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 昭和41年版 犯罪白書 第三編/第二章/四/1 

1 メッツガーの「力動的構成体の理論」

 メッツガーによれば,犯罪を構成する要因として考えられる素質的要因と環境的要因とのそれぞれに属する多数の要因について,そのいずれが優位を占めるかを論議するなどということは,問題提起そのものが出発点において誤っているというのである。これらの要因は,個々に独立し固定した強さをもって作用するものではなく,ある一定の時点においても,また発達史的にみても,相互に複雑にからみ合っており,かつ,その組合せに従って,その強さを異にするものである。われわれの対象は,ここに述べたような「力動的構成体」でなければならない。しかしながら,一挙に全体的に力動的構成体について論議することは,いたずらに混乱を招くだけであるので,メッツガーは,これを素質の力動学,環境の力動学および素質と環境の力動学の三つの範ちゅうに区別して考察し,このようにして,全体的な理解を得ようとするのである。
 まず,いわゆる素質の力動学において,メッツガーは,「潜在的犯罪」ということと,犯罪者の全人格内にしばしば認められる「素質相互間の対立」という現象に注目したのである。犯罪行為への傾向は,たとえ最善の優秀な人間のなかにも存在するというのである。すなわち,何人も,犯罪性の思想とそれへの追求傾向を人格の深層に所有しているが,法は,思想や深層精神の状態を罰するものではないから,これらの傾向は,刑罰の対象になることはなく,そこには,いわゆる潜在的犯罪が存するにとどまる。しかし,問題は,その傾向がどのようにして犯罪行為となって顕現するかである。メッツガーは,精神医学者のホフマンなどの研究結果を参考として,「素質―対立」の理論を説くのである。すなわち,たとえば,さきにクレッチマーの体型による気質分類に関する所説を紹介したが,そこで説かれた気質は,むしろ理念的な存在であって,実際の人間は,遠い祖先以来幾重にも混合し続けてきた,しかも,いわば渾然一体となった性格特徴を持っている。それゆえに,たとえば,凶悪な殺人犯人が,その凶暴性にもかかわらず,特定の人間や動物に対して優しい愛情を示すようなことは,なんら不思議ではない。個々の性格特徴は,相互に結合し,反発し,敵対し,また,相互に拘束する。そして,それらの総体が,一つの力動的構成体として,あるときには,犯罪の実現に至るというのである。つぎに,メッツガーは,同様な考え方をいわゆる環境の力動学においても説いた。多くの環境的要因もまた,個人の出生からその犯罪の遂行に至るまでの長期間にわたって作用するが,それらは,やはり単独ではなく,相互に複雑な組合せを形成して作用するというのである。たとえば,貧困という要因に,さらに,親の愛情の欠如という要因が加われば,それらが一体となって犯罪への傾向を助長するということは,容易に理解しうるであろう。このようにして,メッツガーは,最後に,いわゆる素質と環境との力動学に達したのである。この段階においては,もはや素質と環境とを分析することさえ困難とたるのである。けだし,たとえば,環境は,素質の形成に作用し,また,そのようにして形成された素質は,環境の形成に作用して,いわば無限に進行しつつ,両者の力動的構成体を構成するものと考えられるからである。そこで,犯罪とはこのような構成体の一つの働きであって,その原因は何かと言えば,構成体全体といわざるをえないようなことになる。しかしながら,このことから素質,環境問題の問題性を否定しようとするならば,それは明らかに誤りであり,反対に,この問題は,依然として将来も,犯罪学の中心課題の一つとして存続するであろうと,メッツガーは注意している。