前の項目   次の項目        目次   図表目次   年版選択
 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第3章/第2節/4 

4 行刑組織の変遷

 刑務所の組織が全国統一して規定されたのは,明治36年に公布された監獄官制をもって始まりとするが,大正11年に監獄の名称が刑務所と改められるなど全面的に改正されて,昭和時代に引き継がれた。昭和時代当初は,刑務所は小菅刑務所ほか46庁,少年刑務所は小田原少年刑務所ほか7庁,刑務支所は八王子刑務支所ほか41庁,出張所は八日市場出張所ほか61庁がそれぞれ設置されていた。監獄職員は,典獄,典獄補,看守長,通訳のほか,保健技師,同技手,教誨師,教師,作業技師,同技手,看守及び女監取締からなり,職員総数は7,749人であった。4年には,出張所を刑務支所に変更して看守長を配置し,処遇及び事務の適正・改善を期している。拘置所は,昭和12年に東京拘置所が独立した未決拘禁施設として設置されたのが最初で,以後,16年までの間に,名古屋,京都,大阪及び神戸の4施設が相次いで誕生した。
 戦後の昭和21年,監獄職員は,司法事務官,司法技官及び司法教官のいずれかに官名が統一されたが,翌22年には宗教教講はすべて民間の宗教家に委ねられたため,教講師である司法教官は司法事務官に転じた。23年には,監獄官制を廃止のうえ「刑務所及び拘置所令」が公布されて刑務所及び拘置所の位置,と名称が定められ,24年には,戦後最初の内部組織規定である「刑務所,少年刑務所及び拘置所組織規程」が制定されて,刑務所等に文書課等9課が置かれたほか,刑務支所は拘禁目的により刑務支所(横須賀刑務支所ほか13庁)と拘置支所(熊谷拘置支所ほか84庁)に分かれた。さらに,27年の組織規程の改正により,内部組織を部課制とし,豊多摩刑務所以下14の大規模施設に新たに分類審議室を設けおおむね現在に至っているが,その後における主な改正を挙げると次のとおりである。
 [1]32年 米軍接収の旧豊多摩刑務所が返還され中野刑務所が新設
 [2]44年 市原刑務所が交通禁錮集禁施設として新設
 [3]46年 小菅刑務所,宇都宮刑務所が廃止され,黒羽刑務所と岡崎医療刑務所が新設
 [4]47年 沖縄本土復帰に伴い沖縄刑務所返還
 [5]58年 中野刑務所が廃止され,月形刑務所が新設
 現行の刑務所等の組織は,法務省の内部部局である矯正局の指導監督下にあり,高等裁判所,高等検察庁に対応して全国8ブロックに設置されている矯正管区は,矯正局の事務を分掌して,管轄区域内の刑務所等の矯正施設を監督指導している。
 昭和63年12月末日現在の刑務所,少年刑務所及び拘置所の組織は,施設の規模,被収容者の別(成人,少年,病人等)等により若干の違いはあるが,大規模の刑務所(15庁)及び少年刑務所(1庁)には所長の下に5部(総務部,管理部,教育部,医務部及び分類審議室)が,普通規模の刑務所(43庁)及び少年刑務所(8庁)には所長の下に2部(総務部及び管理部)と所長に直属するエないし3課が置かれている。拘置所には,大規模の拘置所(2庁)に4部(総務部,管理部,分類部及び医務部)と所長に直属する1課が,普通規模の拘置所(5庁)に2部(総務部及び管理部)と所長に直属する2課が置かれている。また,分類処遇の進展に伴い,特に矯正処遇を効果的に行うため,これにふさわしい組織をもつ施設が必要とされ,一般的な形とは異なる組織をもつ施設(市原刑務所,八王子医療刑務所,川越少年刑務所等)も設置されている。63年12月末日現在,刑務所は58庁,少年刑務所は9庁,拘置所は7庁,刑務支所は9庁,拘置支所は108庁であり,職員定員は1万6,995人となっている。