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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第5節/4 

4 広域化・寡占化による再編の時代(昭和40年代後半〜50年代前半)

 昭和40年代後半は,暴力団が組織の復活,再編を図り,大規模広域暴力団が中小暴力団を系列化し,新しい暴力団地図が確立していく時代である。IV-17表によって,この間の暴力団の団体数等の推移を見ると,47年2,957団体(43年の数値を100とする指数では82.1),12万3,044人(同89.0)であったものが徐々に減少し,54年には,2,517団体(同69.9),10万6,754人(同77.2)となっている。しかしながら,指定7団体合計の団体数及び構成員数の推移を見ると,47年873団体(同113.8),3万3,002人(同117.3)であったのが,54年は1,035団体(同134.9))3万3,731人(同119.9)となっており,大規模広域暴力団の勢力は,この間必ずしも後退しなかったばかりか,むしろ増加している。このように,頂上作戦等取締りの強化は,弱小暴力団には大きな打撃となり,その結果,暴力団全体の団体数及び構成員数の減少をもたらしたが,大規模広域暴力団には,打撃を受けた弱小暴力団を次々に傘下に収め,一層大規模化していく道を開くことになった。また,この時代は,いわゆるオイルショック後の低成長時代の不況の影響もあって,暴力団にとって,旧態然たる資金源では組織を維持するのが困難となり,右翼を標ぼうしたり,総会屋の分野に進出し,経済取引に介入したり,海外賭博ツアーを企画するなど,一方で取締りの目を逃れるため潜在化を進めつつも,あらゆる違法営業等に手を染め,組織経営の多角化・近代化を図らなければ,生き残り難い時代であったということもできるであろう。弱小暴力団には,旧来型の非合法な資金源しかないのに,大規模広域暴力団は,合法,非合法を問わず多様で豊富な資金源を持ち,しかも傘下団体からの上納システムによる経営体制を確立させるなど,両者の間には,警察の取締りや他組織からの侵食に対して大きな力の差があったのであり,系列化は当然の結果であったと思われる。
 特に,注目すべきは,大規模広域暴力団の中での山口組,稲川会及び住吉連合会,いわゆる指定3団体の膨張であり,暴力団世界における寡占化の進行ということができるであろう。昭和43年を100とする指数によって指定7団体及び指定3団体の団体数及び構成員数の推移を見ると,指定7団体では,54年は団体数134.9,構成員数119.9となっているのに,指定3団体では,54年は団体数153.9,構成員数140.4と指定7団体の数値を上回ってるのであり,大規模広域暴力団の代表である指定7団体中においても,特に指定3団体の増勢が目立っている。
 IV-14表で暴力団関係者の刑法犯及び特別法犯検挙人員の合計の推移を見ると,昭和45年以降徐々に増加し,48年から50年代半ばまでは5万人を超え,この間暴力団構成員は減少しているのに,検挙人員では30年代当時と同様の高い数値を記録している。暴力団関係者による犯罪は,沈静化したのではなく,組織再編等新しい激しい動きの中で,むしろ活発化していると認められる。これをIV-15表により更に詳細に見ると,48年は,43年と比べ,刑法犯でも特別法犯でも増勢が目立ち,刑法犯では,殺人,傷害及び賭博の,特別法犯では,銃砲刀剣類所持等取締法違反及び覚せい剤取締法違反の増加がそれぞれ著しい。また,53年は,48年と比べ,特別法犯の増加が目立ち,罪名別に見ても,銃砲刀剣類所持等取締法違反,覚せい剤取締法違反,風俗営業等取締法違反,児童福祉法違反及び競馬法違反の増加が著しく,武装の進行と資金源の多様化をうかがわせる。中でも覚せい剤取締法違反の増加は,これが,この時期にますます肥大化する大規模広域暴力団にとって,組織を利用して行う格好の資金源犯罪であることを示唆していると見ることができるであろう。