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 昭和47年版 犯罪白書 第一編/第二章/八/1 

八 公害犯罪

1 公害の現況と規制

 ひとくちに「公害」といっても,その概念は必ずしも明確でなく,広狭いろいろの意味に用いられているが,現行法の上では,公害対策基本法が,同法にいう「公害」を,「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染,水質の汚濁(水質以外の水の状態又は水底の底質が悪化することを含む。),土壌の汚染,騒音,振動,地盤の沈下(鉱物の堀採のための土地の堀さくによるものを除く。)および悪臭によって,人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう」と定義しているのが,一応の基準となるものと考えられる。
 近年,わが国の経済は,飛躍的な発展を続けてきたが,これに伴う大規模な産業設備の集中,人口の過密化,産業用燃料の消費量の飛躍的増大,自動車交通量の急増等によって,比較的限定された地域に,きわめて大量の各種汚染物質が排出され,しかも,これらが集合,あるいは複合される結果,自然の自浄作用の限界をこえる環環汚染地域の出現をみるに至り,さらにこうした汚染地域は,年々拡大していく傾向にある。また,騒音,振動,悪臭等の問題も,広く国民一般の生活環境を破壊する要因として登場するに至っている。けだし,わが国の公害は多種多様であり,その防止は容易ではないが,ここでは公害の類型別に最近の動向を概観するとともに,公害犯罪の処罰法および公害関係の行政罰則の概略をみることとする。
大気汚染 大気汚染物質としては,火力発電所,各種産業の炉,自動車,暖房,ごみ焼却場等から排出される,いおう酸化物,一酸化炭素,窒素酸化物,浮遊粉じん,硫酸ミスト等があるが,昭和四四年以降,毎年夏期を中心として発生し,しかもその発生源,発生経過が明らかでない光化学スモッグの問題も注目される。高度かつ複雑な汚染が広域的に生じている地域としては,京浜,阪神の両地方があげられているが,その他,いおう酸化物による汚染では,富士,名古屋南部の各地域が著しく,高濃度浮遊粉じんが測定された都市として,木更津,安中,泉大津,布施,宇部,徳山,北九州の各市があげられている。大気汚染による影響は,主として人体に対するもので,眼,鼻等の皮膚,粘膜に対する刺激症状,気管,肺等の呼吸器系の炎症等があげられ,疾患としては,慢性気管支炎,気管支ぜん息,ぜん息性気管支炎,肺気しゅおよびこれらの続発症があげられる。
 大気汚染関係の行政罰則としては,大気汚染防止の総合法ともいうべき大気汚染防止法がある。同法は,ばい煙の排出,粉じんの規制のほか,自動車排出ガスの許容限度についても規定し,排出基準に適合しないばい煙の排出に対しては,ただちに罰則が適用されるいわゆる直罰主義を採用している。また,自動車の排気ガス等については,道路運送車両法が,ばい煙,悪臭のあるガス,有毒なガス等の発散防止装置が保安上の技術基準に適合しなければ自動車を運行の用に供してはならないとするほか,道路交通法が,基準に適合した装置を備えない整備不良車両等の運転を禁止し,なお,鉱山ガス等の排出については,鉱山保安法によって規制がなされている。
水質汚濁 水質汚濁の原因としては,各種工場排水,鉱山排水,都市下水,船舶からの油性排水,へい獣処理施設,と畜場,し尿処理施設等からの排水があげられる。最近の水質汚濁の特徴は大都市の河川およびその上水道源である河川の汚染がきわめてはなはだしいこと,水質汚濁が全国的規模で広がりつつあること,臨海工業地帯の発達と船舶による油等の廃棄,海へ注ぐ河川の汚濁等の原因により海域の汚染が著しくなってきていることである。新しい問題としては,湖沼の水質汚濁に伴う富栄養化現象(窒素,リン等が流入することにより,水中の植物が異常に繁茂し,水質が累進的に悪化する現象),ポリ塩化ビフェニール等化学製品による汚染,瀬戸内海沿岸の赤潮発生水域の広域化等の問題がある。
 水質汚濁による健康被害としては,水銀,カドミウム等の重金属による水俣病,イタイイタイ病がある。農林水産業に与える被害としては,直接農作物に対する被害のほか,間接的な土壌に対する被害,農業用施設に対する被害,シアン等毒物による魚類の大量のへい死,産卵場の喪失,魚類の生育阻害,養殖物への油の付着等による商品価値低下,生育阻害等がある。
 水質汚濁関係では,水質汚濁防止法が制定されている。この法律は,全公共用水域を規制対象とし,工場,事業場からの水の排出に関する排水基準違反に対し,直罰主義を採用している。河川,海域または一定の水域における油,廃油,廃物,廃棄物等の排出を規制あるいは禁止するものとしては,河川法施行令,海洋汚染防止法,港則法,毒物及び劇物取締法,廃棄物の処理及び清掃に関する法律等がある。
騒音・振動 騒音や振動の発生源としては,工場,建設,交通などによるものがあげられる。その影響としては,不快感,会話妨害,能率低下,睡眠障害等があり,公害に関する苦情・陳情の大きな部分を占めている。
 騒音については,騒音規制法が市街地等指定地域内における工場および事業場の騒音を規制し,航空機騒音については,航空法および公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律による規制があり,自動車等の騒音については,道路運送車両法および道路交通法による規制,禁止がある。
悪臭 悪臭の発生源としては,パルプ,石油精製工場,魚腸骨処理場,と畜場,ごみ集積所およびし尿処理場等がある。
 悪臭については,昭和四七年五月三一日施行された悪臭防止法が,工場その他の事業場における事業活動に伴って発生する悪臭物質の排出を規制しているほか,へい獣処理場等に関する法律がへい獣の解体等について規制し,廃棄物の処理及び清掃に関する法律が廃棄物および廃棄物処理施設を規制している。
 なお,地盤沈下については,建築物用地下水の採取の規制に関する法律および工業用水法が指定地域における地下水の採取を規制し,土壌汚染については,農薬取締法が土壌残留性農薬につき基準違反使用を禁止している。
 また,前記法令のほかに,多数の地方公共団体において,罰則の定めのある各種の公害防止条例が制定されている。
 ところで,以上のような公害関係行政法令の罰則が,主として行政措置を実効あらしめるための規定であるのに対し,昭和四六年七月一日から施行された「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律」は,刑事法として,公害を発生させる行為を直接処罰の対象とするものである。同法によって処罰の対象とされている行為の基本類型は,故意または業務上の過失により,事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出することにより,公衆の生命または身体に危険を生じさせた行為であり,処罰主体は,行為者のほか,法人等の事業主体も含まれる。さらに,公害現象の特殊性にかんがみ,厳格な条件のもとに,排出物質と現に発生している危険な状態との関係につき,推定規定が設けられている。