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 昭和40年版 犯罪白書 第一編/第三章/余論 

余論 人口と犯罪

 以下に述べるところは,犯罪の原因に関する論議には直接の関係がないものであるが,ある意味で犯罪の背景に関する一つの資料と考えられるので,とこに余論として掲載することにした。
 総理府統計局の推計によれば,昭和三八年一〇月一日現在,わが国の総人口は九六,一五六,〇〇〇人であって,世界第七位となっており,また,人口密度は一平方キロメートルあたり二六〇人で,これは,世界第五位となっている。このような実情にあるわが国において人口の動態が各種の社会現象に影響を及ぼすことは当然であり,その犯罪発生数に対する影響力もまたきわめて大であると思われる。
 そこでまず,過去におけるわが国人口の動態を概観する。I-92表は大正九年以降の総人口の推移をみたものであるが(ただし,昭和三四年以後は各年ごとみている),大正九年に五五,〇〇〇,〇〇〇人強であった人口はその後増加の一途をたどり,昭和三四年には九〇,〇〇〇,〇〇〇人を越え,三八年にはさきに述べた如く九六,〇〇〇,〇〇〇人強と推計されるにいたり,大正九年の指数を一〇〇とした場合,昭和三四年には一六八,そして三八年には一七四の指数を示すにいたった。

I-92表 総人口の推移

 このような人口の動向は犯罪および犯罪者の数の増減に影響をおよぼしているものと考られるので,刑法犯を取り上げて対比してみよう。I-7図,およびI-93表は戦後における一四才以上の有責人口ならびに(この意義については前出七頁)刑法犯発生件数および同検挙人員の推移をみたものであるが,これによると,昭和二〇年から三〇年頃までの約一〇年間は,有責人口が戦後上昇の一途をたどっているのに対して,刑法犯発生件数および検挙人員数は,それぞれ波状に起伏があって,必ずしも有責人口の増加に対応していない。しかし,昭和三〇年頃からは,後二者がそれぞれ増勢に転じてきている。すなわち,昭和三一年を一〇〇とした場合,発生件数は毎年指数の上で一ないし三程度の漸増を示し,また,検挙人員数もわずかづつ増加の傾向にある。そして,これを有責人口の増加指数と比較すると,傾向的にはおおむね軌を一にしていることがわかる。思うに,終戦後の約一〇年間とくにその前半の数年間は社会事情がいちぢるしく不安定な時期であったわけで,この間の傾向を人口動態との関連において捕えることは困難であるといわざるをえないが,これに対し,社会事情が安定を回復したと考えられる最近の一〇年間についていえば,人口の増加が犯罪および犯罪者の増減に影響を及ぼしている事実がみられるといってよいであろう。ちなみに,厚生省人口問題研究所の「将来推計人口」によれば,わが国の総人口は昭和四五年には一億を越え,その後増勢は鈍るけれども昭和七〇年には一億二千万に達し,横ばいの後減少のきざしがみえるようになるとされている。そうだとすれば現在の社会事情に特段の変動つまり終戦直後の混乱のような特殊事情が生じない限り,今後数十年の間,わが国の犯罪は数の上では増加し続ける可能性があるとみて差支えないと思われる。

I-7図 有責人口,刑法犯発生件数,同検挙人員の推移

I-93表 有責人口,刑法犯発生件数,同検挙人員の推移(昭和20〜38年)

 右に述べたところは人口および犯罪の動向の一般的関連ともいうべきものであるが,次にわが国の過去の人口動態現象のうち,この際犯罪との関連において考察することが適当と思われる二つの点をとりあげて,それぞれに関し注目を要する若干の事実を指摘しよう。
 その一は,わが国人口の年令構成の変化ということについてである。I-8図は昭和一〇年および昭和三八年の年令階級による人口構成ならびに昭和五〇年に推定されるそれを比較したものである。図に示されるように昭和三八年における人口の年令構成は,一〇から一四才までが最も多く,ついで一五から一九才までとなっており,そして九才以下の年令階級が少なくなっていることが特徴的である。人口の年令構成は出生率,死亡率がともに高い場合には年令の低い階級が最も大きく,年長になるにしたがっててい減するいわゆる「ピラミッド型」となる。戦前のわが国の年令構成分布はこのような形に近かった。しかるに,終戦直後のいわゆるベビーブーム,その後かなり普及したように思われる産児制限による出生率の低下は人口の年令構成の割合にかなりの影響をおよぼし,また,公衆衛生および医学の進歩などによって死亡率の低下を招来し,最近における人口の年令構成の特徴的な姿を現出せしめるにいたった。人口問題研究所の資料によれば,昭和一〇年の出生率(旧沖縄県を除く)は三一・七,死亡率は一六・八であったのに対して,昭和三〇年の出生率は一九・四,死亡率は七・八であり,昭和三八年には出生率は一七・三,死亡率は七・〇と低くなってきている。若しこのような少産少死の傾向が今後もつづくとすれば,昭和五〇年にはわが国人口の年令構成は,青壮年人口がいちじるしく膨脹し,老年人口の割合が増大すると予測されているのである。

