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2 少年非行の動向 (1) 少年の刑法犯
ア 年齢層別動向 まず,少年刑法犯の年齢層別検挙人員の動きを見てみる。年齢層別動向は,交通関係業過を含めるかどうかによって著しく異なる。IV-44図は,昭和29年以降(28年までは,少年の年齢層別刑法犯検挙人員は明らかにされていない。)の少年刑法犯検挙人員人口比の推移を犯行時の年齢層別に,若年成人(20歳以上25歳未満)のそれと対比して示したものである。少年刑法犯検挙人員の年齢層別の資料は,41年ないし45年は全刑法犯及び交通関係業過を除く刑法犯についての各統計はあるが,40年以前は前者についてのみ,46年以降は後者についてのみの統計があるにすぎないので,これらの統計資料により年齢層別検挙人員人口比の推移を見ることとする。 IV-44図 少年刑法犯の年齢層別検挙人員人口比の推移(昭和29年〜63年) 年少少年の動きを見ると,29年には,刑法犯検挙人員の人口比は6.1(検挙人員2万687人)で,その後,逐年上昇し,39年の14.0(同6万5,883人)をピークとして下降に向かい,40年代後半から再び上昇に向かっている。交通関係業過を除く刑法犯で見ると,人口比は41年の12.1から44年の9.1までやや減少したが,45年以降増勢に転じ,47年に一時停滞したものの,48年以降の増加は著しく,58年の人口比は29.5(同11万437人)と戦後最高の数値を示した。その後やや減少したが,63年には前年に比べて若干増加し23.4(同9万6,023人)となっている。中間少年について見ると,昭和29年には,刑法犯検挙人員の人口比は8.5(検挙人員2万9,780人)で,その後次第に上昇し,39年には14.5(同6万9,451人),40年には15.0(同7万3,297人)となっている。交通関係業過を除く刑法犯で見ると,41年には,人口比は11.6(同5万4,162人)で,44年まで減少していたが,45年に至って一時増加し,46年以降は横ばい若しくは増加傾向を示し,57年の18.9(同6万1,350人)をピークとして減少していたが,63年には17.4(同6万9,826人)となっている。 年長少年の動きを見ると,昭和29年の刑法犯検挙人員の人口比12.3(検挙人員4万3,875人)から逐年上昇し,42年には18.0(同8万7,533人),44年には23.7(同10万1,216人)となっている。交通関係業過を除く刑法犯で見ると,41年の人口比9.8(同4万6,405人)からおおむね減少ないしは横ばい状態で推移し,63年には7.3(同2万7,907人)となっており,年長少年の占める比率はそれ程大きくないことが分かる。 触法少年の動向を見ると,昭和29年の刑法犯検挙人員の人口比は3.3(検挙人員2万6,071人)で,32年の4.0(同3万204人),36年の6.2(同5万7,572人),38年の6.9(同5万5,366人)と上昇し,以後,下降に向かっている。交通関係業過を除く数値で見ると,41年の5.0(同3万4,006人)から56年の8.9(同6万7,906人)まで上昇していたが,57年以降は減少傾向にあり,63年には5.3(同3万8,004人)となっている。 若年成人(20歳以上25歳未満)においては,昭和29年以降の人口比の増加が顕著であるが,これも交通関係業過によるものが大きい。41年の若年成人の全刑法犯検挙人員人口比は19.8で,交通関係業過を除く刑法犯検挙人員人口比は9.8であるが,45年のそれは,28.7と8.2となっている。41年以降の交通関係業過を除く若年成人は,おおむね減少傾向にあり,63年の検挙人員は3万9,332人,人口比は4.6となっている。若年成人においても交通関係業過を除けばその動向は安定しているといえる。 このように,昭和41年以降の少年非行は58年のピークを過ぎたとはいえ,依然として多数発生しており,特に53年以降の非行の低年齢化現象が注目される。 イ 罪名別動向 IV-45図は,昭和12年以降63年までの少年刑法犯検挙人員の構成比の推移を,窃盗,交通関係業過(41年以降)及びその他の罪名に分け,5年ごとに示したものである(付表22表参照)。