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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第4章/第2節/3 

3 少年鑑別所

(1) 鑑別制度及び処遇の変遷
 少年鑑別所は,現行の少年法及び少年院法が制定されたことによって,昭和24年に,法務府(現在の法務省)所管の施設として設置された少年観護所に附置された。その後,少年法及び少年院法の一部が改正され,25年には両者が統合されて少年保護鑑別所となり,さらに,27年には少年鑑別所と名称が改められて現在に至っている。少年鑑別所は,原則として,家庭裁判所の本庁所在地にこれに対応して設置された。その後,支所の増設,支所の本所への昇格,沖縄の復帰に伴う那覇少年鑑別所の設置などを経て,平成元年5月現在,少年鑑別所は,全国に本所51庁,支所2庁が設置されている。設立以来,少年鑑別所の内部組織は,所長の下に庶務,観護,鑑別及び医務(ただし,医務課を欠く施設もある。)の4課が置かれ,また,施設の規模に応じて次長が置かれてきた。63年4月に少年院及び少年鑑別所組織規程の一部が改正され,観護課及び鑑別課は統合されて鑑別部門となり,首席専門官1人が置かれ,その下に複数の統括専門官,専門官等を配した専門官制度が導入されることとなった。専門官制度は,少年鑑別所の中心的業務である観護及び鑑別が,いずれも心理学,教育学,社会学等の行動科学を中心とする高度な専門的知識と経験を必要としているところから,これらを有する専門職員が一体となって資質鑑別に当たれるようにされた職員組織上の制度である。
 少年鑑別所は,戦後新たに発足した少年矯正施設として,当初は,過剰収容の状況下で,施設設備,職員配置,制度運用基準等の体制整備に多大な努力を要した。特に,非行少年の処遇に科学主義を導入しようとする使命を担って,その機能を充実することが急務であった。鑑別に携わる行動科学の専門家や医師が集められ,同時に,関係諸規程,書式等が整備された。職員の配置が一応整った昭和26年には,広く社会の少年健全育成に貢献するために一般少年鑑別制度も設けられた。少年鑑別所の発足後30年代にかけて,施設建物,人材の整備が着実に進み,特に鑑別技術上では,欧米から臨床的諸知見・技術の紹介・導入が積極的に図られ,また,鑑別担当専門職員の体系的研修も開始されるなど大きな進展が見られた。しかしながら,全国的には,なお施設運営上の不均衡,観護処遇や鑑別手続等における施設間格差も存在していた。
 昭和40年には,上記の課題に対応するため,鑑別業務の標準化作業が始められた。標準化とは,少年鑑別所を合理的に運営し,鑑別と観護の業務を充実・向上させるためには,少年が安心して鑑別・審判を受けられるような観護場面を作り,鑑別と観護の機能を有機的に一体化するとともに,施設間の運営上の不均衡を是正し,施設の規模に応じた運営方式を確立しようとするものである。41年,44年には少年鑑別所の試行庁においてなされた標準運営の結果が検討され,その後,46年には矯正局に少年鑑別所標準運営小委員会(50年に鑑別業務適正・充実化作業会議に統合)が置かれて少年鑑別所の諸般にわたる標準化が図られてきている。この間になされた主な作業として,少年鑑別所の建築基準,適正整備計画等の立案,42年から開始された諸心理検査の開発,49年からの「鑑別事例集」の刊行などがある。また,この時期は,交通事犯少年に対する固有の鑑別が要請され,48年には交通鑑別関係諸倹査に係る「交通鑑別ハンドブック」が刊行され,鑑別人員中に大きな比率を占めるようになった交通事犯少年の標準的鑑別に活用された。
 昭和50年前後に収容少年は減少したものの,非行少年の質的な多様化が見られたこともあって,鑑別精度の向上が促進され,鑑別判定に係る研究,論議が活発化した。一方,52年から実施された少年院の運営改善に伴い,少年鑑別所においても少年院を始めとする処遇関係機関との一層の連携が要請されることとなった。個々の少年に対する効果的な処遇指針を提供するために鑑別の一層の精ち化,多様化が求められたところから,鑑別と観護の有機的一体化が図られ,探索処遇(第3編第2章第3節2参照)や前記専門官制度の導入がなされた。最近では,61年に鑑別結果通知書の様式が全面改正されている。これは,家庭裁判所に送付する鑑別結果の通知方式の標準化を図ること,判定の根拠を明確にするためにその理由を記載することなどを目的とした改正である。また,現在,鑑別業務へのOA機器導入作業も活発に行われている。
 以上のように,少年鑑別所は,少年法で期待されている非行少年の科学的処遇を実践するために戦後新たに設立された施設で,その発展過程において,刑事政策の一翼を分担するに際しての人間行動科学活用の重要性を標ぼうしたのである。少年鑑別所に集められた資質鑑別技官は,有力な専門家集団を形成するところとなり,単に少年鑑別所において実績を挙げるにとどまらず,これら専門職員が行刑施設及び少年院にも配置されて,知識,技術を伝達することによって分類処遇制度の確立や各種処遇技法の導入を図るなど,矯正施設全般において戦後の被収容者処遇の科学化促進に大きな貢献を果たしたといえる。また,少年鑑別所に属する専門家は,法務総合研究所と協力して,非行予測,非行少年の類型化,各種非行少年の特性研究などを行い,犯罪・非行研究一般の分野においても,幅広い寄与をなしてきた。
(2) 鑑別対象少年の推移及び特徴
 IV-54図及び付表27表は,昭和24年開設以降における少年鑑別所新収容人員の推移を示したものである。これによると,新収容人員は,24年の1万6,094人から増加し,26年には過去最高の4万820人に達した後漸減し,31年の2万9,332人を底に再び増勢に転じ,34年から41年にかけて高原状態で推移して,その後は49年に過去最低の1万410人を記録するまで漸減し,以降再び増加して59年には2万2,593人に達したが,その後は減少して63年の1万9,372人になっている。この推移は,若干のずれを見せながらもおおむね警察における少年検挙人員の推移に平行している。新収容人員に占める女子の構成比は,35年の8.5%を最低に,47年までは10%以内で推移していたが,48年以降は各年10%を超え,最近5年間では15%前後を占めるまでに増加し,63年では15.4%となっている。