I-8図 年令別人口構成の変化

 このような人口の年令構成変化は犯罪者または非行少年の年令構成にも何らかの変化を与えるものと考えられるので,以下刑法犯についてこの点を検討しよう。I-94表は昭和三〇年,三五年および三八年の刑法犯検挙人員の年令階級別推移を各同年の人口の年令階級の推移と対比させたものであるが,これによると,二〇才未満および二〇才ないし四〇才未満の各年令階級においては,検挙人員数も人口もおおむね増大している。すなわち,かりに右二つの年令階級を合算して考えれば,昭和三八年には昭和三〇年と較べて,人口の面では一〇,七六六,〇〇〇人増加しているのに対して,検挙人員数は一四七,七九二人増えており,昭和三八年の数の三〇年のそれに対する比率は,人口,検挙人員ともにほぼ一五%増となっている。これによるときは,壮年,青年(二〇才以上ないし四〇才未満)および少年(二〇才未満)の人口の増加は犯罪の増加とかなり関連を持ちうるといって差支えないように思われる。なお,この場合少年の検挙人員の増加率が,いちじるしいことに留意しなければならない。これに対して,四〇才以上の高年令層においては人口の漸増にもかかわらず,検挙人員数が漸減している事実が注目される。思うに,これは,少年の検挙人員の増加率がいちじるしいこととともに,単純に人口増減の影響という考え方で説明しきれない問題であることが明らかである。少年の年令構成と犯罪との関連性については,さらに後述るすが,高年令層に関しては,さしあたり右の事実を指摘するに止めたい。

I-94表 人口と刑法犯検挙人員の年令階層別推移

 その二は,近時わが国の人口移動が大都市およびその周辺地域にいちじるしく集中しつつあるということについてである。総理府統計局の推計によれば,昭和三八年一〇月一日現在の都道府県別人口で最も多いものは東京で約一〇,五一〇,〇〇〇人,ついで大阪約六,一九〇,〇〇〇人,北海道約五,一二〇,〇〇〇人,愛知約四,五七〇,〇〇〇人,兵庫約四,一四〇,〇〇〇人などの順になっており,れらについで,福岡,神奈川,静岡,埼玉,および千葉の各県が上位を占めている。ところで,I-95表は過去におけるこれら上位一〇都道府県の合計人口数およびその全国人口中に占める割合の推移をみたものであるが,大正九年に約二一,六五七,〇〇〇人であった一〇都府県の人口は昭和一五年に約三三,〇四四,〇〇〇人,同三五年には約四三,四一九,〇〇〇人となり,その後も毎年かなりの勢いで増加している。しこうして,全人口中に占める割合も,大正九年の三九・一%に対して,昭和二五年には四一・一%,同三五年には四六・五%となり,昭和三八年には四八・四%と,全国の半数に近い割合を占めるにいたつた。右一〇都道府県のうち,北海道以外のものがいずれも六大都市を含む府県またはその周辺県であること,および,とくに東京都の場合は全国人口の約一〇分の一を占めていることをあわせて考えなければならない。このような大都市およびその周辺地域の人口増加の原因としては,これら地域における出生によるいわゆる自然増加も無視できないが,他方,他地域からこれら地域への転入者の増加すなわちいわゆる社会増加が有力な原因となっているのである。東京都総務局統計部の資料によれば,昭和三七年において他府県から東京都へ転入した者は一一三,三五七人であったとされている。I-9図は東京都およびその周辺県の社会増加率の推移を示しているが,これによっても大都市およびその周辺地域において人口の社会増加が著しいことが明らかである。とくに最近は大都市自体の増加率がやや停滞,または下降し,新産業都市を含む周辺県の社会増加の勢いが強くなってきていることが注目される。ところで,このような人口の大都市地域への移動は,農業県の人口の相対的減少によってまかなわれている。たとえば,昭和三七年一〇月から同三八年九月までの一年間に,全国で人口が減少した県の数は,二三にものぼっているのである。

I-95表 人口移動上位10都道府県の人口推移

I-9図 東京およびその周辺県の社会増加率の推移

 さて,右のような人口の移動が犯罪の動態に及ぼす影響は無視することができない。I-96表は刑法犯検挙人員について六大都市を含む都府県および,その他の地域別に昭和二五年からの推移を指数であらわし,これを右各地域の人口の推移と対比したものである。これによると,まず人口の面では,六大都府県は,昭和二五年の一〇〇から累年増加し,三八年には一四八となっている。これに対して,その他の県では,昭和三〇年にやや増加したがその後は全く横ばい状態にある。他方,刑法犯検挙人員は,六大都府県ではおおむね増加しつづけて,昭和三八年には一二一の指数となっているが,その他の県では,昭和三〇年以後ほとんど横ばいといってよい。そして,これら人口と検挙人員とのそれぞれの推移を対比すると傾向的には軌を一にしているとみて差支えないと思われる。このようにして,大都市への人口の集中には犯罪の増加がともなっていることがうかがい知られるのである。

I-96表 人口と刑法犯検挙人員の推移(昭和25〜38年)

 さらに人口の社会増加と犯罪発生状況との関係をみておこう。昭和三六年から三八年までの間に人口の社会増加率の高かった上位の都府県について,昭和三六年から三八年までの間の全刑法犯発生件数の増減状況を比率にしてみると,埼玉一〇・八%増,神奈川三・〇%増,大阪九・四%増,千葉一〇・二%増,東京四・八%増などとなっている。同期間の全国平均では増加率一・八%となっているから,これらの都府県では刑法犯発生件数の増加率が平均を上まわっていることとなる。要するに,人口の社会増加の速度の大きいこれらの地域においては,刑法犯の発生率もかなり高いということになる。と同時に,この点は刑法犯に限らず,たとえば,道路交法違反その他の特別法違反などが人口増加率の高い大都府県に顕著に増加しつつあることとなどは改めて説くまでもない。