戦前の少年非行の特徴は,常に窃盗が首位を占めていること,詐欺,横領なども含めて財産犯が非常に多いことである。戦後は,窃盗が第1位を占めていることは同じであるが,20年代前半の窃盗,強盗の増加,30年代前半から40年代前半にかけての粗暴犯,性犯罪の増加,30年代後半以降の交通関係業過の激増,50年代以降の横領及び窃盗の増加などの特徴が認められる。 (ア) 窃盗及び横領 少年非行の中で,量的に見て最も多い罪名は,窃盗である。付表22表によれば,少年の窃盗検挙人員は,昭和11年には2万9,750人で,その後おおむね3万人ないし5万人で推移していたが,戦後急増し,21年には8万7,825人,26年には12万7,122人を数えた。その後減少したが,34年以降再び増勢に転じ,38年の13万6,027人にまで増加した。40年代にやや減少して,44年には9万6,032人と戦後の最低を記録した後,再び増勢に転じ,47年には10万3,451人,58年には20万2,028人となり,その後は減少傾向を示し,63年には17万5,734人となっている。少年刑法犯検挙人員総数に占める窃盗の割合は,IV-45図のとおり,12年には64.7%で,17年には71.0%と,次第にその比率は高くなり,20年代には,おおむね70%を超えて推移しているが,30年代に入ると,その比率は低下し,50%台となり,42年には48.4%と最低となった。その後,窃盗の占める比率は再び上昇に向かい,57年には63.9%となったが,63年には若干低下して60.0%となっている。IV-46図は,41年以降の少年の窃盗の手口別構成比の推移を示したものである。戦前の資料はないが,最近の20余年について見ても,空き巣ねらい・忍び込みなどの侵入盗が著しく減少し,万引き及び乗物盗など非侵入盗の増加が顕著である。これらの非侵入盗の増加は,近年におけるスーパーマーケット等の増加や自動車・自転車等の利用の拡大に伴い,この種事犯を犯す機会が増えたためであると思われる。 IV-45図 少年刑法犯検挙人員の罪名別構成比の推移(昭和12年,17年,22年,27年,32年,37年,42年,47年,52年,57年,62年,63年) IV-46図 窃盗事犯少年の手口別構成比の推移(昭和41年〜63年) 少年の横領検挙人員を見ると,昭和10年代の前半は2,000人から3,000人台で推移し,その後減少し,20年には603人となったが,20年代後半には3,000人台までに再び増加し,30年代は,おおむね減少傾向にあったものの,40年代後半には再び増勢に転じ,55年には1万人を超え,59年には2万人を超え,63年には2万4,616人を数えている。少年の横領を子細に見ると,63年では99.9%が占有離脱物横領であり,その大部分は駅前等の放置自転車の乗り逃げである。また,少年の詐欺検挙人員は,11年には3,297人であったが,その後減少し,戦後の混乱期の25年には6,368人に達したものの,その後は減少傾向を続け,50年以降は400人ないし500人台で推移したものの,58年には600人台と増加傾向を示し,63年には1,036人となっている。(イ) 粗暴犯 少年の暴行,脅迫,恐喝の罪名別検挙人員は,昭和11年から25年までは明らかにされていないが,粗暴犯(ここでは,暴行,傷害,脅迫,恐喝の4罪名をいう。)の数値が明らかにされた24年以降の動向を見ると,同年には,1万4,203人で,その後,おおむね1万人台で推移していたが,30年以降は増加が著しく,31年には2万3,107人,32年には3万590人,33年には3万8,977人と急増し,39年には4万7,030人と最高の数値を示している。その後,多少の起伏を示しながら全般的に見て減少傾向にあり,63年には2万1,182人となっている。30年代以降の少年の粗暴犯の急増については,急激な都市化,工業化等の社会変動に基づく各種葛藤の増加などが他の不良な環境と競合して,粗暴犯の増加を促進する面に影響を与えていると見ることもできよう。 (ウ) 凶悪犯 少年の殺人や強盗等の凶悪犯の検挙人員は,戦前戦後を通じて数はさほど多くないが,終戦直後の社会的混乱期の昭和20年代から30年代にかけて増加し,40年以降はおおむね減少傾向にある。