第5節 精神障害者の犯罪 精神障害者による犯罪は,さ細な動機とか,予測されない特殊な動機によって行われることが多い。したがって,殺人,放火,暴行・傷害などの凶悪ないし粗暴な犯罪にあっても,精神障害者によって犯される場合には,その被害者として家族,知人など身近かにいる者のほか,無関係な行きずりの者が選ばれることが多いので,一般市民に不安を与えている。また,これらの者に対する処遇の現状について,さまざまな問題が指摘されている。 精神障害者が重大な犯罪を犯しても,その精神障害のため責任能力がないか又は著しく低いと認められたときには,刑事責任を追及することができず,又は起訴を適当としないことになるため,精神衛生法の適用を受けて,国公立又は指定精神病院への入院の措置又は保健所の医師の訪問指導を受けることになっている。 精神障害者に対する医療は,近年向精神薬の開発に伴って,多大の変化がもたらされた。とはいえ,向精神薬の効果は一般に定着せず,人格への好ましくない影響を示すものもあるので,最近では,作業療法,心理療法,生活指導などの治療方法の必要も叫ばれている。もっとも,そのために必要な医師,看護婦,作業療法家,臨床心理家,ケース・ワーカーその他の専門家は,種々の理由から十分確保されておらず,これらの治療は,一部の病院,医療刑務所,少年院等における実施にとどまっている。 不起訴又は無罪となった精神障害者については,精神衛生法に基づいて検察官から都道府県知事に通報されるが,この通報がなされても,入院の措置をとるかどうかは都道府県知事の裁量にゆだねられている。措置入院制度は,裁判所の行う司法処分としての保安処分ではなく,都道府県知事が行う行政処分である。 この措置入院制度は.保安処分制度の採用問題に関連して,最近,種々論議の対象とされるに至っている。措置入院者を収容している病院の管理者は,入院を継続しなくても自傷他害のおそれがなくなったと認める者については,直ちにその旨を都道府県知事に届け出なければならないこととされている。都道府県知事はこの届出に基づいて入院措置を解除するかどうかを決める。一部の措置入院者について在院期間の長期化が問題とされているが,この届け出制度の適正な運用が望まれる。その反面,社会復帰の対策が十分なされないまま退院し,適切な医療や指導を受けないで社会生活を送っている精神障害者も少なくはない。実際に犯罪を犯した精神障害者をみると,その約70%の者が,既に入院歴あるいは前科・前歴を有しているという実情が示されている。また,前科・前歴のある者の場合,殺人,放火・暴行,傷害などの凶悪,粗暴な犯罪を含めて,同じ罪名の犯罪を繰り返す者が半数近くに達しており,社会生活を送っている精神障害者についても,適切な対策がなされていないことが示されている。 そこで,刑事政策的立場からは,犯罪を犯した後更に犯罪を繰り返すおそれのある精神障害者(及びそれと関係の深いアルコールその他の薬物中毒ないし嗜癖者)を対象とする保安処分の必要性が主張されてきたのであるが,法務大臣の諮問機関である法制審議会は,その第76回総会(昭和49年5月29日開催)において,刑法に全面改正を加える必要のあること,その改正要綱は保安処分の新設を盛り込んでいる改正刑法草案による旨を答申している。 この改正刑法草案による保安処分には,治療処分と禁絶処分の2種類があり,裁判所によって言い渡される。すなわち,治療処分は,精神の障害により,責任能力のない者又はその能力の著しく低い者が禁錮以上の刑に当たる行為をした場合において,治療及び看護を加えなければ将来再び上記の行為をするおそれがあり,保安上必要があると認めるときに付することのできる処分であり,収容の期間は原則として3年である。また,禁絶処分は,過度に飲酒し又は麻薬,覚せい剤その他の薬物を使用する習癖のある者が,その習癖のため禁錮以上の刑に当たる行為をした場合において,その習癖を除かなければ将来再び上記の行為をするおそれがあり,保安上必要があると認められるときに付することのできる処分であり,収容の期間は原則として1年である。 以上に述べたような一般情勢を背景として,以下,昭和48年を中心とした我が国における精神障害者に対する措置状況及び処遇の実情について述べることにする。
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