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 昭和35年版 犯罪白書 第四編/第一章/四/2 

2 少年犯罪の背景をなす一般的原因

 現代の刑事学が犯罪の原因を適確につかみだすまでにいっていないことは,さきに述べた。しかし,常識的にみて,世間で,一般に,少年犯罪をうみだすのにつよく関係をもつといわれている諸因子について,あたりをつけることはできる。それらの若干につき,考えよう。
(一) 余暇時間の増大―いままでは,朝は早く,夜はおそくまで,かつがつの生活のために働くというのが,一般の庶民の生き方だった。子供も,また,親と一緒に,その苦しい味気ない生活のなかに拘束され,その手助けをするのが一つの方式だった。その反面には,その行動範囲は,家庭や職場の安全圏のなかにおかれ,社会との接触の場面は制限されていた。しかし,戦後における労働時間の短縮,社会保障の実施,義務教育期間の延長は,生活のための仕事に拘束されない場面を急激に増加させていった。もちろん,それは,豊富な物質面の供給をともなう生活ではない。しかし,それだけに,その増大した余暇はあつかいかねるものとなっている。たとえ,豊富な物質のうらづけがあっても,余暇時間をつかうのは,働くのに時間をつかうよりも,はるかにむずかしい。余暇をもちうる特別な考慮がなければ,それは,人格を発達させるよりも,むしろ,退行させる。精神的に未成熟な少年が,余暇で得た行動の自由をあつかいかねて,ともすれば非行にはしるのは,容易に想像できることである。
(二) 家庭生活の変化―家庭は人格形成の基礎である。したがって,また,犯罪や非行の防波堤でもある。しかるに,戦後の家庭生活はどうであろうか。家族制度の法律的な変革はともかくとしても,結婚の観念に変化をきたし,一部では,容易にむすび,かつ,離れることに躊躇を感ぜず,子供に対する責任はうすくなっている一面,一部では,子供に対する所有感や権威感を依然として主張する。そこにでてくるのは,家庭内の不和と葛藤であり,それに拍車をかけているのが,住宅難だといえる。少年は,かかる家庭にあって,多くの拒否にあい,大人に対する反抗心を醸成される。
(三) 人間的結合の稀薄化―愛情に満たされた人間的結合のあるべき家庭生活が不和と葛藤に満たされているので,学校や職場にこれを求めようとする。ところが,学校や職場もまたその場所でないとすれば,行動の自由を得た少年たちは,孤独感にさらされたまま,なにか人間的な結合を求めて,街頭にでる。しかし,街頭は,機械的な,非人間的な,どこの誰とも名をしられようのない匿名的な世界である。そこには愛情はないが,享楽の手段には満たされている。孤独感にさらされた少年たちは,この享楽の砂漠におちこむ。
(四) 消費生活の豊富化―最近は,物質的生活が高度化し合理化した。その消費革命によって,生活態度とくに若年者の生活態度がちがってきた。あるいは衣食に,あるいは旅行に,生活を楽しもうとする風潮がつよい。計画的にこれに物質的うらづけをする能力のある場合は問題はないが,この風潮は,能力をもたない者においては,いたずらに要求水準だけをたかめることになった。少年などは,コツコツと働いて貯めた金では,この要求を満たすことができない。一挙に,犯罪によって,これを満たそうということになる。
(五) 少年の身体的成熟―戦後における少年の身体的成熟はいちじるしい。身長も体重も増加し,体力は強くなった。女子は月経初潮期が早くなったといわれる。しかし,精神面の成熟がこの生物学的な生長にともなっているかというと,疑問である。そこで,今日の少年は,身体の発達と精神の発達とがアンバランスになる傾向があり,そのアンバランスが,少年犯罪などをうむ一因だという主張もある。この主張にも十分に耳をかたむけねばならないが,一面には,犯罪少年に身体的,精神的発達の遅滞があることも注目されている。
(六) 戦時および戦後の混乱期の影響―もはや戦後ではないという言葉があるが,今日,少年期をすごしている者は,なんらかの点で,戦時または戦後の混乱期の影響をうけている。人格の基礎は,五,六才時までの幼児期における経験によって築かれる。その当時にうけた拒否(虐待,放任,遺棄など)は,ながく少年の人格発達に歪みをあたえる。戦時における学童疎開,食糧不足,親の出征や戦死など,また,戦後における復員,帰還,食糧不足,ヤミ市場,占領軍との接触,インフレなどは,発育期にあった少年の人格に影響をあたえ,その深層に傷痕をのこしている。
(七) マス・コミの影響―テレビ,映画などのマス・コミのおよぼす影響,現在,氾濫するエロ・グロ雑誌,漫画など不良文化財による影響も無視することはできない。今日の少年の悪化をあげてこれらに責任転嫁するのはもちろんまちがいであるが,人格の発達や環境の具合によっては,つよくその影響をうける少年があることはいなめない。