少年の殺人を見ると,11年から20年までは,200人以下で推移しているが,21年以降40年代前半までは26年と36年の各448人を最高として200人から400人台で推移し,40年代の後半からおおむね減少傾向を示し,50年に入ると100人を割り,その後はおおむね70人ないし90人台で推移し,63年には82人となっている。強盗は,11年には311人で,戦前は300人から400人台で推移しているが,21年には2,903人,23年には3,878人と急増し,30年代以降は起伏を示しながらも2,000人台で推移し,40年代に入ると減少し始め,46年には1,000人を割って869人となり,その後も起伏を示しながら減少傾向にあり,63年には569人となっている。 (エ) 性犯罪 少年の強姦の検挙人員は,昭和11年には197人で,戦前はおおむね200人から300人台で推移していた。戦後は,23年以降激増し,24年には1,176人,33年には4,649人を数えたが,その後は多少の起伏を示しながら減少傾向にあり,52年には1,000人を割り,63年には509人となっている。少年の強制猥褻等の検挙人員は,11年には76人で,17年ころから300人ないし400人台に増加し,戦後は22年の163人まで減少したものの,その後は増加し,33年には1,000人を超え,以後40年代半ばまで41年の1,772人を頂点として1,000人台で推移していたが,47年には1,000人を割って966人となり,その後も起伏を示しながら減少傾向にあり,63年には593人となっている。33年以降の性犯罪の増加は,33年5月施行の刑法の一部を改正する法律により,二人以上現場で共同して犯した強姦罪,強制猥褻罪等が非親告罪とされたことや性風俗の解放などの影響もあるものと思われる。 (オ) 女子少年の非行 一般に,女子犯罪は,男子の犯罪と比べて量的に著しく少数とされ,これに関しては,女子の心身の特性やその社会的地位・役割などの多様な面から説明されるが,女子少年の犯罪についても,同様の観点から別個の考察が必要である。 戦前の女子少年の非行を示す統計資料はないが,旧少年法(大正12年1月1日から施行)によって設けられた少年審判所(当初は,東京,大阪に設置され,その管轄区域は,東京,神奈川,大阪,京都及び兵庫の3府2県に限られていたが,その後,各地に少年審判所が設けられ,その管轄区域は徐々に拡大されていった。本章第2節1(1)参照)で取り扱った女子刑法犯(18歳未満の女子の刑法犯)の数値によって,ある程度の特徴をうかがうことができる。その資料によると,女子少年刑法犯は,昭和9年には594人で,少年刑法犯総数中に占める女子少年の割合(女子比)は8.7%となっており,その後,600人ないし700人台の数で推移しているが,旧少年法の保護処分が全国に施行されるようになった17年には2,239人(女子比9.5%)となっている。20年には1,581人(同9.5%)と減少したが,その後増勢に転じ,22年には3,241人,23年には4,041人となっている。IV-47図は,女子刑法犯の統計が明らかにされた25年以降の少年刑法犯検挙人員総数と女子少年刑法犯検挙人員及び女子比の推移を示したものである(触法少年を含まない。)。女子少年刑法犯の検挙人員は,25年には1万239人(同7.9%)であったが,翌26年には1万人を割り,その後は6,000人ないし9,000人台で推移し,31年には6,114人と最低を記録した。その後増勢に転じ,39年には1万3,397人を数えたが,女子比はまだ7.0%と低率であった。女子少年の非行が目立ち始めたのは,女子比が10%を超えた40年代後半以降のことである。41年以降は,交通関係業過を除く数値のため,単純に20年代と比較することはできないが,40年代の女子少年刑法犯検挙人員は,おおむね1万人前後で推移しており,49年には1万7,286人(同14.9%)を数え,55年には3万人を超え,58年には4万人を超え,63年には4万3,162人(同22.3%)とこれまでの最高の数値を示し,ここ数年,男子を超える増加率を示している。 IV-47図 女子少年刑法犯検挙人員及び女子比の推移(昭和25年〜63年) 女子少年刑法犯の罪名別検挙人員を見ると,どの年次を見ても窃盗が最も多い。