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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第二章/四/1 

四 公務員犯罪,財政経済関係犯罪等

1 公務員犯罪

(一) 公務員犯罪の概況

 汚職という言葉が,新聞紙上をにぎわせている。その意味は,かならずしも明らかでないが,ひろく公務員がその職務に関して賄賂をとり,公金を横領したりするなど職務を利用して私腹をこやす犯罪をさしているといってさしつかえないであろう。ところで,公務員の犯罪といえば,職務とまったく関係のない犯罪もふくまれる。たとえば,公務員が酒に酔って喧嘩をし他人に傷害を加えるといったのもあるが,この種の犯罪は,厳密には汚職ではない。公務員も人間であるからには職務に関係のない罪を犯すことが少なくないが,公務員犯罪として世の注目をひいているのは,職務に関連のある犯罪すなわち汚職である。汚職にかぎらず,ひろく公務員の犯した犯罪について,法務省刑事局の調査による統計をみると,I-58表のとおりである。これによると,合計人員は,昭和二一年から昭和二五年まで増加の傾向にあるが,昭和二五年の一七,七四七をピークとして昭和二六年から昭和二九年までぜんじ減少し,昭和三〇年からふたたび増勢に移っている。起訴人員は,昭和二三年までは増加し,昭和二四年から昭和二八年にかけておおむね減少したが,昭和二九年から昭和三三年まで増加の一途をたどり,昭和三三年が戦後のピークである。昭和三〇年から起訴人員が上昇しているのは,戦後の混乱からほぼ回復して,社会生活が落着きをとりもどしてきたので,公務員犯罪に対する検察方針がきびしい立場をとるにいたったためといえよう。

I-42図 公務員犯罪の起訴・不起訴人員

I-58表 公務員犯罪の起訴・不起訴人員

 昭和二九年から昭和三三年までの五年間の平均につき,公務員犯罪を罪名別にみると(I-59表),収賄などがもっとも多く,これについで,横領,窃盗,詐欺,職権濫用等,偽造の順である。その起訴率を算出してみると,もっとも高率なのは,収賄等の四三・一パーセント,これにつぐのは経済事犯の三三・七パーセントで,他は比較的に低く,横領(二八・八パーセント),偽造(二三・七パーセント),詐欺(二〇・七パーセント),窃盗(一九・九パーセント),恐喝(一一・三パーセント)の順で,職権濫用など(二・六パーセント)が最低である。

I-59表 公務員犯罪起訴・不起訴人員(昭和29〜33年平均)

 公務員犯罪のうちで注目すべきは,横領である。これにはいわゆる公金の横領が多いからである。法務省刑事局の調査によると,横領の検挙人数および起訴人員ともに漸減の傾向にあり,昭和二九年には検挙人員八八三人(うち,起訴人員二九六人。以下おなじ),昭和三〇年には七四六人(二三六人),昭和三一年には七六三人(二〇五人),昭和三二年には六〇五人(一七七人),そして,昭和三三年四六九人(八六人)と減少している。

(二) 贈収賄

 贈収賄は,公務員犯罪の中心をなす地位にあり,もっとも世人の注目をひいている。他の公務員犯罪には職務に関係のないものも含まれているが,この犯罪は,すベて職務の執行に関係がある。賄賂罪は,いろいろな観点から分類できるが,その発生過程は,およそ,つぎの三つのグループにわけることができよう。その一は,いわゆる出入りの業者または御用商人から賄賂をとるものである。これが賄賂罪のもっとも原始的なものといえるし,実質的には,その数がいちばん多いとおもわれる。盆暮の儀礼を利用したつけとどけをはじめ,時機に応じた饗応など枚挙にいとまがないであろう。その二は,許可,認可または補助金の支出に関するものである。許可,認可については,ある程度の自由裁量の余地が認められており,この自由裁量の基準が訓令,通牒のかたちでいちおう示されている場合でも,その内容は抽象的で,実際には事実上権限をにぎる者の主観的な判断にゆだねられている場合が少なくないため,有利なとりあつかいを求める趣旨で賄賂の介入する余地が多い。したがって,この種の犯罪は,行政官庁の権限が縮少されれば,それだけ発生件数は減少するものと考えられる。その三は,右に述べた以外のもの,たとえば,検挙に手心を加えてもらいたい趣旨の賄賂や税の査定を寛大にしてほしい趣旨の賄賂をうけとり,または法案の通過に尽力する趣旨で賄賂をうけとったりするなどが含まれる。この種の犯罪の処理は,一般にその賄賂が職務に関するものかどうかの争われる場合が少なくない。
 贈収賄の推移を戦前昭和二年からの発生件数および一審有罪人員の統計によって図示したのが,I-43図である(実数は付録統計表-32参照。この統計の有罪人員には収賄公務員のほか,贈賄者の人員も含まれているが,犯罪の増減の傾向をみるにはさまたげない)。まず,戦前は,昭和一〇年まで増加し戦時に入って減少したが,昭和一八年には,戦前の最高をしめている。戦後は,昭和二三,二四年に戦前以上に増加したのち,急速に減少しているが,一審有罪人員の率では,昭和二-七年よりも高い。昭和初年以降,三つの山があり,現在は比較的に良好な状態にあるかのようにみえている。しかし,贈収賄は,元来,その検挙がきわめて困難なため,検挙能率が,捜査の権限の強弱や,捜査に力を入れるかどうかによる影響をうけることが大きい。昭和九,一〇年当時は,軍需インフレの進行中で,多額の軍事費が支出され,官吏がその支出に大きな権限をもっていたため,贈収賄が増加したものとおもわれる。しかし,その増加のいちじるしいのは,当時とくにその検挙が強化された影響も大きいと考えられる。昭和二三,二四年の増加は,おもに,昭和二二,二三年の混乱期当時の犯罪が,警察力の回復したのちに検挙されたものであろう。昭和二四年の激増は,同年の上半期に,主として東京で贈収賄の検挙が強力にされたことの影響が多い。昭和二二,二三年当時は,統制経済のころで,また,重点産業には補助金がだされ,大きな権限をもつ公務員が多く,他方,インフレの進行で一般公務員の生活が窮迫していたため,統制経済や税務などに関係のある公務員をめぐる贈収賄が激増し,その後,インフレが収束して一般公務員の生活も安定し,実際の犯罪は減少したものとも考えられる。しかし,今日でも,貿易関係など産業活動に対する国家の統制は残存し,多方面にわたって補助金行政が行なわれている。その結果,法令によって公務に従事するあらゆる種類の公務員のうちに,国民の経済活動について大きな権限をもつものが,戦前より増加している。したがって,実際の犯罪は,戦前にくらべて,あるいはふえているのでないかともおもわれるが,この犯罪には特定の被害者がなく,物証もとぼしいため,検挙の能率をあげることがきわめてむずかしいといわれている。

I-43図 贈収賄罪の発生件数と一審有罪人員