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 昭和41年版 犯罪白書 第三編/第二章/五 

五 多面的近接グリュックの方法

 以上,犯罪原因についての研究方法を,素質論,環境論およびいわゆる力動的の各立場から説明した。これらの方法は,生物学,精神医学,心理学,社会学などの犯罪に関連ある諸科学にわたっており,それぞれ独自の専門的視点を持っているわけであるが,他方,これらの諸科学分野においては,日進月歩,新たな研究成果が獲得されつつある。ところで,刑事学においては,このような多方面かつ専門的な犯罪原因研究方法を統一し,包括的な視野から分析と解明を行なうことが重要ではあるが,それはまたきわめて困難とされている。しかしながら,このような試みが全然なされていないわけではない。たとえば,グリュック夫妻が「少年非行の解明」で用いた非行原因に対する多面的近接方法は,その糸口ともいうことができる。そこで,以下,グリュック夫妻の研究を略述する。
 グリュック夫妻は,まず五〇〇人の非行少年をボストンの少年院から選び,ついで,その対照群として,これらの非行少年と,性,年令,知能,人種および居住地域をほぼ等しくする五〇〇人の非行のない少年を選定した。非行群および対照群の各少年について,専門家による社会学的調査,心理学的検査,身体的診査,精神医学的面接診断などが実施され,非行の要因と考えられる四〇〇をこえる項目についての資料が集められた。この際,グリュック夫妻が分析に用いた項目内容のうち主要なものはつぎのとおりであった。
 家庭環境(近隣地域,家庭の物的態様,経済状態,家族状況),家族生活の背景(両親の育った環境,世帯主としての責任に対する両親の適格性,両親の経済状態,父親の職歴)家族生活の質(家庭の秩序正しさ,文化的素養,家族の誇り,家庭内の行動基準,両親の婚姻関係,権力のある親,母親の監督,家族のレクリエーション,家族の結合),少年と家族との関係(家族の不安定,少年と両親との間の愛情,少年に対する兄弟姉妹の愛情,少年の福祉に対する両親の関心,少年に対する両親のしつけ),少年と学校との関係(就学年限,学業遅滞,学科の好悪,学力と成績,成績の変異,学校に対する態度,同級生に対する関係,学校における最初の不適応行動,怠学,最後の学年における行動,攻撃行動と逃避行動の特徴),少年と地域社会との関係(近隣地域との結びつき,放課後の勤め,家庭での仕事,余暇の利用,冒険的な活動,交友関係,指導のあるレクリエーション,教会への出席),身体の状態(発育健康史,身長および体重,筋力,骨格および口蓋,歯,鼻および咽喉,眼および耳,心臓および肺,腹部器官および性器,皮膚,腺,神経系統,獲得性運動障害,一般健康),体格(身体測定値,人体測定学的指数,身体的不均整,男性成分,身体型),言語的および動作的知能(言語的知能,動作的知能,言語的知能と動作的知能の比較,言語的および動作的知能の構成要素の変異性),知能の質的,力動的部面(独創性,創造性,平凡性,観察力,非現実的思考,常識,直観的洞察力,空想性,言語的にすぎる知能,問題に対する計画的接近,客観的興味に対する潜在的能力),性格およびパースナリティの構造(権威と社会に対する基本的態度,不安定感,不安感,劣等感および要求阻止,親切と敵意,依存と独立,追求の目標,パースナリティの若干の一般的性質,精神異常),気質のダイナミックス(深い根源を持つ情緒のダイナミックス,食欲的―美的傾向,パースナリティの方向づけ,情緒的かっとうとその根源,かっとう解決の方法)。
 この研究は,アメリカ一流の統計学者,人類学者,分析的心理学者,体質学者,精神医学者などの協力のもとにすすめられたが,着手されてから発表をみるまでに一〇年の期間を要した。集められた資料は,非行群と無非行群について集計され,厳密な統計的処理によって比較検討が加えられた。この結果,グリュック夫妻は,非行原因として有意であると考えられる多くの因子を見いだしたとする。グリュック夫妻は,それらの発見を基礎として,非行原因を解明するための分析を加え,いちおう,つぎのような結論を導き出している。すなわち,非行少年の特徴は,
(1) 身体的には中胚葉型(筋肉質)に傾く。
(2) 気質的には不安定,精力的,衝動的,外向的,攻撃的,破壊的(しばしば加虐的)である。
(3) 態度および行動は,敵対的,攻撃的,怨恨的で疑い深く,がんこ,社会主張的,冒険的,反因襲的で,権威に対し服従的でない。また,象徴的な知的表現よりも直接的かつ具体的表現をとる傾向があり,課題の処理のしかたは計画性に乏しい。
(4) 家庭的には,理解,愛情,安定性または道徳性に乏しい家庭で,人格形成の初期に,保護者や指導者として適当でない親によって育てられている。
 右のような多面的な研究方法は,刑事学の分野においては新近接方法を提供したものとして評価されているが,この方法については,さまざまな立場からの批判がたされており,まだ,原因論としては検討を加えるべき余地が多く残されている。このような方法をより内容的に充実するためには,研究の基礎となっている諸科学の個々の事実に対する証明をいっそう精密なものとし,また,これを総合するための理論的な立場が確立されることが必要とされる。
 つぎに,付言するが,グリュック夫妻は,原因論について新しい方法を試みたばかりでなく,少年非行を早期に発見するための予測法についてもすぐれた研究を行なっている。さきに述べた調査研究の結果得られた非行群と無非行群を識別する多くの因子中,グリュック夫妻は,少年の生育時(おおむね小学校入学時)にさかのぼって比較的確実な資料を収集しうると考えられた因子を選び,独自の加重失点方式による予測表を構成した。この予測表は,社会的,心理的および精神医学的な三種類のものが考案されている。各予測表の構成因子および各因子のサブ・カテゴリーに与えられる失点は,III-43表のとおりである。失点が二五〇点以上の場合には,非行化する確率が高いとされている。三種の予測表のうち,社会的予測表については,アメリカ各地をはじめ,ヨーロッパなどの諸国で人種,性,年令,地域などを異にした対象について追試研究が行なわれ,かなり高い的中率が報告されている。

