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 平成 9年版 犯罪白書 第2編/第2章/第2節/1 

第2節 少年法

1 終戦時の少年法

 第二次世界大戦終結時において施行されていた(旧)少年法(大正11年法律第42号)は,少年に対して成人とは異なる処遇制度と刑事手続を規定した我が国初めての少年法制であり,その骨子は,[1]少年法を適用する少年の年齢を18歳未満としたこと,[2]刑罰法令に触れる行為をした少年(犯罪少年)又は刑罰法令に触れる行為をするおそれのある少年(虞犯少年)に対し保護処分をすることができることとしたこと,[3]保護処分の審判を行うため,司法省下の行政機関(準司法的組織の専門機関)としての少年審判所を設けたこと,[4]人格調査の方法を取り入れ,処遇の個別化を考慮したこと,[5]保護処分として寺院,教会,保護団体又は適当な者への委託,少年保護司の観察,感化院への送致,矯正院への送致など9種類の処分を設けたこと,[6]不定期刑制度の新設,犯時16歳未満の者に対する死刑及び無期刑の原則的禁止等少年に対する刑事処分の特例を定めたこと,[7]犯罪少年に対しては,まず,検察官が刑事裁判所に起訴するか否かを判断した上,起訴しない少年の中から保護処分相当と認められるものを少年審判所に送致する検察官先議の建前をとったこと,[8]刑の執行を猶予された者又は仮出獄を許された者に対して,少年保護司の観察に付することを定めたことなどである。
 (旧)少年法の公布と同時に公布された矯正院法(大正11年法律第43号)は,少年審判所から送致される少年を収容するための施設である矯正院について規定していた。また,その後,審判前に一時収容するため,少年審判所等から仮に委託された少年を収容する施設として,矯正院の出張所が,少年審判所に隣接して設置された(これが現在の少年鑑別所の前身である。)。
 (旧)少年法が施行された当時,14歳未満の刑事未成年者の処遇は,感化法(明治33年法律第37号)に基づいて行われ,不良行為をなし又は不良行為をなすおそれがあり,かつ,適当に親権を行うものがなく,地方長官が入院を必要と認めた者は,感化院に収容されることとされていたが,昭和8年に感化法が廃止されて,少年教護法(昭和8年法律第55号)が制定され,感化院は少年教護院と改称されることとなった。また,同法の規定により,少年の科学的審査のための少年鑑別機関を設けることができることとなり,漸次,各道府県の少年教護院内に少年鑑別所(戦後,児童福祉法に基づいて設置された児童相談所として引き継がれた。)が設置された。