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 昭和44年版 犯罪白書 第一編/第一章 

第一編 犯罪の概観

第一章 わが国の犯罪状況の推移

 犯罪には,殺人や窃盗というような刑法犯のほか,道路交通法違反(以下,「道交違反」ともいう。)を含めた各種の特別法犯があるが,これら特別法犯の多くは,行政上の取締り目的のために定められた法規に違反する,いわゆる法定犯で,それぞれ,互いに異なった性質を有し,とくに一般刑法犯とは異質なものを多く持っている。したがって,犯罪の一般的な傾向をみる場合には,刑法犯,道交違反および道交違反以外の特別法犯の三者に分けてみる方が便利であり,とくに,刑法犯の動向に重点をおくのが普通である。ところで,決闘罪に関する件違反,爆発物取締罰則違反および暴力行為等処罰に関する法律違反の三法令違反は,犯罪類型的にみると,特別法犯よりは,むしろ刑法犯に組み入れて考察した方が適当であると思われるので,この白書においては,昨年版の犯罪白書と同様,右三法令違反(以下,「準刑法犯」という。)を,統計資料の許す限り,刑法犯に含めて考察することにした。なお,盗犯等の防止及び処分に関する法律に規定する常習強窃盗等については,当初から,刑法犯として扱われている。
 まず,最初に,統計によって,戦後の刑法犯の発生件数,検挙件数および検挙人員の推移をみると,I-1表およびI-1図のとおりである。

I-1表 刑法犯発生・検挙状況累年比較(昭和21〜43年)

I-1図 戦後の刑法犯の発生・検挙状況(昭和21〜43年)

 そこで,まず,明らかにしておかなければならないことは,ここでいう発生件数とは,被害者の届出などによって,警察がその発生を知りえた犯罪の事件数,すなわち警察官の認知件数をいうということである。ところで,犯罪が発生しても,被害者がそのすべてを届け出るとは限らず,また,贈収賄,賭博等のように,特定の被害者のない犯罪もあるから,実際に発生した犯罪のすべてが,警察に認知されるわけではない。すなわち,実際に発生した,あらゆる犯罪の発生件数を確知することは不可能で,罪種により差異はあるものの,多少の暗数が存在することはいうまでもない。しかし,この暗数は,毎年著しく変動するものとは考えられないし,また,その実態をは握することはできないから,犯罪の一般的傾向をみる場合には,さしあたり,警察官の知りえた範囲にとどめざるをえない。ただ,右にのべたとおり,贈収賄,賭博等については,相当数の暗数がありうること,窃盗,詐欺等の財産犯についても,被害者が届出をしないための暗数があること,また,凶悪犯等については,ほとんど暗数がないと考えられることに留意する必要があろう。
 さて,刑法犯の発生件数は,昭和二三年と二四年に一六〇万件をこえたが,その後昭和二八年まで,逐年減少し,以後は,昭和三一年と三七年とを例外として,累年漸増の傾向を示し,昭和三九年には,一六一万件に迫った。しかし,昭和四〇年および四一年には,わずかずつではあるが,減少したものの,昭和四二年からは再び増加し始め,昭和四三年は,前年より一三九,〇〇八件増加して,一,七四二,四七九件に達し,戦後最高の数字を示すに至った。
 次に,検挙件数であるが,昭和二五年以後の傾向は,おおむね,発生件数のそれに対応しており,昭和四三年は,前年より一二八,二七八件増加して,一,二〇五,三七一件となっている。ただ,終戦直後から昭和二四年までは,発生件数の増加している割合には,検挙件数が増加していないのは,戦後の混乱による犯罪の激増に,警察活動が追随できなかったためと考えられ,このことは,昭和二二年と二三年の検挙率が最も低く,五〇%と五一%を示していることによっても裏付けられる。
 検挙人員は,昭和二一年には約四三万人であったが,その後漸増し,昭和二五年には五九万人に迫った。しかし,その後は起伏はありながらも減少の傾向を示し,昭和二九年には,五一万余人となった。昭和三〇年以降は,三一年と三七年に一時わずかに減少したほか,逐年増加を続け,昭和四三年には,前年より一二〇,九一三人増加して九二三,四九一人となり,これまた,戦後最高の数字を示している。このように,昭和四三年の刑法犯は,発生件数,検挙件数および検挙人員数のいずれもが,戦後最高であるが,その主たる原因は,後に述べる過失犯罪の激増によるものにほかならない。
 そこで試みに,過失犯罪の大部分を占めている業務上(重)過失致死傷を除いて,戦後の刑法犯の発生件数,検挙件数および検挙人員の推移をみると,I-2表およびI-2図のとおりである。まず,発生件数は,業務上(重)過失致死傷を含めると,前述のとおり,最近一〇年間において上昇しているが,これを除くと,横ばいの傾向を示し,昭和四〇年以降は,下降線をたどっていたが,昭和四三年は,前年よりやや上昇している。検挙件数は,おおむね,発生件数の曲線と同じ傾向を示している。検挙人員は,業務上(重)過失致死傷を含めた場合に,昭和三八年から上昇しているのに対し,これを除くと,横ばい状況ではあるが,昭和四〇年からは,下降する傾向をみせている。