III-43表 社会的・心理的及び精神医学的5因子によるグリュックの非行予測表

 わが国においても,一部の研究者たちによって部分的な研究が行なわれていたが,法務総合研究所では,少年非行の未然防止が刑事政策上きわめて重要な意義を持っていることにかんがみ,予測法の研究に着手し,まず,グリュック夫妻の社会的予測表のみならず,心理および精神医学的予測表についても調査研究を行なった。その調査研究は,東京および川崎の非行多発地域の公立中学校生徒ならびに,これらと性,年令,知能程度,地域をほぼ等しくする初等少年院在院中の非行少年を対象として行なわれたもので,法務省部内の専門家および東京大学その他に所属する精神医学者,心理学者,社会学者などの協力をえて,グリュックの方法に可及的忠実に資料の収集を行ない,各予測表ごとにその識別力を検討したものである。この結果,III-44表に示すように,最も識別力の高いのは,精神医学的予測表であって,全員の九二・一%を正しくいいあてることができた。社会的予測表の識別力は六六・九%で,グリュックの場合よりかなり低い。とくに,″非行のない者″を″非行がない″とした割合は著しく低い(五〇・三%)。この事実は,アメリカと社会経済的条件を異にするわが国の場合,非行のない少年の置かれている家庭環境が全般的に水準が低いことを示すものとみられる。したがって,予測表の失点水準を修正する必要が認められたのである。もし,失点水準を三〇〇点とした場合には,七二・四%まで識別力を高めることが可能である。心理的予測表についても,失点水準を修正することによって七三・四%まで識別力を高めることができた。

III-44表 社会的・心理的及び精神医学的予測表の識別力

 このように,グリュック予測表は,わが国の場合においても,もし,これに若干の修正を加えれば,かなり高い識別力を持ちうることが明らかにされたが,しかし,この予測表を実際の場合において利用しうるためには,資料の収集に手間がかかり,判定のために多数の訓練された専門家を必要とし,また,判定基準についても検討する余地が残っていることなどの理由によって,かなりの困難が伴うことが予想される。法務総合研究所においては,これらの諸点を改良し,少年非行を早期に発見するための実用的な予測表の検討を続けているが,まだ,的確な結論を得るに至っていない。