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6 わが国における犯罪現象の特色と西欧諸国の概況 ここに掲げる諸外国における犯罪統計の資料は,法務総合研究所武安研究官が渡欧の際もたらしたものであるが,犯罪に関する比較統計は,制度ないし手続または犯罪構成要件などが国によってそれぞれ異なるため,その性質上,もとより正確を期することはできない。これについては,将来の研究にまつほかはないが,これらの資料にあらわれたところにつき,いちおうの紹介をすれば,つぎのとおりである。
(一) 戦前との比較 最初に,最近の犯罪現象一般と戦前平時とを比較するために,昭和二-一一年の一審有罪人員の有責人口に対する率を一〇〇とした指数によって,主要罪名別の昭和三一-三三年のおなじ率の指数を記載すると,I-18表のとおりである。単純賭博を除いた全刑法犯の指数では,昭和三三年は二七二という三倍近い数を示し,さらに,それ以上の指数を示すのが,強制猥褻,強姦,傷害,暴行,過失傷害,脅迫,強盗傷人,賍物,毀棄で,いわゆる暴力犯罪の圧倒的に多いことが目だっている。強姦と強制猥褻とは,性的犯罪として別な特色をもっている。他の数の多い犯罪では,過失犯罪は特殊の性質のもので,賍物罪は常習者によって行なわれることの多い点で,注意を要する。その他の犯罪のうちには,恐喝の二倍半のように,実際はその数の示す以上に増加しているとみられるものもある。また,戦前とちがって,一八才以上二〇才未満が少年となり,一六才未満の少年に対する刑事処分がなくなるなど,少年の全般を通じ刑事処分は激減しているため,少年に多い窃盗,強盗,強姦,恐喝などの犯罪は,この統計にみる以上に増加しているわけである。これらの犯罪で少年のもつ役割のきわめて大きいことの詳しくは,第四編にゆずる。また,戦前よりも累犯者の犯罪が増加していると考えられることはさきに述べたとおりである。
I-18表 主要罪名別一審有罪人員の有責人口に対する指数(昭和2〜11年平均を100) しかし,戦後の犯罪は,昭和三〇年いらい国内の経済状態は良好で秩序も回復したはずなのに,なお増加しているところに特色がある。戦後の混乱期から回復期にかけて多く発生した生活のためや貧困のための窮乏犯罪は,明らかに減少している。経済状態が一般に好転しても,低所得の階層の生活は好転しない面もある。わが国では,大企業と中小企業とでは従業者の所得に大幅の相違があるため,産業構造の高度化が両者の差を深めてきたのが日本経済の特徴だ,とも主張される。しかし,産業界が好況で倒産などもなければ,物価が騰貴しないかぎり,低所得層の生活も従来よりも低下することは少ない。しかも,戦後は,戦前よりも失業対策事業がはるかに活発で,生活保護や医療保護など,いろいろの社会政策が行なわれている。その他,戦後には,農地改革があり,労働組合運動もさかんとなったので,農民と労働者の生活状態は,戦前に比して良好となった。ただ,住宅の条件のみは戦前よりも不良となって,せまい住居に多数が雑居する生活がふえているという欠点はある。しかし,経済的環境の面では,昭和三〇年以降は,経済状態が良いため犯罪を増加させる作用はさほど大きくないといえよう。最近の財産犯罪とくに少年の犯罪には,窮乏によるものは少なく,むしろ,享楽のための費用を得るためとか,より高いぜいたくな欲望を満足させるためのが増加しているといわれる。好況の場合でも,賃金が上って生活に余裕ができたために,かえって,これを飲酒など享楽の費用にあて,それが動機となって犯罪に陥る場合もある。つぎに文化的環境については,そのうちのどれがどのような影響をあたえているかを調査するのはきわめてむずかしいが,一般に,戦後の文化環境は戦前にくらべて不良であるといえよう。敗戦により旧来の道義観念が動揺し,年少者その他一部の国民はこれを喪失したとも考えられるが,戦後の混乱が回復しても道義観念の確立されない少年もあり,それが犯罪の増加する原因の一部とも考えられる。その他,敗戦直後は,戦時中の反動もあって,享楽的な気風が社会にあふれ,性に関する挑発的な露骨な内容の印刷物,映画,興行などがはんらんしたが,それが,回復期を経て,昭和三〇年以降すべて平常にもどったとはいえない。この点については,あらゆる文化的環境の犯罪一般とくに少年犯罪との関係を基本的に検討する必要がある。 最後に,政治的環境が問題で,そのうち,もっとも重要なのは刑事政策の適否であるが,この点は,諸外国との比較のあとでふれることとする。 (二) イギリス・西ドイツ等との比較 (1) イギリス イギリス(イングランドとウェールズ)における正式起訴犯罪(indlctable offences)は,ほぼ,わが国の刑法犯にあたるが,その警察に知れた事件数の戦前からの推移(I-19表・I-34図)をみると,戦時中から増加して,全般的に増加の傾向がみられる。最近には,一九五一年から一九五四年まで減少していた犯罪が一九五五年いらい上昇し,一九五七年と一九五八年の上昇は,相当に大幅である。そして,この増加につき支配的な役割を演じているのは,窃盗である。一九五八年における罪種別の構成をみると(I-20表・I-35図),窃盗がもっとも多く,住居侵入がこれについでいる。イギリスでは,わが国で窃盗未遂や窃盗で処罰する程度のものでも,立証の便宜から住居侵入で処罰することが少なくないためで,事件名としても検挙の当初から住居侵入として計上されている関係から,住居侵入が多くなっているようである。この両者に詐欺と賍物を加えると九三パーセントに達し,暴力によらない財産犯罪またはこれに類するもののしめる割合はきわめて高い。殺人,傷害致死,強盗,恐喝,強姦など犯情の重い暴力犯罪はきわめて少なく,暴行,傷害もわが国にくらべて少ない。強盗は最近に増加し,傷害もふえているが,その増加はわが国とは比較にならない。性的犯罪のしめる割合が比較的に高いが,これは男色,獣姦,売春周旋も含むので,実質的に多いとはいえない。窃盗は,人口に対する率でもわが国よりも多いが,きわめて軽微なのまで起訴されているところから,わが国よりも届出が励行されているらしく,犯罪そのものがわが国よりも多いとは考えられない。
I-19表 正式起訴犯罪発生件数等 I-34図 正式起訴犯罪・窃盗罪の発生件数 I-20表 正式起訴犯罪の罪種別件数等 I-35図 正式起訴犯罪罪種別件数の百分率 (2) 西ドイツ 今次の対戦でわが国とおなじく敗戦国としての運命をたどった西ドイツの犯罪現象とその対策は,わが国にとってもっとも興味がある。
西ドイツでは,大戦中に国内が戦場となったため,敗戦直後の国内の秩序の混乱は,とうてい,わが国の比ではなかった。当時は強力な武器で武装した集団強盗が国内を横行し,強盗のほか殺人,強姦もあって,国内は崩壊状態に陥った。全国のヤミ市では,賍品も公然と販売された。全国的の統計はは作られていないが,前大戦後の同国の状態とはとても比較にならず,部分的な統計から推せば,犯罪の激増は,わが国以上であったとおもわれる。 しかし,国内の秩序はしだいに回復し,一九四八年六月の通貨改革と,同年から行なわれたマーシャル・プランによるアメリカの経済援助により,国内産業の復興は急速に進展した。一九四九年五月にはドイツ連邦共和国が成立し,国内の政治秩序も整備され,犯罪も大幅に減少した。一九五一年以降の重罪と軽罪(特別法犯を含み,違警罪を含まない)の警察に知れた件数は,I-21表とI-36図のとおりで,一九五五年以降は増加に転じたものの,増加率は比較的低く,人口に対する率でみると,その上昇はさらにゆるやかである。罪種別の構成で窃盗のもっとも多いのは,他の国ぐにとおなじであるが,ついて詐欺,背任,横領などの多い点に特色がある。最近は,傷害は増加し,強盗と強盗的恐喝を合算したもの(両者の区分は不明)も増加しているが,わが国よりもはるかに少なく,殺人,傷害致死,強盗殺人はほとんど増加せず,一般にわが国よりも良好な状態と認められる。 I-21表 重罪・軽罪発生件数 I-36図 重罪・軽罪発生件数等 (3) フランス フランスの犯罪状況は,イギリス,西ドイツ両国にくらべて,はるかに良好である。一九三八年および戦後の重罪,軽罪の有罪人員(I-22表)につき,各年の人口に対する率を算出し,グラフを作成すると,I-37図のとおりで,一九四九年以降一九五六年まで減少の一途をたどり,一九五七年も,ほぼおなじ水準にある。一九五七年の重,軽罪の合計を戦前の一九三八年と比較すると,その八〇・六パーセントにすぎない。
I-22表 重罪・軽罪有罪人員とその率 I-37図 重罪・軽罪有罪人員の率 フランスは,今次大戦の戦勝国ではあったが,ながくドイツ軍に占領され,国内が戦場となったところから,終戦直後は国の経済は破壊状態にあり,ヤミ市は盛況を呈し,国民は生活に苦しんだ。戦後の犯罪の増加は,この不良な経済状態と混乱した社会秩序とによるものと考えられる。しかし,犯罪の増大も大幅ではなく,一九四七年から実施されたモネ・プランとよばれる経済復興計画と,一九四八年からのマーシャル・プランによる経済援助とによって,一九四八年のうちに経済状態が戦前の状態に復するとともに,一九四九年から犯罪は減少に転じた。犯罪の内容をみると,殺人は,イギリスほどではないが,西ドイツよりも少なく,強盗,強姦などの悪質な犯罪も少ない点に特色がある。