昭和63年では,詐欺,横領を含めた財産犯が4万227人で,女子総数の93.2%となっている。また,最近においては,実数は少ないものの,傷害(63年には1,255人),恐喝(同666人),暴行(同385人)などの増加傾向も見られ,女子少年の粗暴化傾向が目立っている。これら女子少年の非行の増加は,女子の社会的な行動範囲の拡大,行動様式・価値観の変化などによるものと思われる。(2) 少年の特別法犯 戦前の少年の特別法犯を,少年審判所で取り扱った資料から見ることとする。前述のとおり,旧少年法による少年審判所が全国的に設置された昭和17年までは,少年審判所で取り扱った少年事件(18歳未満の少年の事件)は,一部の地域のものに限られるが,その資料によりおおよその特徴を知ることができる。9年の少年特別法犯は340人で,罪名別に見ると,自動車取締令違反の173人(50.9%)が最も多く,以下,銃砲火薬取締法違反57人(16.8%),鉄道営業法違反4人,暴力行為取締法違反4人などとなっている。翌10年には総数408人となったが,罪名別に見ると,前年と同じく自動車取締令違反が206人(50.5%)で過半数を占め,以下,銃砲火薬取締法違反92人(22.5%),出版法違反26人(6.4%)などとなっている。11年には総数488人となったが,罪名別の比率はほとんど変わらない。その後,17年には総数5,249人と増加しているが,罪名別に見ると,警察犯処罰令違反の3,838人 IV-67表 少年特別法犯の罪名別送致人員 (昭和31年〜63年) (73.1%)が最も多くなっている。少年の特別法犯は,18年,19年にはそれぞれ2,605人,2,397人と減少しているが,これは,前年に急増した警察犯処罰令違反の激減による。IV-67表は,警察統計において少年特別法犯の内訳が明らかにされた昭和31年以降の道交違反を除く罪名別送致人員の推移を示したものである。これにより,戦後の少年の特別法犯送致人員の動きを見ると,31年には9,046人で,30年代後半までおおむね増加傾向を示し,38年の1万8,967人を第1のピークとして,以後減少し,46年には8,078人で最低となったが,47年以降再び増勢に転じ,51年には2万人を超え,58年に3万9,062人と31年以降の最も大きな数値となり,その後は漸減傾向を示して63年には3万258人となっている。後述のとおり,30年代の増加は主として銃砲刀剣類所持等取締法違反の増加によるものであり,50年代の増加は主として薬物関係犯罪の増加によるものである。 罪名別に見ると,昭和30年代には,銃砲刀剣類所持等取締法違反が多く,38年には1万129人を数え,道交違反を除く少年特別法犯総数の53.4%を占めているが,その後は著しく減少し,52年からは400人ないし500人台となり,63年には525人となっている。その他の罪名では,薬物関係の犯罪の増加が著しい。覚せい剤取締法違反について見ると,31年には308人であったものが,その後減少し,5人ないし66人で推移していたが,40年代の後半から増加し始め,48年には152人,50年には259人,53年には1,423人,55年には2,031人と急増し,57年には2,750人とピークに達した後,減少に転じて,63年には1,273人となっている。毒物及び劇物取締法違反は,48年以降急増しているが,これは,それまでシンナー等有機溶剤の濫用によって補導されていた少年が,47年の毒物及び劇物取締法違反の一部改正(同年8月1日施行)によって,その濫用行為と濫用することの情を知って販売する行為とが犯罪とされることになったためである。50年には1万人を超え,53年には2万人を超え,57年には2万9,254人とピークを迎え,その後減少に転じたものの,63年には2万4,656人となり,道交違反を除く少年特別法犯総数の81.5%を占め,依然として薬物濫用は少年特別法犯の大きな問題となっている。 近年におけるモータリゼーションの進行に伴い,自動車・オートバイは,交通手段の一つとして一般化しており,少年たちが日常的に利用する機会も増大している。自動車等は,スピード感やスリル感を満足させる,行動範囲を拡大させるなどの点から,単なる交通手段にとどまらず,少年たちの欲求充足や不満の解消手段として魅力あるものとなっている。