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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第二章/三/3 

3 酩酊犯罪

(一) 酩酊犯罪の概況

 数年まえに,京都地方裁判所は,『わが日本は酒を嗜む人のためには天国である』と慨嘆しつつ,殺人未遂を犯した酒乱の男に対して,心神喪失ということで無罪の判決を言い渡した(昭和三一年七月五日判決)。また,その後横浜地方裁判所横須賀支部では,殺人罪を犯した米兵に対し,おなじく,心神喪失として無罪の言渡をした(昭和三二年七月三一日判決)。これらの事件ばかりでなく,交通関係事犯に酩酊によるものが少なくないなどから,ちかごろ,酩酊犯罪によせる一般の関心が高まってきている。
 最初に,酩酊犯罪について概観するために,最近四年間の警察統計によって,全刑法犯と,傷害と窃盗とにつき,酩酊によるものと,麻薬,覚せい剤中毒に起因するものとを対比したのがI-55表である。昭和三三年については,比較のため,他のおもな原因も加えた。この表によって,酩酊によるものは数では麻薬や覚せい剤中毒によるものとは比較にならないほど多いことがわかる。罪名別にみて絶対数のもっとも多いのは傷害で,各年とも酩酊による全刑法犯の約半数を傷害がしめ,傷害の総数のうち酩酊によるものをみても,一七パーセントから二六パーセントをしめている。数においてこれにつぐのは暴行で,暴行でも酩酊によるのは一八パーセントから二八パーセントをしめ,率では,傷害よりも一,二パーセント高い。そのほかの犯罪は,この両罪にくらべればはるかに少ないが,各罪名の犯罪総数中にしめる割合は,脅迫,強姦,放火,殺人などの暴力犯罪に比較的高く,三パーセントから一三パーセントをしめている。これに反し,麻薬や覚せい剤の関係では,絶対数は窃盗がもっとも多く,それじたいを原因とするよりも,これを購入するための金銭を得るのを目的とする犯罪の多いことがうかがわれる。その他,少年については,これらを原因とする犯罪の比較的少ないことがわかる。

I-55表 刑法犯検挙者中中毒・酩酊等を犯罪原因とする人員

 注意すべきは,警察統計によると,全刑法犯,傷害などのすべてを通じ,酩酊によるものが,昭和三一年から減少していることである。ところが,行刑統計をみると,新受刑者の犯罪原因および犯行時飲酒者の統計では(I-56表),むしろ飲酒を原因とするものが増加していると認められる。新受刑者の犯罪原因の統計には,「酩酊」はなくて「酒興」があるので,その意味が明白でなく,また,純粋の意味ではそれが犯罪原因であることの少ないためか,その数が少ない。ただし,昭和三三年を昭和二九年と比較すると二倍以上に増加し,そのおもな部分は傷害と傷害致死とがしめている。つぎに犯行時飲酒者数は比較的に多く,合計では,昭和三三年は昭和二九年の二倍半に増加し,傷害,傷害致死と殺人も,ほぼこれに近い倍率を示している。つぎに,昭和三三年の新受刑者の統計について,犯行時飲酒者の罪名別人員の新受刑者総数に対する比率をみると,もっとも高率なのは,傷害の五三パーセントと公務執行妨害の五一パーセントで,暴力行為等処罰法違反の四六パーセント,殺人の三六パーセント,恐喝の三五パーセント,猥褻姦淫の三三パーセント,放火の二七パーセントがこれにつづいている。つまり,暴力犯罪においてその率が高く,しかも,検挙者の罪名別の酩酊者率よりもはるかに高率である。

I-56表 新受刑者中「酒興」を犯罪原因とする人員と犯行時飲酒者数(昭和29年〜33年)

 これらの統計から,少なくとも刑務所に入るほど犯情の重い罪については,暴力犯罪を中心として飲酒によるものが増加しているといえよう。その他,警察統計でも,怨恨や憤怒によるものは,最近大幅に増加しているのであって,傷害や暴行などの暴力犯罪の最近の激増傾向と以上の諸統計からすれば,酩酊や飲酒による犯罪の関係については,さらに,十分基本的に検討する必要があろう。なお,元来,犯罪原因について正確な統計を作成することはきわめて困難で,そのためか,最近の裁判統計では,この種の統計がみあたらない。
 男女別では,女子の酩酊犯罪の検挙人員は,男子約三〇〇人に対して一人という割合で,戦後に女子の飲酒の機会がふえたのに,その酩酊犯罪は増加していない。その他,特別法犯では,酩酊による交通犯罪がふえているが,この点は交通犯罪のくだりにゆずる。

(二) 酩酊犯罪と精神鑑定

 さきにも述べたように,酩酊犯罪には暴行や傷害などの粗暴犯が多く,放火や殺人というような重大犯罪も少なくない。これは,アルコールの急性中毒による精神の変調にもとづくもので,瞬時的な情動爆発によっておこる激情犯罪や,思慮分別を失っておこる衝動性の犯罪や自他に対する攻撃的な犯罪がその特徴とされる。I-57表は,酩酊犯罪で精神鑑定をうけたものについて罪質と精神診断との関係を示したもので,放火が四〇パーセントをしめ,殺人も二五パーセントにおよんでいる。ところで,飲酒による酩酊にも,ほろ酔い機嫌の普通酩酊から完全に病的な症状を示す中毒性の精神病にいたるまで,病的酩酊や慢性アルコール中毒など,いろいろの種類がある。しかし,普通酩酊といっても,初期の発揚期にみられるような軽い程度のものから,泥酔といわれる完全麻痺にいたるまで,いくつかの精神変調の段階があって,事件の重大性にもかかわらず,責任能力の判定は決して容易ではない。ことに,アルコールの耐容性には個人差があるし,嗜癖者には,つね日頃の欲求不満や現実逃避の意識下の心理機制もはたらいているので,いっそう判定を複雑にしている。

I-57表 罪種別・精神全鑑定結果別の酩酊犯罪人員等

(三) 酩酊犯罪に関する問題点

 わが国に殺人や傷害致死のような重大な犯罪がイギリスや西ドイツにくらべて多いとおもわれることは,すでに述べたとおりである(第一章一6(二)(4)参照)。この種の犯罪をはじめ傷害や暴行などの暴力犯罪一般について酩酊または飲酒をしていた者のしめる割合のかなり大きいことは,前記の統計で明らかである。また,刑法犯は成立しないでも,泥酔者が公共の場所に横行してひとに迷惑をかけることの多いのも,わが国に顕著なところといえよう。
 欧米では,酩酊による刑法犯に対し刑事処分と保安処分との両面からきびしい態度でのぞむ国が多いし,酩酊それじたいを処罰する国もある。たとえば,イギリスでは,前に述べたように,公共の場所における泥酔による不行跡等じたいを略式犯罪としているし,フランスでも,道路,広場,キャバレーその他の公共の場所で明白な酩酊状態で見いだされる者を違警罪として罰することにしている。わが国も,戦前には,警察犯処罰令に,公衆の自由に交通できる場所で泥酔してはいかいした者を拘留または科料に処する規定があった。