IV-54図 少年鑑別所新収容人員の推移(昭和24年〜63年)

 付表27表を見ると,1日平均収容人員は,昭和26年以降42年までは,おおむね2,000人前後で推移していたが,その後は減少して46年以降は1,000人以下となり,49年は593人と最低値を示した。その後増加して,59年には1,386人となったが,以降再び漸減傾向を見せ,63年では1,195人であった。
 付表27表には,各年次における新収容人員の少年人口比(少年人口1万人当たりの新収容人員の比率)も掲げられている。これによれば,少年人口比は,昭和26年と35年にそれぞれ39.0,35.7とピークが見られ,36年以降減少に転じ,49年に10.8と最低となった。その後,58年,59年にいずれも21前後まで上昇したが63年には16.2まで下降している。
 新収容者の年齢層別構成比の推移を,男女別に昭和30年からの5年ごとと63年について見たのがIV-55図である。まず,男子について見ると,いずれの年次においても,年長少年,中間少年,年少少年の順に比率が高い。構成比増減の動きを見ると,35年から40年までは,年長少年が下降を示す一方で中間及び年少少年の上昇傾向が見られ,40年を境に年長少年が増加して45年に最高の64.7%となり,この間,中間及び年少少年が最低のそれぞれ28.8%,6.4%にまで減少した。その後は,60年に至るまで年長少年の減少,中間及び年少少年の増加傾向が見られ,63年では再び年長少年が漸増して49.0%となり,他方,中間及び年少少年は漸減傾向を示して,63年にはそれぞれ36.9%,14.1%となっている。次いで,女子では,35年までは年長少年,中間少年,年少少年の順に比率が高く,40年,45年では中間少年,年長少年,年少少年の順に,また,50年以降は,中間少年,年少少年,年長少年の順に比率が高くなっており,63年には年長少年の比率は21.9%にまで低下し,中間少年が41.7%,年少少年が36.4%となっている。警察における検挙人員の年齢層別構成比に見られるほど顕著ではないとしても,男子,女子共に新収容者の低年齢化傾向が認められ,特に,女子においてこの傾向が著しい。

