前の項目 次の項目 目次 図表目次 年版選択 | |
|
一部の学生を中心とする過激な集団暴力事件は,昭和四二年一〇月のいわゆる第一次羽田事件以来,学園の内外を問わず,全国各地にひん発した。この種事件により検挙された者の数は,四三年から四四年にかけて飛躍的に増加し,四三年は約六,六〇〇人,四四年はその二倍以上に当たる約一四,七〇〇人に達し,両年とも,その八割以上が学生によって占められていた。四四年に発生し,とくに多人数の検挙をみた事件としては,東大事件,沖縄デー事件,国際反戦デー事件,首相訪米阻止事件等がある。しかし,四五年には,学園の正常化に伴い,この種事件の発生件数も減少するに至ったが,反面,日航機乗取り事件,いわゆる内ゲバによる殺人事件,交番や銀行に対する襲撃事件等,これまでの集団暴力事件とは様相を異にする越軌行動が,一部の過激学生らによって敢行され,その犯罪動向には,ますます悪質化するものが認められた。
昭和四六年に入ると,過激学生らの動きは,再び活発化し,成田空港用地代執行阻止闘争事件,沖縄返還協定批准阻止闘争事件等この種事件に加担して検挙された者の数は,約八,五〇〇人におよび,四四年に次ぐ多数に上った。とりわけ,その犯行方法は,大量の火炎びんを主たる凶器とし,爆弾をも使用して,警察官多数を殺傷し,民間施設を含む無差別放火など,凶悪なゲリラ的破壊活動となって現われた。 ところで,このような闘争行為のおもな凶器となった火炎びんは,もともと正常な使途の全くない危険なものであるが,従来は,火炎びんの使用,製造,所持等を直接処罰の対象とする法令がなく,刑法等の罰則による間接的規制には種々の難点があり,火炎びんに関する不法事犯を的確に処罰することが困難であった。そこで,火炎びんの使用等を直接処罰の対象とすることが提案され,第六六通常国会において,「火炎びんの使用等の処罰に関する法律」が成立し,同法律は,昭和四七年五月一四日施行された。 一方,過激学生集団から派生した超過激グループは,もっぱら爆弾を使用する凶悪なテロ行動に走り,警視庁幹部宅,交番等において爆弾事件を惹起し,社会に大きな不安を生じた。 さらに,昭和四七年二月に発生した,連合赤軍と称する超過激集団によるあさま山荘事件および同事件の犯人検挙によって発覚したせいさんな大量リンチ殺人事件や,また,四七年五月末イスラエル国の首都テルアビブ,ロッド空港において,突如発生した日本人学生による残虐非道な無差別銃撃事件は,国民全体に異常な衝撃を与えた。これらの事件にみられるような,少数超過激グループによる犯行の凶悪なテロ化ないしゲリラ化の傾向には,とくに厳重な警戒を要するところである。 昭和四三年以降発生した学生を中心とする集団暴力事件被疑者の全国検察庁における受理および処理の状況は,I-70表に示すとおりであるが,四六年に発生した事件の受理人員は七,七〇四人で,前年より三,〇五八人の増加となっている。このうち,勾留請求されたのは,七三・七%に当たる五,六八〇人,勾留状の発布をみた者は,四,八七三人で,勾留認容率は八五・八%となっており,四五年の勾留請求率六五・二%,勾留認容率六六・九%を,いずれも上回っていて,とくに四六年の勾留認容率は,過去四年間の最高となっている。次に処理状況をみると,昭和四六年にあっては,被疑者七,七〇四人の中で,起訴された者が一,四五六人,不起訴が四,二〇六人,家裁送致が一,七〇六人で,起訴人員と不起訴人員の合計に対する起訴人員の比率は二五・七%で,前年よりわずかながら多い。 I-70表 学生集団暴力事件受理処理状況(昭和43〜46年) 次に,昭和四三年から四六年までの間に発生したこの種事件により起訴された被告人六,七〇九人に対し,第一審裁判の有無,裁判の結果を,四七年六月三〇日現在で調査すと,I-71表のとおりである。これによると,第一審裁判のあった者は,総数の五一・八%に当たる三,四七八人で,その九六・九%に当たる三,三七〇人が有罪,六七人が無罪,二人が刑の免除,三九人が公訴棄却となっている。有罪となったこの三,三七〇人について,その内容をみたのが,I-72表および73表である。刑の種類では,懲役が最も多く三,〇一五人と有罪総数の八九・五%を占め,以下,罰金の三二七人(九・七%),科料二〇人,拘留五人,禁錮三人の順となっている。懲役に処せられた者のうち,実刑となった者は,三五一人(一一・六%),執行猶予の付せられた者は二,六六四人(八八・四%)である。次に,懲役の刑期についてみると,実刑となった三五一人のうち,最も多いのが一年をこえ二年以下の一八〇人で,実刑となった者の五一・三%を占め,次いで六月をこえ一年以下の七〇人,二年をこえ三年以下の四〇人,六月以下の三二人,三年をこえる二九人となっている。刑の執行を猶予された者にあっては,二,六六四人のうち,四二・九%に当たる一,一四三人が六月をこえ一年以下の刑に処せられ,三一・四%に当たる八三七人が一年をこえ二年以下の刑に処せられ,二一・三%に当たる五六七人が六月以下となっている。執行猶予が付せられた禁錮刑の三人は,いずれも六月以下の刑に処せられたものである。また,罰金額では,三二七人のうち,一万円をこえ三万円以下が一五七人,一万円以下が一五四人と,この両者で罰金刑の九五・一%を占めている。I-71表 集団事件第一審裁判結果(昭和47年6月30日現在) I-72表 集団事件の科刑状況(昭和47年6月30日現在) I-73表 集団事件の科刑の内容(昭和47年6月30日現在) 学生らによる集団暴力事件で検挙された少年に対する家庭裁判所の処理状況については,少年の公安事件に対する家庭裁判所の処理状況をみたI-74表が参考となろう。同表は,昭和四六年における全国の家庭裁判所の,処理状況をみたものであるが,処理総数一,三九四人のうち,刑事処分相当として検察官に送致された者は,総数の四・八%に当たる六七人(このほか,二〇歳以上であることが判明したため,少年法一九条二項によって検察官送致された者六六人),少年院に送致された者四人,保護観察に付された者は,四・一%に当たる五七人,不処分は,四九・六%に当たる六九一人,審判不開始は,三六・五%に当たる五〇九人となっている。I-74表 少年の公安事件に対する家庭裁判所の処理状況(昭和46年) |