(八) 大人と少年との考え方の断層―総じて,今日の少年非行化の原因には,大人が生活その他に対してもっている考え方と少年のそれとのあいだに,深い断層があって,少年が大人に対して反抗するという事情がある。戦後,急変した民主主義的生活において,一部の子供は権利のみを主張して義務と秩序とのあるのを忘れ,一部の大人は,ともすれば,ありしよき日の想い出に,かつての考え方を固執する。少年の人格のすなおな発達には,大人の愛情と理解と受容とが必要なのに,その反対に,抑圧や放任の態度がとられることがある。こうした事情は,戦後の他の国にもないわけではないが,わが国では,とくに戦前と戦後の差が大きいため,その断層はふかく,そして,はげしい。
 以上の諸因子がそれぞれ織りあわされて,今日の犯罪少年をつくる一般的背景となっている。犯罪の原因は多元的である。以上の諸因子は,ある地域またはあるケースでは,そのうちの二,三のもの,他の地域または他のケースでは,また,これとちがう他の二,三の因子の組合せにライトがあてられることになろう。
 国立精神衛生研究所が福島県の炭礦町で行なった調査研究によれば,「この町の青少年非行を特徴づけているのは,炭礦地帯という特殊な文化的,地域的,家庭的条件であり,かかる特異な環境諸因子の重積によって,この町にとくに多数の青少年非行を発生せしめているということが明白になった」とされている(精神衛生研究第一号)。そして,その近因としてあげられるのは,
(イ) 家庭の混乱―父の失職や疾病などにより支配力が弱まり,または姉婿を迎えるなどから,家庭のあつれきが急に露呈される。
(ロ) 学校の問題―怠学,長期欠席(その原因―貧困,教師の叱責,体罰,友人のおどし,精神薄弱,学業遅滞など)。
(ハ) 学校卒業後の空白期―炭礦以外の就職はむずかしい。そして,心的動揺のはげしい思春期に,将来の方針を確定することができない。
(ニ) 不良年長者の誘惑,その他,盗炭,金物ひろい。
 また,非行開始後これを発展悪化させた要因としては,
(1) 家人のいたずらにきびしい叱責,体罰
(2) 近隣人の冷眼視
(3) 教師や警察など関係者のこれに対する不適切な処遇
 さらに,改善の契機としては,
(1) 炭礦への就職,他地域への就職
(2) 親の態度の改善
(3) 教師や警察のあつかいが成功したこと
をそれぞれ指摘している。
 こういう少年犯罪の状態に対して,どういう措置をほどこせばよいのか,いろいろな対策が考えられるが,犯罪を病気にたとえてみると,病気にかかる前に気をつけたほうがよいというのが「犯罪の予防」の考え方である。軽度の病人ならば,病院に入れずに自宅療法か通院療法をしたほうがよいというのが,施設外処遇の一形態としての「プロベーション」の考え方である。病院は患者を治療するところだというのが,「施設内処遇」の考え方である。病気が治ったら早くだすが,治らなかったら治るまで入れておこうというのが,「不定期刑」の考え方である。だいたい治りかけたら,早くだして,戸外の生活に慣れさせたほうがよい,というのが,「パロール」の考え方である。これらの考え方が,本人本位で,社会の防衛のことは,なにも考えないやり方であるかのようにうけとるひともいるが,じつは,これこそ,真の意味の社会防衛の目的を達することになるので,「邪魔者はのぞけ」式のやり方では,社会の防衛もできないばかりでなく,いつまでも,社会はよくならない。
 処遇の場においては,最近,いくつかの新しい考え方がおこりつつある。以下簡単にこれらを紹介しよう。
(一) 改善から治療へ
 グループ・セラピーやカウンセリングなど新しい心理療法をもちいて,科学的に犯罪的性格を治療しようとする動きがある。
(二) 短期処遇方式
 かこいの中にながくおくかわりに,施設処遇の期間をみじかくし,そこで集中的に短期のセラピーをあたえて釈放する短期処遇主義という考え方がある。
(三) 格子なき施設における心理療法
 処遇は「格子ある施設」でなければできない,という考え方に対し,おもいきり格子をとりはらい,施設外の社会と近似的な環境を作りだして,計画的な心理療法を加えたほうがよいという考えがある。少年についてこれを実験的に行なったのが,有名なハイフィールド実験である。
(四) 単一処遇・固定処遇から複合処遇・流動処遇へ
 現行法では,刑の種類や処遇類型は一たんきめてしまうと動かすことができないが,これは不便であるとともに,セラピーの立場からいえば,処遇効果をみて各種の処遇方法へ自由にのりかえるようにすべきであり,また,はじめに処遇類型を判決などできめる場合にも,なにも単一の処遇類型を指定しないで,プロベーションと短期施設処遇の複合,施設処遇と在宅処遇の複合というふうに,各種の方式を適宜組み合わせて宣告できるようにしたい,という考え方もある。現に,ヨーロッパやアメリカでは週末収容処分や通院強制をともなう制度をとったりしている。
 二十世紀もなかばを過ぎて,いろいろなこころみがあらわれているが,実情をいえば,本格的な矯正処遇というものは,これからのことである。そして,また,これをハッキリとつかみ,うちだすことが,今日の犯罪や非行の状態からみて,ひろく社会の防衛と個人の福祉の確立のため,きわめて重要であるといえる。