I-2表 刑法犯発生・検挙状況累年比較〔業務上(重)過失致死傷を除く。〕(昭和21〜43年)

I-2図 戦後の刑法犯の発生・検挙状況〔業務上(重)過失致死傷を除く。〕(昭和21〜43年)

 次に,昭和三三年以降の刑法犯の検挙件数について,主要罪名別に,同年を一〇〇とする指数で示すと,I-3表のとおりである。これによると,昭和四三年の総数は,一三三と増加している。しかし,増加した罪名は,業務上過失致死傷五九二,わいせつ二五〇,公務執行妨害一三〇だけで,ほかはいずれも一〇〇未満の指数を示している。また,刑法犯の検挙人員数について,同じように,昭和三三年を一〇〇とする指数で示すと,I-4表のとおりで,昭和四三年においては,総数は検挙件数の場合と同じく一六九と増加しているが,各罪名についてみると,増加しているのは,業務上過失致死傷の六〇五が最も高く,これに次ぐのが公務執行妨害の二三〇,わいせつの二二〇であり,その他の罪名はいずれも,一〇〇未満となっている。

I-3表 主要罪名別刑法犯検挙件数の指数(昭和33〜43年)

I-4表 主要罪名別刑法犯検挙人員の指数(昭和33〜43年)

 なおまた,刑法犯のうち,財産犯,凶悪犯,粗暴犯,性犯罪および過失犯罪の五罪種について,昭和三三から一年おきに,各年の罪種別の発生件数および検挙人員をみると,I-5表6表のとおりであり,これらの数字を,昭和三三年を一〇〇とした指数により,グラフに表わしてみると,I-3図4図のとおりである。なお,ここでいう財産犯は,窃盗,詐欺,横領(業務上横領,占有離脱物横領を含む。),背任,賍物,凶悪犯は,殺人(尊属殺,殺人予備,自殺関与を含む。),単純強盗,準強盗,強盗致死傷,強盗強姦・同致死,粗暴犯は暴行,傷害・同致死,脅迫,恐喝,兇器準備集合,性犯罪は,強姦・同致死傷,強制わいせつ・同致死傷,公然わいせつ,わいせつ文書・図画の頒布・販売,過失犯罪は,過失致死傷,業務上・重過失致死傷,失火(業務上・重過失失火を含む。)とする。

I-5表 刑法犯罪種別発生件数(昭和33,35,37,39,41,43年)

I-6表 刑法犯罪種別検挙人員(昭和33,35,37,39,41,43年)

I-3図 刑法犯罪種別発生件数(昭和33,35,37,39,41,43年)

I-4図 刑法犯罪種別検挙人員(昭和33,35,37,39,41,43年)

