件との関連を追求するに当たって,各種統計資料等の具体的社会指標の代わりに,これらの各資料の背後に作用していると考えられる基本的な要因を抽出し,それらと各犯罪の発生との関連について考察した。社会指標を示す基本的な要因として抽出されたのは,次の8個であった。 [1] 総教育費,建設事業費,簡易保険契約額,一人当たり畳数,病床率,自動車保有車両数,その他から抽出される「経済的豊かさ」にかかわりのある要因 [2] 第三次産業就業人口比,バス輸送人員率,平均結婚年齢(男),外国人率,新聞頒布部数,医師率,その他から抽出される「産業・人口構造上の都市的な性格」にかかわりのある要因 [3] 県民個人所得,婚姻率,工業製造品出荷額,新設着工住宅戸数,青年人口比,その他から抽出される「生産力]にかかわりのある要因 [4] 人口密度,宅地率,道路延長率,商店年間総販売額,警察消防費率,警察官率,その他から抽出される「人口の稠密さ及び警察活動」にかかわりのある要因 [5] 完全失業者率,第三次産業就業人口比,労働力人口比(男,女とも),生活保護率,離婚率,その他から抽出される「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」にかかわりのある要因 [6] 新聞頒布部数,医師率,道路延長率,宗教団体率,警察官率,その他から抽出される「都市的文化」にかかわりのある要因 [7] 興行場入場者率,自殺率,離婚率,その他から抽出される「社会的病理現象」にかかわりのある要因 [8] 一人当たり畳数,持ち家率,第一種兼業農家率,図書館利用者率,その他から抽出される「安定した文化的生活」にかかわりのある要因 これらの基本要因と各種犯罪との関連について既に指摘したところは,窃盗の発生に対しては,「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」や「社会的病理現象」にかかわりのある要因が促進的に働き,「経済的豊かさ」にかかわりのある要因が抑制的に働いていること,殺人の発生に対しては,「社会的病理現象」や「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」にかかわりのある要因が促進的に働き,「経済的豊かさ」や「安定した文化的生活」にかかわりのある要因が抑制的に働いていること,傷害の発生に対しては,「経済的豊かさ」や「生産力」にかかわりのある要因が抑制的に働いていること,強姦の発生に対しては,「人口の稠密さ及び警察活動」や「経済的豊かさ」にかかわりのある要因が促進的に働き,「都市的文化」や「安定した文化的生活」や「生産力」などにかかわりのある要因が抑制的に働いていることなどであった。 ところで,各種犯罪と各基本要因との間のこのような関連は,いずれの時代においてもほぼ同様なのであろうか,あるいは時代によって異なるのであろうか。以下,昭和25年,30年,35年,40年及び45年の5年次をとって,罪名別に検討する。 (1) 窃盗 窃盗の発生に対しては,昭和25年,30年ころにわたる戦後復興期の経済成長の初期にあっては,「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」や「産業・人口構造上の都市的な性格」にかかわりのある要因など,いわば直接的に経済的な要因が促進的に働いていたが,その後,経済・社会・文化の発展とともに次第にその働きを減じ,代わって,「社会的病理現象」や「人口の稠密さ及び警察活動」にかかわりのある要因など,いわばより社会的,文化的要因が「生産力」にかかわりのある要因とともに促進的に働くようになっている。 (2) 詐欺 詐欺の発生に対しては,戦後復興の初期にあっては,「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」,「産業・人口構造上の都市的な性格」,「人口の稠密さ及び警察活動」などにかかわりのある要因が促進的に,「経済的豊かさ」にかかわりのある要因が抑制的に働いていたが,昭和35年ころを転機として,その後,その働きの仕方を変え,45年には,逆に,「経済的豊かさ」,「都市的文化」及び「社会的病理現象」などにかかわりのある要因が促進的に動くようになっている。 (3) 殺人 殺人の発生に対しては,「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」にかかわりのある要因は促進的に,「安定した文化的生活」にかかわりのある要因は抑制的に,それぞれ,各調査年次を通じて一貫して働いている。「経済的豊かさ」,「都市的文化」及び「社会的病理現象」などにかかわりのある要因は,おおむね調査年次とともに促進的に働くようになり,「産業・人口構造上の都市的な性格」にかかわりのある要因は,逆に,調査年次とともに抑制的に働くようになっている。 (4) 傷害 傷害の発生に対しては,「人口の稠密さ及び警察活動」や「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」にかかわりのある要因が促進的に,「安定した文化的生活」にかかわりのある要因が抑制的に,それぞれ,各調査年次を通じて一貫して働いている。「生産力」にかかわりのある要因は,昭和30年ころから促進から抑制にその働き方を変え,「社会的病理現象」にかかわりのある要因は,35年に抑制から促進にその働き方を変えている。 (5) 強姦 強姦の発生に対しては,「生産力」にかかわりのある要因は促進から抑制に,「経済的豊かさ」にかかわりのある要因は抑制から促進に,それぞれ,昭和35年を境にその働き方を変えており,強姦発生に関する社会的背景が大きく変化していることがうかがえる。 (6) 業務上(重)過失致死傷 業務上(重)過失致死傷の発生に対しては,「産業・人口構造上の都市的な性格」や「都市的文化」にかかわりのある要因が各調査年次を通じてほぼ一貫して促進的に働き,「経済的豊かさ」にかかわりのある要因はほぼ一貫して抑制的に働いている。 (7) 少年刑法犯 以上は罪名別に各基本要因との関連を見たものであるが,次に,少年刑法犯全体について各基本要因との関連を見ると,次のとおりである。 「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」や「産業・人口構造上の都市的な性格」にかかわりのある要因は,初め促進的に働き,後に余り意味を持たなくなっている。「経済的豊かさ」にかかわりのある要因は昭和35年まで抑制的に働いていたが,その後その働きを減じ,45年にはむしろ促進的に働いている。「社会的病理現象」にかかわりのある要因は,30年以降,促進的な働きを増している。すなわち,少年刑法犯の発生に対しては,25年,30年ころは経済的要因が意味を持ち,40年以降はむしろ文化的背景,社会病理的要因が重要な意味を持つようになったと見られる。 (8) 女性刑法犯 女性刑法犯全体と各基本要因との関連は,次のとおりである。 「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」,「産業・人口構造上の都市的な性格」及び「人口の稠密さ及び警察活動」などにかかわりのある要因は,初め促進的に働いていたが,次第にその働きを減じ,逆に,「経済的豊かさ」にかかわりのある要因は昭和35年まで抑制的に働いていたが,その後余り意味を示さなくなった。すなわち,全体的傾向として,25年,30年ころは促進要因と抑制要因が分かれて働いていたが,40年以降はどの要因も余り大きな意味を示さなくなった。 以上,各種犯罪と社会的状況を示す各基本要因との関連の年次的動向について述べた。注目すべきものをまとめると,最も経済的な側面を現す要因と考えられる「経済的豊かさ」にかかわりのある要因が,詐欺,強姦,殺人及び少年刑法犯の発生に対し,昭和35年を境とし,それ以前には抑制的要因であったものが,それ以後は促進的要因に転じていること,「労働事情やそれに関連する生活の不安定さ」にかかわりのある要因が,窃盗,詐欺及び女性刑法犯の発生に対し,やはり35年を転機に,それ以前の促進的機能を減じていること,「社会的病理現象」にかかわりのある要因が,窃盗,殺人及び少年刑法犯の発生に対して,おおむね35年以降いっそう促進的に働いていることなどである。これは,社会的条件と犯罪発生との関連が犯罪の種類により,かつ,年代によって異なることを示すものであるが,特に,我が国の犯罪動向の推移には,35年をもって代表される時期において,社会的背景の変化とそれによって誘発される各犯罪の量的,質的変化が生じたことを示唆するものといえよう。
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