ただ,アルジェリヤ事変の影響もあって,アルジェリヤ人による犯罪は,フランス国内でも増加している傾向があるが,全体に影響するほどではない。(4) わが国との比較 これらの外国との比較については,まず,経済状態の相違を考慮する必要がある。一九五七年の国民一人あたり米ドル換算の国民所得によると,イギリスはわが国の約四倍,フランスは約三倍半,西ドイツは約三倍である。しかし,わが国の物価の安いことを考慮に入れれば,衣食の生活状態には,この統計に示されるほどには,大きな差はないとおもわれる。ただ,住については大幅な相違のあることを考慮する必要がある。文化的環境では,宗教,教育制度,青少年運動,映画,テレビ,新聞,雑誌その他の印刷物,競馬,競輪などの娯楽について検討する必要があるが,ここではふれない。ただ,一般的にいって,犯罪の発生に影響をあたえる面からみれば,わが国の文化的環境は,これらの三国にくらべて不良といえよう。
外国の犯罪現象との比較については,窃盗その他の比較的犯情の軽いものでは,届出,検挙などがどの程度に行なわれるかに相違があり,その比較が困難である。しかし,殺人,傷害致死,強盗のような犯罪は,発生や検挙の統計を総合すると,暗数も未検挙事件も少ないので,これらによって概略の比較をすることは,比較的難点が少なく,訴追制度や裁判手続の相違の影響も,他の犯罪ほどでない。ただ,この種の犯罪も,各国の犯罪構成要件と統計のとりかたの相違から,同時に一括して比較できないことがあるので,その場合は,個別に比較した。まず,比較の対象とした犯罪について,各国別に,有罪人員の実数と有責人口に対する率を記載した。なお,これらの比較は,有罪人員についての比較で,犯罪発生件数や検挙人員の対比ではない。訴追制度や裁判手続の相違をも考慮すると,この数字が正確に実態を示すとはいえないが,だいたいの傾向はうかがわれよう。イギリスには起訴猶予にあたる制度はなく,裁判官による絶対的免責(absolute discharge)が実質的に起訴猶予にちかいので,とくにこれを区別した。西ドイツも,一般成人(二一才以上)については,殺人,強盗,恐喝などの重罪については起訴猶予にあたる制度はなく,実質的にこれにちかいものとして裁判所による手続の中止(Einstellung des Verfahrens)があるのみである。青少年には起訴猶予と宣告猶予がある(その他イギリス,西ドイツの青少年に対する処分については第四篇参照。なお,統計は,イギリスはHome Office, Criminal Statistics, England and Wales, 1957;西ドイツはStatistisches Bundesamt, Abgeurteilteu. Verurteilte, 1957による。) I-23表は殺人,強盗殺人と傷害致死と合算したものについて,日本とイギリスを比較したものである。イギリスの謀殺(murder),故殺(manslaughter),嬰児殺(infanticide)の合計は,わが国の殺人,傷害致死,強盗殺人を加えたものにあたるので,両者の合計について比較した(故殺には理論上は過失致死を含むが,その数が明らかでないので,いちおうこれを無視した。)わが国の少年について家庭裁判所の保護処分は有罪裁判と同視した。不開始と不処分も,いちおう犯罪事実があるものとして記載したが,ない場合もあるので,他と区別した。この表で明らかなとおり,日英の差は,きわめて大きい。わが国の少年の不開始,不処分を除いたものを比較しても,イギリスの五倍である。青年はおなじく六倍,一般成人は八倍である。 I-23表 日本とイギリスの殺人有罪人員 つぎに,西ドイツとの比較については,ドイツ刑法の謀殺(Mord),故殺(Totschlag),嬰児殺(Kindestotung)の計がわが国の殺人と強盗殺人の計にあたるので,これらをそれぞれ合算して比較した。この比較でも,わが国ははるかに多く,三倍から四倍の倍率である。しかし,西ドイツは,イギリスと比較すれば,はるかに多い。イギリスにおいて殺人のきわめて少ないことについては,他のいろいろな点も考えなければならないが,殺人とくに強盗殺人に対する刑の量定がきわめて厳格で,その裁判がすこぶる迅速なことの影響は少なくないと考えられる。その他,イギリスにおいて一般に暴力犯罪が少なく,とくに重い犯罪の少ない点については,泥酔者の取締りがきわめて厳重であることと関連があるのではあるまいか。すなわち,泥酔して公の場所において自分自身に注意することができなくなった場合や無秩序な行動をとった場合などは,それじたいを略式犯罪とする法律があり,その適用は活発で,処罰される者は年に五万人をこえている。I-24表 日本と西ドイツの殺人有罪人員 |