 これらによると,最近約一〇年間においては,発生件数および検挙人員のいずれにおいても,財産犯,凶悪犯,粗暴犯は,漸減の傾向を示しているのに対し,過失犯罪が激増し,性犯罪も増加の傾向を示していることが目につく。過失犯罪の大部分は,自動車運転による業務上・重過失致死傷であるが,とくに,この種事犯の激増が,刑法犯の発生件数および検挙人員の増加をもたらしているといえよう。
 次に,前述のとおり,最近とくにその増加が目だつ公務執行妨害について,最近五年間の検挙件数および検挙人員をみると,I-7表のとおりである。これによると,昭和三五年以降四二年までは,検挙件数と検挙人員数との間に,それほど差異が認められないが,昭和四三年には,検挙件数に比し,検挙人員が急激に増加している。一件あたりの検挙人員は,昭和四二年までは,一・一人ないし〇・九人であったのが,昭和四三年には,一・八人と上昇している。また,昭和二八年以降,検挙件数が零であった騒擾罪についても,昭和四三年には,検挙件数一件,検挙人員二九一人(警察庁の統計による。)となっている。これらの現象は,後に述べるように,昭和四二年一〇月に発生したいわゆる第一次羽田事件以降の学生を中心とする一連の集団暴力犯罪の多発を物語るものといえよう。

I-7表 公務執行妨害罪の検挙件数と検挙人員(昭和39〜43年)

 右に述べたところを総合すると,刑法犯は,発生件数,検挙件数および検挙人員ともに増加して,昭和四三年には,戦後における最高の数字を示しており,罪種別にみると,交通犯罪および集団犯罪の増加が著しいといえよう。
 これまでみた刑法犯の発生件数と検挙人員数,それに刑法犯起訴人員数と第一審有罪人員数の,有責人口一〇万人に対する比率を算出してみると,I-8表のとおりであり,これをグラフにしたのが,I-5図である。有責人口とは,刑法によって刑事責任を有しないものと定められている一四歳未満の者を除いた人口であるが,一般に,人口が増加すれば,これに伴って,犯罪の数も増加するといわれているので,この有責人口に対する率を算出することによって,人口の影響を除いて,犯罪の推移を知ることができるわけである。

I-8表 刑法犯発生件数,検挙人員,起訴人員および一審有罪人員の有責人口10万人に対する比率(昭和21〜43年)

I-5図 有責人口10万人に対する刑法犯の発生件数,検挙人員,起訴人員および一審有罪人員の比率の推移(昭和21〜43年)

 これらによると,まず,有責人口一〇万人に対する発生件数の比率は,昭和二三年に急激に増加し,その後,昭和二九年までは,下降線をたどったが,昭和三〇年に一度上昇し,その後は,多少の起伏はあるものの,再び下降した。しかし,昭和四三年は,やや上昇傾向を示している。有責人口一〇万人に対する検挙人員の比率は,昭和二五年をピークとして,昭和二九年まで下降し,その後,昭和三八年までは,横ばい状態にあったが,昭和三九年からは,上昇し,昭和四三年は,戦後最高の数字となっている。
 次に,有責人口一〇万人に対する起訴人員と第一審有罪人員の比率をみると,この両者は,いずれも,おおむね,同じ曲線を示している。すなわち,昭和二三年に,急激に上昇した後,昭和二八年までは,下降線をたどり,その後は,多少の起伏はあるが,逐年上昇し,昭和四三年は,戦後最高の数字に達している。ところで,昭和四三年における,発生件数の増加は,自動車運転による業務上(重)過失致死傷などが増加したためであろう。また,昭和二九年以降の起訴人員の増加は,略式命令による罰金刑を請求された者が増加したためで,主として,業務上(重)過失致死傷の増加によるものと思われる。
 そこで,刑法犯から業務上(重)過失致死傷を除いて,有責人口一〇万人に対する比率を算出してみると,I-9表およびI-6図のとおりである。これを前図と比較してみると,まず,発生件数の比率において,昭和三七年までの傾向は類似しているが,その後は急激に減少しており,検挙人員の比率においても同様の傾向がみられる。次に,起訴人員と第一審有罪人員の比率では,前述したように,業務上(重)過失致死傷を含めると,昭和三九年以降増加していたのに対し,おおむね,下降する傾向を示している。このように,業務上(重)過失致死傷を除くと,刑法犯の最近の動向は下降線をたどっており,刑法犯の増減はこの犯罪に影響されるところが大きいことがわかる。