交通犯罪が顕著になったのは,昭和30年代に入ってからであるが,IV-48図は,31年以降の少年の道交違反送致人員及び38年以降の道路交通法違反取締件数の推移を示したものである。31年の少年の道交違反送致人員は30万8,172人で,その後急増し,35年には60万人を,37年には80万人をそれぞれ超え,起伏を示しながら50万人台から80万人台で推移し,46年には約25万人に激減した。これは,45年5月に道路交通法の一部改正(同年8月施行)によって,それまで対象外であった少年についても,交通反則通告制度が適用されることになったためである。47年以降の少年の道交違反の送致人員は20万人ないし30万人台で推移しているが,63年には19万9,297人となっている。また,少年の道路交通法違反の取締件数は38年の69万6,702件から起伏のある動きを示し,45年以降はおおむね増加傾向にあり,51年には100万件を,56年には150万件,59年には190万件をそれぞれ超え,60年には193万8,980件とこれまでの最高の数値を示したが,63年には166万131件と減少している。63年の道路交通法違反事件のうち,146万856件(88.O%)は反則(告知)事件として処理されたものである。なお,63年における少年の道路交通法違反を態様別に見ると,最高速度違反(38.6%),免許証不携帯(8.8%),一時停止違反(8.1%),駐停車違反(8.0%),定員外乗車(7.7%),無免許運転(6.0%),整備不良(5.2%)などの順になっている。 IV-48図 少年の道交違反等送致人員及び取締件数の推移(昭和31〜63年) (3) 虞犯少年警察では,少年の喫煙,飲酒,けんか,その他自己又は他人の徳性を害する不良行為を補導の対象としており,これらのうち,虞犯と認められる少年は,家庭裁判所に送致又は児童相談所に通告される。昭和27年の警察統計によると,虞犯少年及び不良少年の数値は26万8,666人で,そのうち家庭裁判所送致となった者は7,658人(総数の2,9%)となっている。また,司法統計によって見ると,作表はしていないが,家庭裁判所における虞犯の終局処理人員は27年から43年まではおおむね5,000人ないし7,000人台で推移している。IV-68表は,44年以降の虞犯の態様別家庭裁判所終局処理人員の推移を示したものである。これによると,44年の終局処理人員は5,842人で,その後起伏を示しながら減少し,48年以降は2,000人台となり,50年代後半には3,000人台となったが,60年に入り再び2,000人台となり,62年には2,475人となっている。虞犯少年の態様別人員を見ると,家出,交友不良,不純異性交遊,怠学,夜遊びなどが目立っている。また,虞犯少年に占める女子少年の比率が,逐年増加し,44年に41.9%であったものが,50年には48.0%を占め,62年には60.5%となっている。 IV-68表 虞犯の態様別家庭裁判所終局処理人員(昭和44年〜62年) (4) 少年非行の背景ア 家 庭 家庭は,子供が初めて社会関係を結ぶ最も大切な環境である。子供は,家庭の中で,養育され,保護され,しつけられ,家族と交わりながら,社会生活への適応を学ぶのである。それだけに,子供に対する家庭の諸機能に障害があれば,それは,子供の人格形成に悪影響を及ぼし,ひいては犯罪などの逸脱行動へ導く要因となる。ここでは,子供に対する家庭の保護的,教育的機能などに障害を与えやすい要因として,従来から指摘されている保護者の状況や経済的生活程度などを取り上げ,少年非行の背景等について見ることとする。 戦前の非行少年の家庭の状況を示す統計資料はないが,IV-69表は,全国の家庭裁判所が取り扱った一般保護少年(少年保護事件のうち,道交違反事件を除いた事犯の少年)の保護者の状況を昭和30年からの5年ごとと62年について示したものである。この表によると,30年には実父母のいる者の割合は45.1%,35年には47.1%であったが,40年には73.3%と高くなり,以後70%台で推移し,実父母の欠損している者は著しく減少してきたが,50年代後半には,親の死亡,別居,離婚などにより親の一方を欠いた実父又は実母だけの家庭の比率が,やや上昇傾向にあり,60年には21.0%,62年には22.7%となっている。 