都電荒川線三ノ輪橋駅の程近く,店先に糠床を並べた青果店や揚げたての惣菜を格安で売る弁当屋などが並び,町並みも道行く人々の雰囲気もどこか懐かしいアーケードの商店街の中程から少し路地に入ったところに荒川区の区民事務所「ひろば館」がある。更生保護サポートセンターへとつながる同事務所の階段を上る途中,「いらっしゃい」と声を掛けてくれたのは,荒川区保護司会 保護司 桐原登美子 氏だ。面接に訪れる保護観察対象者もまた,同じように温かく迎え入れられるのだろう。
荒川区更生保護サポートセンターは,平成27年4月,区民事務所の改修工事に伴い,3階部分に設置された。荒川区は,同事務所の一部を荒川区保護司会に無償で貸与している。入口を入ってすぐのところに保護観察対象者との面接を行う部屋が設けられ,他に保護司会の事務を行う場所や保護司同士が協議を行うためのスペースも設けられている。荒川区による様々な支援の中でも更生保護サポートセンターの設置に対する支援の意義は大きいと,荒川区保護司会 鈴木文男会長は語る。同じ区内の保護司でも交通の便から利用しづらい人がいることなど,課題はあるものの,更生保護サポートセンターの設置により保護司会と行政の距離が縮まり,地域に保護司会の活動が見えやすくなった。その設置に至るまでには,西川太一郎 荒川区長を始め多くの荒川区職員の理解と協力があったというが,なかでも保護司会と区役所の橋渡しに大きな役割を果たしたのが「区役所職員保護司」の存在であった。
荒川区は,元々「社会を明るくする運動」にも積極的に取り組み,保護司会と区が「子どもの居場所づくり事業」に連携して取り組むなどの交流があった。西川区長も更生保護に高い関心を持っており,保護司会と交流する中で,保護司会が保護司候補者の確保に苦慮していることを知り,区役所職員から保護司を出すことを提案した。区長の呼び掛けに応えた荒川区在住の区役所職員6人が,平成24年12月,荒川保護区の分区ごとに1人ずつ,新たに保護司として委嘱を受けた。6人の区役所内における立場は様々で,それまで直接保護司活動との接点がなかった者が大半であったが,全員が荒川区で生まれ育ち,元々地域でPTAや町会・自治会の役員を務めるなどいずれもボランティアの経験は豊富だった。現在,荒川区で区民課長を務める 秦野泰嘉 保護司もその一人で,「区役所内で「これは」と思う人にお互い声を掛けて候補者を選定した。他所で単純に「地方公共団体職員から保護司を」とやってもうまくいかないだろう。」という。地域のボランティア活動に関わる中で保護司と顔見知りだった人も多く,声を掛けられた職員全員がほとんど抵抗なく引き受けた。
当初は犯罪予防活動等への参加が中心で,区長から保護司との「兼職」の許可も得て,行事や研修会には,勤務時間中であっても職務に支障のない範囲で参加した。しかし,こうした保護司活動を続ける中で,徐々に気持ちに変化が生じていった。同じく荒川区役所で勤務し,区議会事務局の課長補佐を務める 小原実 保護司は,「保護司さんという素晴らしい人々と交流するうち,「自分も同じ土俵に立ちたい,一緒になって保護観察事件を担当してみたい」と強く思うようになった。」と振り返る。当然,不安はあった。少年院から仮退院した少年や刑務所出所者と自宅で面接する場面では,同居する年頃の子供のことを考えて思わずちゅうちょする。そうした時に,更生保護サポートセンターの面接室を使えるといかに助かるかということを保護司の立場で実感したという。また,いきなり一人で全て対応するのではなく,一人の保護観察対象者を先輩保護司と共に二人で担当するという複数担当制の仕組みも心強かった。気が付けば,段々と保護観察事件への関わりの程度も深まり,担当件数を重ね,今では自分の意識も周囲の接し方も「普通の保護司」であるという。もちろん,保護司会と行政とが連携・協力して取り組む場面では,両者間の調整役を果たすこともある。前述の更生保護サポートセンター設置の場面だけではない。それぞれの区役所職員保護司が持つ職務上のバックグラウンドに応じ,地域振興分野の識見をいかして保護司会と町会等の他の地域団体との調整役となったり,障害者福祉分野の専門知識をいかして薬物事犯者の行政手続の円滑化に尽力したりした事例もあった。ただ,同保護司会の桐原氏は,当初のきっかけこそあれ,同じ仲間の保護司の職業がたまたま現役の区役所職員であっただけという感覚だという。保護司となったきっかけは様々でも,犯罪や非行をした人たちの多様な人生に一人一人真剣に向き合うこと,そこに保護司を続けていく上でのやりがいがある。肝腎要の部分に違いはないのだと考えている。
平成29年4月1日現在で,荒川区保護司会には7人の区役所職員保護司がいるが,その全員が,区役所を退職後も保護司を続けていく意向だという。
更生保護サポートセンターの設置をきっかけとして,荒川区役所の中でも保護司や保護司会の認知度が高まり,区役所が審議会等の委員就任を保護司会長に依頼するケースも増えた。保護司会が区役所から支援を受けるだけではない,お互い持ちつ持たれつの関係だと,荒川区役所職員の立場から秦野氏は語る。
このような保護司会と行政の良好な関係を生んだものは何だろうか。鈴木会長や桐原氏は,荒川区という土地柄も大きいという。区民には人情味や思いやりがあり,立ち直ろうとするなら支えようという姿勢がある。町会単位でも保護司活動への理解が深く,毎年開催している「社会を明るくする運動」コンサートは,会場の定員を大幅に上回る応募があるほど区内で定着している。立ち直ろうとする人を支えようとする区民の姿勢,そして,そうした区民の生活を支えるとともに,犯罪や非行をした人たちを同じく地域で生活する区民として迎え入れようとする区役所職員の姿勢が,保護司会と行政との良好な関係の構築に大きく貢献しているのだという。地域の中で犯罪や非行をした人たちを支える活動に取り組む荒川区の保護司は,地域の人々や荒川区の行政に支えられながら,今日も活動を続けている。