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3 暴力犯罪 粗暴犯と凶悪犯とを暴力犯罪として,本項にまとめて説明する。なお,恐喝と強盗とは財産犯としての一面を持っているが,暴力犯罪としての性格が強いと考えられるので,本項において取り扱うこととしたい。
昭和三五年および昭和四一年から四五年までの五年間の粗暴犯の発生件数の推移は,I-13表のとおりである。暴行および脅迫は,逐年減少の傾向を示しており,傷害・同致死も,昭和四三年以降減少の傾向にある。これに対し,恐喝は,昭和四四年まで逐年減少していたが,四五年には,前年より若干増加している。兇器準備集合は,一部学生を中心とする集団暴力犯罪が多発したこともあって,昭和四四年において,前年の二倍以上という増加を示したが,四五年には,若干の減少をみている。 I-13表 粗暴犯罪発生件数(昭和35,41〜45年) 検挙人員の推移は,I-14表のとおりであり,発生件数の増加とともに恐喝が昭和四五年に,兇器準備集合が同四三,四四年に増加したほか,いずれも前年より減少している。I-14表 粗暴犯罪検挙人員(昭和35,41〜45年) このように,粗暴犯の各犯罪類型によっては,年次により若干の増減がみられるが,その合計数においては,発生件数,検挙人員ともに逐年減少をみている。次に凶悪犯についてみると,発生件数の推移はI-15表に示すとおりであり,昭和四三年にわずかながら増加をみせた殺人は,昭和四四年以降減少しはじめ,強盗は,若干の起伏はありながらおおむね減少の傾向を示し,強盗致死傷,強盗強姦も逐年減少している。 I-15表 凶悪犯罪発生件数(昭和35,41〜45年) 検挙人員の推移をみると,I-16表のとおりで,殺人が昭和四三,四四年にわずかに増加したほかは,いずれも前年より減少している。I-16表 凶悪犯罪検挙人員(昭和35,41〜45年) 凶悪犯すべての発生件数と検挙人員は,発生件数において昭和四三年,検挙人員において昭和四四年が,それぞれ前年よりわずかに増加したほかは,いずれも前年より減少をみている。なお,公務執行妨害の罪は,国家の作用を保護法益とする点において,ここに取り上げた各種の暴力犯罪と異なるが,暴行または脅迫を手段として実行される点においては,粗暴犯と共通する点が多いので,便宜上,本項において取り上げることとする。I-17表は,発生件数と検挙人員を示したものである。一部の学生を中心とする過激な集団の暴力行為の増加に伴い,発生件数,検挙人員ともに四四年まで増加の傾向にあり,とくに四三,四四年に検挙人員の激増をみたが,四五年には,この種集団の勢力の減退により,発生件数,検挙人員ともに前年より相当数の減少をみるに至った。 I-17表 公務執行妨害罪発生件数および検挙人員(昭和35,41〜45年) 暴力犯罪に関連して,ここでいわゆる暴力団関係者による犯罪について触れることとする。暴力団の概念を正確に定義することは困難であるが,常識的にいえば,一応,「集団的に,また常習的に暴力的不法行為を行ない,または行なうおそれのある組織・集団」といえるであろう。このような集団としては,博徒,暴力テキ屋,青少年不良団(いわゆるぐれん隊)が代表的なものとしてあげられよう。このほかにも,売春暴力団,港湾暴力団,会社ゴロ,暴力手配師などと呼ばれる各種の集団がある。これら集団は,その実態が千差万別であるのみならず,秘密性,流動性がつよいので的確には握することは困難とされている。このことは,統計諸資料の検討にあたっても十分考慮に入れなければならない。以下,取締り当局の資料に基づいて,現況を展望することとしよう。昭和四五年一二月現在,警察庁においては握している暴力団の数および構成員(準構成員を含む。以下同じ。)の数は,三,四八一団体,一三八,五〇六人であり,これを最近の五年間および一〇年前と対比してみると,I-18表のとおりであって,構成員数において,昭和四三年から四四年にかけ約八〇〇人の増加をみたほかは,団体数および構成員のいずれにおいても,わずかに減少の傾向がみられる。これは,昭和三九年から四一年ごろにかけて,警察によるいわゆる頂上作戦が展開されたため,相当数の首領,幹部級が検挙され,暴力団組織がかなりの打撃を受けたことによるものと思われる。しかしながら,これら首領,幹部級の相当数が刑務所より出所するとともに,暴力団の間に,資金源獲得,組織再編成の動きが活発となり,幹部の出所祝,襲名ひろう,葬儀等が各地ではでに行なわれて世の注目をひいたほか,暴力団相互の対立抗争事件も増加し,昭和四五年は昨年の七〇件を大幅に上回り,いわゆる頂上作戦期間をも含めた過去一〇年間において最高の一二九件に達したといわれていることは,とくに警戒を要するところである。 I-18表 暴力団体数および構成員数(昭和35,41〜45年) 昭和四五年における暴力団関係検挙人員についてみると,総数は四二,八一五人で,前年より四,六三五人増加しており,しかもこのうち,首領,幹部級が六,三七五人,一五%を占め,前年の五,二七〇人,一四%を上回っていることは,警察の取締りの強化を反映しているものと考えられる。この検挙人員を主要罪名別にみると,I-19表[1]のとおりである。最も多いのは傷害で,一〇,〇八六人,二三・六%を占め,次いで暴行五,七八二人,一三・五%,賭博五,六〇八人,一三・一%,恐喝五,四〇九人,一二・六%の順となっており,前年に比べ,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,売春防止法違反を除いて,いずれも増加しており,とくに,資金獲得に関連をもつとみられる賭博,覚せい剤取締法違反が,それぞれ実数で一,〇六八人(二三・五%),五三四人(一五五・七%)増加していることは暴力団の組織再編成が活発となっていることとともに注目に値する。また,主要犯罪の検挙人員のうち,暴力団関係者の占める割合をみると,I-19表[2]のとおりで,最も高いのは,脅迫の四〇・三%で,賭博の三九・三%,恐喝の三六・一%,兇器準備集合の二七・三%がこれに続いており,また,前年の数字と比較すると,殺人を除く罪について,いずれも,暴力団関係者の占める割合が増加していることも注目に値する。I-19表 凶器の押収状況は,I-20表のとおりである。昭和四五年にあっては,総数において過去五年間の最高を占めているうえ,前年に比較して,けん銃,けん銃以外の銃砲類,日本刀,あいくちなどが増加しているが,これは,最近の取締りが反覆強化されていることを物語るものであろう。I-20表 暴力団関係者押収凶器数(昭和41〜45年) 最後に,準刑法犯のみを取り出して,昭和三五年および昭和四一年以降の検察庁における新規受理人員の推移をみると,I-21表のとおりである。暴力行為等処罰に関する法律違反は,昭和四一年をピークとして,減少の傾向にあったが,昭和四四年以降わずかに増加している。爆発物取締罰則違反と決闘罪に関する件違反については,いずれもその数がきわめて少ないため,傾向をとらえることが困難であるが,昭和四五年には,前年より減少している。I-21表 準刑法犯の検察庁における新規受理人員(昭和35,41〜45年) |