第4編 昭和の刑事政策
第1章 序 説 昭和の世は,64年1月7日に,その幕を閉じ,平成の時代を迎えた。各方面で,昭和の政治,社会,経済,文化等についての回顧と分析が始まっている。昭和の時代は60年余の長きに及び,その間に,我が国があらゆる面においてかつてないほどの変動を経験しており,それ自体興味があるとともに,その経過等を考察することにより,将来の施策等のための貴重な資料が得られるからであろう。 犯罪や刑事政策の分野も,その例外ではなく,昭和の時代に,社会・経済等の変動に応じて犯罪も激しく増減してきた。昭和の時代は経済変動一つを取り上げてみても,初年から6年,7年に及ぶ金融恐慌・世界大恐慌の影響による経済不況,12年から20年までの軍需産業・経済統制を基軸とする戦時経済体制,20年代半ばまでの戦後の混乱と経済的困窮,これに続く30年代の経済復興,40年代後半から石油危機やドルショック等による低成長があったものの,その後,安定成長の時代が続いて,現在の豊かな社会に至るのである。この間に,経済的な不況期や混乱期及びその影響が残存した4年ないし9年並びに終戦直後の20年代前半には,財産犯を始め多くの犯罪が増加している。また,戦後の経済の発展,社会の安定が一層進むにつれて,40年代後半ころから多くの犯罪が漸減している。しかし,最近の経済的に豊かな社会でも,スーパーマーケットの増加など犯罪の機会が増えたことにより,逆に,貧困からではなく物質欲や出来心から,万引き等の軽微な窃盗などが増加している。そのほか,太平洋戦争等も犯罪情勢に大きな影響を与えており,戦時中は犯罪が減少するという従来からの仮説のとおり,16年から20年にかけてほとんどの犯罪が減少している。一方,戦後の自動車交通の発展は業過を激増させており,さらに,薬物し好の風潮の拡大は,覚せい剤等の薬物犯罪の増加を招いている。戦後の家庭や地域社会の教育機能の低下等は,少年非行の増加とも関係があると思われる。いずれにしても,昭和の時代は,社会情勢,経済状態,国民の意識,法制度等において,大きく変化しており,それが,昭和の犯罪情勢の変転に反映しているものといえよう。 昭和の刑事政策を見ても,このような犯罪の動向に対応して,しかも,国家の犯罪対策の基本方針,法制度,国民の法意識等の変遷にもかかわりながら,犯罪や犯罪者に対する諸施策は大いに変化してきた。何を犯罪とするかを定める刑事法については,昭和の時代には,刑法が10回余にわたって一部改正され,多くの特別法が制定され改廃されている。特に,戦後に憲法を始め法律制度の大変革があり,犯罪者に対する捜査,処分,公判,裁判等の手続を定める刑事訴訟法も,全面的に改正されている。また,刑事司法機関は,戦後,大きく変容しており,その行う刑事政策も,犯罪情勢に対応しながら,新しい理念のもとに発展してきたのである。 このように,我が国は,昭和の時代に,犯罪の面でも他の社会事象と同様に,終戦直後の治安情勢の最悪の時代から現在の比較的平穏な時代まで,両極端の事態とこの間の各段階を経験しており,また,このような犯罪情勢と社会状況の変化に対応して,各種の効果的な犯罪対策を実施してきている。そして,現在,世界でも最も安全な国の一つであると言われるような治安状況の良好な社会を実現したのである。昭和の犯罪情勢と刑事政策の中には,刑事司法における重要な問題点とその解決策が網羅されていると言っても過言でなく,急激な都市化・工業化にもかかわらず,犯罪の少ない安全な社会を実現したという,世界各国でも参考になるような秘密が隠されているともいえよう。 本編「昭和の刑事政策」は,このような観点から,昭和における犯罪動向と犯罪者処遇の実情,刑事法令,刑事司法機関の組織及び刑事政策に関する諸施策の変遷と特徴について考察するものである。ただ,昭和の60余年の犯罪情勢と刑事政策という極めて膨大な対象を,限られた紙数の中に圧縮して記述するためには,主要重大事件の記述や特定の犯罪についての質的な分析をする余地はなく,社会変動と犯罪動向との関係の詳細を明らかにすることも困難であり,警察,検察,裁判,矯正及び保護の各種統計資料の分析による巨視的な考察にとどめざるを得ない。これとても,古い資料を用いて,長期的に各種統計を分析すること自体,相当困難な作業である。また,刑事法令の変遷についても,すべてを網羅するものではなく,主要な法令の制定や改廃に限られている。同様に,刑事司法機関の組織等の記述についても,従来から本白書が対象としていた法務省の管下の検察,矯正,保護の各機関の組織に重点を置いているが,検察庁は戦前において検事局として裁判所に所属していた関係から,裁判所の機構等の変遷にも触れている。 このように,本特集は,主として各種統計資料により,昭和の犯罪情勢と刑事政策を全体的に考察するものであるが,本白書で行った統計分析による方法は,我が国では,諸外国と比べて,古くから詳細で正確な統計資料が整備されていたからこそ可能であったといえる。ただ,各統計も長い年月の間に,統計の基礎となる概念や集計・分析の基準が変わっており,昭和の年代を通じて連続的に分析するのに困難を伴い,必要に応じて再集計を行うなどの工夫を凝らして分析している。また,異なった各統計間では,概念や集計基準に差異が見られ,各統計相互で比較する際の支障となる場合がある。例えば,刑法犯の定義一つをとってみても,法務省の検察・矯正・保護の各統計は共通であるものの,これらと警察統計及び司法統計では,三者三様で,刑法典に定める罪についてはもちろん同一であるが,これに含めるべき特別法の範囲についてはそれぞれ相違があり,したがって,刑法犯の概念及びその統計的数値が若干異なるものとなっている。犯罪白書の刑法犯の定義については,凡例に記載のとおり,本年版から若干の変更を加え,法務省の各統計と同じ定義を採ることとしている。このように,今回の特集の作成を通して,今後の研究に待たなければ解明し得ない問題を多々発見したのであるが,刑事司法全体の機能や長期にわたる推移を正確に把握するためには,統計の連続性の保持とともに,各統計相互間に整合性と比較可能性があることが肝要であり,これらを確保することが今後の重要な課題の一つであることを改めて痛感した次第である。
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