IV-69表 一般保護少年の保護者の状況別構成比(昭和30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年) IV-70表は,一般保護少年の保護者の生活程度を昭和30年からの5年ごとと62年について示したものである。保護者の生活程度は,30年には,普通以上が30.6%で,貧困及び要扶助が合計して69.4%であったのに対して,40年には,これがそれぞれ74.2%,25.8%と割合が逆転し,さらに,50年には85.7%と14.3%,62年には86.1%と13.9%となり,普通以上が貧困及び要扶助より著しく高くなっている。IV-70表 一般保護少年の保護者の生活程度別構成比(昭和30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年) イ 学 校学校は少年にとって,家庭と共に重要な生活環境であり,昭和49年以降,高校進学率が9割を超えており,少年と学校生活との関係は,一層深まっている。 戦前の非行少年の学職別人員を示す資料はないので,戦後の状況を見ることにする。昭和30年の少年刑法犯検挙人員(交通関係業過を含む。)は12万1,753人で,このうち,学生・生徒は4万6,279人で全体の38.0%であり,有職少年が4万5,116人(37.1%),無職少年等が3万358人(24.9%)であったが,40年には少年刑法犯検挙人員23万4,959人のうち,学生・生徒が12万9,224人で全体の55.0%に達し,有職少年が7万8,748人(33.5%),無職少年等が2万6,987人(11.5%)となっている。また,IV-49図は,41年,45年からの5年ごとと63年の交通関係業過を除く少年刑法犯の学職別構成比を見たものである。41年と63年を比べると,中学生は30.1%(5万4,897人)から43.0%(9万9,407人)へ,高校生は15.9%(2万8,948人)から30.6%(7万638人)へと著しく増加し,一方,有職少年は28.9%(5万2,707人)から9.1%(2万1,042人)へと減少し,無職少年も13.6%(2万4,853人)から9.8%(2万2,680人)へと減少しており,少年非行に占める学生・生徒の比率が高くなっていることが分かる。 IV-49図 交通関係業過を除く少年刑法犯の学職別検挙人員構成比(昭和41年,45年,50年,55年,60年,63年) 昭和の少年非行を要約すれば,まず量的に見ると,戦前は比較的少なく,検挙人員,人口比共に成人を下回っていたが,戦後は少年非行の増加が著しく,人口比においては,33年以降は常に成人を上回っている。41年以降の交通関係業過を除く少年刑法犯について見ると,58年のピークを過ぎたとはいえ,その後も依然として多発しており,成人犯罪の漸減傾向とは対照的な動きとなっている。検挙人員総数に占める少年の比率は,56年以降おおむね50%を超えている。年齢層別に見た特徴は,年少少年の著しい増加傾向と年長少年の横ばいないしは減少傾向にある。罪名別に見ると,昭和10年代の経済的貧困を背景とする窃盗事犯の増加,20年代の戦後の社会的混乱と経済的困窮時代の窃盗及び強盗の増加,30年代から40年代後半にかけての高度経済成長等に伴う交通機関の発達,工業化・都市化等に伴う各種葛藤の増加,性風俗の解放などの諸因子を背景とする交通関係業過,粗暴犯及び性犯罪の激増,50年代から現在までの豊かな社会におけるスーパーマーケットでの万引き,駅前等における放置自転車の占有離脱物横領の増加など軽微な非行の一般化,その他シンナー等有機溶剤や覚せい剤の濫用による薬物関係の犯罪の増加等によってそれぞれ特徴づけられる。また,40年代後半以降,女子少年の非行の増加が目立ち,特に薬物関係の犯罪が顕著になっている。さらに,少年を取り巻く家庭環境などを見ると,戦前の状況は明らかではないが,戦後の混乱期には,実父母のない,経済的に貧困な家庭の非行少年が多かったが,40年代以降は両親のそろった,生活にも窮していない家庭,いわば普通一般の家庭の少年の非行が増加し,また,学生・生徒の増加が大きな特徴となっている。 |