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 昭和41年版 犯罪白書 第三編/第二章/四/2 

2 ヒーリーの「力動精神医学的理論」

 ヒーリーは,最初メンタル・アナリシスとよぶ多因子的分析法を唱えていたが,のちに精神分析学派のアレクサンダーと親交をもつようになって,精神分析学の「ダイナミック理論」をとり入れたのである。またA・アドラーの個人心理学や深層心理学的な構想を吸収したばかりではなく,非行原因の心理機制の背景としての「人間関係の病理」に鋭いメスを入れた。
 かれの考え方を一言で表現するならば,非行は,個人の生命活動の全体としての流れの中の一小部分であって,他の行動と同じように,内的および外的な圧力に対する反応形態であり,自己表現の一つの変形とみるのである。
 この内的および外的圧力とは,満たされない,妨げとなる人間関係からくる圧力であって,少年非行の場合には,主として家族グループのなかに存在する。これらの圧力は,自我感情や愛情が満たされないための深刻な不満,喪失感,あるいは妨害されているという情動的体験として感じられ,代償的な満足を求める衝動にかられて非行という表現形式で反応するのである。それは,少年にとっては,適応の一つの方式ではあるが,それが社会に受けいれられない形であるために,非行とみなされるのである。
 この結論を引き出す論拠となったのは,同じ家族の中で,非行のある少年と非行のない少年,双生児の少年を比較した独自の研究の結果である。この研究で客観的に明らかになったことは,その生活環境のために不幸に感じ,不満をいだいているか,あるいは,情動を刺激するような状況や経験に極度に悩まされているか,または,そうした体験が存在したことがはっきりしている者が,非行少年のグループでは九一%も認められたのに対して,非行のない対照正常人群では一三%にすぎなかったのである。
 では,かれらがどのような情動障害に悩んでいたか,九六人の非行少年についてその障害の内容を整理すると,つぎのようになる。
(一) 愛情関係で拒否されている,阻止されている,不安定である,理解されない,愛されないか,それとも愛情が奪われているというはげしい感情(四六例)
(二) つぎに挙げるような,愛情以外の点で妨げられているという深刻な感情(二八例)
(1) 自己表現をしたいという正常な衝動または他の自己満足
(2) 幼児のころにそこなわれたための異常な願望
(3) 思春期に特有な衝動または願望
(三) 家庭生活,学校,交友関係,スポーツ関係での不適当または劣等の強い感情(四六例)
(四) 家族間の不調和,両親の素行不良,家庭生活の諸条件,統制としつけのうえでの両親の過誤に対する強い不満(三四例)
(五) 同胞に対する強い嫉妬の感情,ひどくまま子扱いされているという感情(三一例)
(六) 根深い,しばしば抑圧された精神かっとうにもとづく混乱した不幸感情(一七例)
(七) 幼いころの非行,または非行に属しない行動に対する意識的,無意識的な罪責感(九例)
 対照になった非行のない少年達の中にも,かなりの程度の情緒的な不快を経験した者が一四例あったが,かれらは,いずれも心の平衡をとりもどす満足をどこかで見つけていたという。
 右に述べたような情動障害に対する反応として非行が行なわれるわけであるが,ヒーリーが分類している反応型は,つぎのようなものである。
(一) 一時的な方便として,不快な状況を「逃避」によって免れようとする試み
(二) 非行によって「補償的な満足」を得ようとする試み(代償行為)
(三) 傷つけられた自我を「男性的抗議」によって強化し,あるいは支持しようとする試み
(四) 直接的,意識的に,あるいは無意識的に,「復しゅう」の態度を示すことで,自我の満足を得ようとする試み
(五) 権威に対する敵意と反抗の表示によって,「自我を膨張」させようとする試み
(六) 「独立と解放」への衝動を満たすための試み
(七) 罪に対する意識的,無意識反応としての「罰」の追求
 ヒーリーの見解は,非行発生の心理的機制を人格深層に立ち入って分析したものであり,このような原因理解は,直ちに心理的な治療に結びつくものである。またこのような人間関係の障害から生まれる情動障害の理解は,精神医学が社会学や心理学と協力して問題の解明にあたろうとする共通の広場となるであろう。