I-9表 刑法犯発生件数,検挙人員,起訴人員および一審有罪人員の有責人口10万人に対する比率〔業務上(重)過失致死傷を除く。〕(昭和21〜43年)

I-6図 刑法犯の発生件数,検挙人員,起訴人員および一審有罪人員の有責人口10万人に対する比率の推移〔業務上(重)過失致死傷を除く。〕(昭和21〜43年)

 次に,道交違反と特別法犯の推移であるが,これらについては発生件数を示す資料はなく,かつ,昭和四一年以降の警察統計には,これらの検挙件数および検挙人員数は示されず,送致件数および送致人員のみが掲げられることとなった。ところで,司法警察職員(特別司法警察職員を含む。)によって犯罪捜査が行なわれた刑事事件は,刑事訴訟法の定めるところにより,原則として,すべて検察官に送致される。なお,このほかに,検察官は,みずから犯罪を認知し,また,告訴・告発を受理して,捜査および公訴を行なっている。そこで,検察庁の受理人員は,捜査機関で受理された人員数の集計ともいえるのであり,その動きをみれば,刑法犯,道交違反およびその他の特別法犯のおおよその推移を知ることができ,かつ,これら三者について,統一的に,犯罪の傾向をみることができる。そこで,・検察庁で新規に受理した被疑者人員数の統計によって,道交違反および特別法犯の推移と,あわせて,刑法犯をも加えた犯罪全体の一般的傾向について考察することとする。
 そこで,昭和二一年以降の検察庁新規受理人員(検察庁間の移送,家庭裁判所からの逆送および再起の人員を含まない。以下同じ。)総数を,刑法犯,道交違反および道交違反を除く特別法犯の三つに区分して示したのが,I-10表で,これをグラフにしたのが,I-7図である。

I-10表 検察庁被疑者新規受理人員の累年比較(昭和21〜43年)

I-7図 検察庁新規受理人員の累年比較(昭和21〜43年)

 これらによると,まず,新受人員総数は,昭和二一年の約五六万人から,翌二二年には,一〇九万余人,二三年には,一五四万余人と急増し,昭和二七年には,一時減少したが,昭和二八年以降は,多少の起伏はあるにしても,増加の傾向を示し,四二年には,約五七〇万人となった。しかし,昭和四三年は,道交違反の激減のため,約四〇五万人となり,前年より,約一六五万人減少している。
 次に,三種類の法令違反別にみると,まず,刑法犯は,さきに掲げたI-1図と対照すると明らかなように検察庁の新規受理人員の動きは,警察の検挙人員の描く曲線とほとんど同一の傾向を示している。また,検察庁の受理人員総数のうちにおける割合は,昭和二一年には,刑法犯が六四・九%を占めていたが,その後は,多少の起伏はあるものの,おおむね漸減の傾向にあり,昭和三七年には,一三・〇%にまで減少したが,その後はやや上昇し,昭和四三年は,二五・二%を占めている。
 道交違反は,昭和二七年までは,刑法犯および特別法犯の各受理人員を下回っていたが,昭和二八年以降,急激に増加し,昭和四〇年には,約四九五万人に達し,総数の八三・六%を占めるに至った。このように,逐年増加の一途をたどった道交違反に対処するため,その処理手続の特例として,昭和四三年七月一日から,交通反則通告制度が施行され,一定の道交違反については,法令に定める定額の反則金の納付があったときは,公訴が提起されず,したがって,検察庁に送致されないことになったので,同年中に受理した道交違反は,四二年より,約一七五万人減少し,受理人員総数のうちにおける割合も,八〇・二%から六九・七%に減少した。ただし,昭和四三年七月から実施された交通反則通告制度により,同年中に告知された総件数は一,二一六,二二五件であるが,その詳細については後述する(本編第四章の一)。
 特別法犯は,終戦直後に,急激に増加し,当時は,受理総数の半数以上を占めていた。ところが,その大部分は,食糧管理法違反,物価統制令違反等の経済事犯であったため,昭和二五年以後,経済統制がしだいに撤廃され,経済事犯が減少するとともに,特別法犯の受理人員数は減少し,昭和四三年は,検察庁受理総数の五・一%を占めるにすぎない。