IV-55図 新収容者の年齢層別構成比の推移(昭和30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

 IV-80表は,新収容者の非行名別構成比を昭和30年からの5年ごとと62年について見たものである。刑法犯は,50年まで80%台を占めていたが,その後は70%台に低下している。刑法犯中では,窃盗がいずれの年次においても最も高い比率を示し,55年の37.3%を除いて常に40%を超えている。次いで高率を示す非行名は,30年には傷害で6.3%を占め,35年から50年までは恐喝で11.6%ないし7.9%となっている。55年以降は再び傷害が2位となり,60年に9%を超えるに至った。恐喝は,55年には4.5%まで下降したが,60年に5.9%,62年に6.3%といずれも3位を占めている。一方,特別法犯は,30年から50年までは3.1%ないし6.2%であったが,55年以降は売春防止法違反の減少はあるものの毒物及び劇物取締法違反と覚せい剤取締法違反の急増によって,55年から62年では14.7%ないし16.0%に上昇している。虞犯は,30年の10.9%から35年の7.4%にいったん減少したが,以降55年の13.2%まで増加し,63年では12.5%と漸減している。
 IV-81表は,家庭裁判所関係鑑別終了少年の鑑別判定別構成比の推移を昭和25年からの5年ごとと63年について見たものである。26年に少年法適用年齢が18歳未満から20歳未満へ引き上げられたため,資料に継続性のある30年以降を見ると,35年までは,収容保護が50%台で最も比率の高い鑑別判定であったが,40年から55年までは在宅保護がこれに代わって50%台を占め,60年に収容保護が48.1%,在宅保護が43.4%と再び逆転し,63年には両者がほぼ同率の45%台となっている。なお,収容保護では,中等少年院が各年次を通じて最も高く,20%前後であった40年から50年を除き,いずれも30%を超えている。

IV-80表 新収容者の非行名別構成比の推移(昭和30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)

IV-81表 家庭裁判所関係鑑別終了少年の鑑別判定別構成比の推移(昭和25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

 IV 82表は,前記の対象少年について,審判決定別構成比の推移を昭和25年からの5年ごとと63年について見たものである。上記と同様の理由から30年以降で見ると,審判不開始・不処分の比率が30年の12.3%から63年の5.5%までに,また,試験観察の比率は,35年に23.8%であったのが60年,63年では15.9%と総じて下降傾向にある反面,保護観察の比率は30年の22.0%から逐年上昇し,40年までは20%台,45年以降30%台で推移し,63年には41.3%となっている。収容保護の比率については,30年に29.6%と最高の比率であったのが,その後下降して45年には最低の19.4%を示し,50年以降上昇して60年には29.0%となり,63年には若干下降して27.1%となっている。

IV-82表 家庭裁判所関係鑑別終了少年の審判決定別構成比の推移(昭和25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

 少年鑑別所は,家庭裁判所の観護措置による収容少年の鑑別のほかにも,家庭裁判所の請求による在宅鑑別及び法務省関係機関である矯正施設,保護観察所及び検察庁からの依頼による鑑別並びに一般家庭や学校等からの求めに応じる一般少年鑑別を実施している。そこで,少年鑑別所受付人員を上記鑑別の区分別に構成比で見たのがIV-83表である。これによると,受付総数の推移は,昭和40年の8万418人まで増加した後減少し,50年に4万168人となり,その後は4万人台を続け,63年は4万9,835人となっている。鑑別の区分別に見ると,少年鑑別所の発足から30年までは,家庭裁判所関係の比率が90%を超えて圧倒的に高かったが,その後年次によりかなりの変動はあるものの,35年からは一般鑑別の比率が,また,50年からは法務省関係の比率が上昇し,63年では前者が39.1%,後者が15.0%となっている。

IV-83表 鑑別受付人員構成比の推移(昭和25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

 昭和30年代の後半から交通事犯少年の増加が見られ,これに伴い,いわゆる交通鑑別の実施数も増加した。法務省矯正局の資料によると,交通事犯少年に係る家庭裁判所からの請求による収容,在宅鑑別及び法務省関係機関からの依頼鑑別の受付人員総数は,40年に4,276人であったのが63年では1万1,472人に達している。