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 昭和61年版 犯罪白書 第4編/第6章 

第6章 むすび

 以上述べてきたところにより,犯罪被害には地域的な較差が見られ,また,時代の流れとともに絶えず変化していることも明らかとなった。このことは,犯罪被害が単に加害者と被害者の相互関係だけでなく,地域的・時代的要因を含めた社会的・経済的・文化的諸要因によって大きく影響を受けることを示すものである。例えば,過去10年間の平均値でみた都道府県別の殺人被害の発生率は,最高の県が最低の県の3.3倍,強盗については,17.3倍という大幅な開きが認められた。このような地域間における顕著な較差には,注目を引くものがあり,その由来及び対策については,今後一層の検討をまたなければならないであろう。
 しかし,犯罪が人間により,人間に対して行われるものである以上,加害者と被害者とのかかわりの在り方が,犯罪被害を決定する最も大きな要因であることに変わりはなく,この意味で,本特集の主要テーマもその要因の分析におかれたのである。
 本特集で取り上げた分析の手法は,加害者の意識から見た被害原因であって,もとより一つの試み以上の域を出るものではないが,その分析の中から幾つかの注目すべき資料が得られたと考えている。特に,第4章第2節における罪名別の要因分析の各項で,「被害者を選定した理由」との表題の下に,魅力(第1群),誘発(第2群),助長(第3群),脆弱(第4群),無難さ(第5群),機会(第6群)という六つの仮説概念に基づいて設定した各群の具体的質問に対する回答結果は,今後の被害防止策を考える上で有益な示唆を与えるであろう。この要因分析のまとめとして,加害者が被害者を選定した理由として挙げた上位3概念と肯定回答の多かった上位3位までの具体的質問を,矯正施設収容中の成人と少年の全体について見た結果は,IV-70表のとおりである。この結果などから見ると,これら各犯罪についての被害を防ぐには,一般的には次のような方策が考えられよう。

IV-70表 被害者を選定した理由の上位3位の概念と具体的質問

 殺人及び傷害は,概して,加害者と被害者との特殊な人間関係に基づいて発生することが多く,被害者の意識や態度・対応のいかんなどが被害を決定する重要な要因であるといえる。したがって,この種被害を防ぐには,人間関係をこじらせないようにする努力が最大のポイントといえよう。強盗は,たまたまその機会に遭遇したという偶然性によって被害が決定されることが多いことから,強盗被害にあわないようにするためには,十分な防犯対策以外に決め手はないようである。これに対し,粗暴犯と利欲犯の合体ともいえる恐喝における被害者選定の理由には,要因が複雑にからみあったものが少なくなく,特に,暴力団構成員等によってしばしば職業的に敢行される例が多いという特色を示している。また,弱者と見られる者から不当な利益を得ようとする反面,訴えられて検挙されることのないように,常に相手方の落ち度やすきを利用し,その犯行に弁解の余地を残そうとする傾向も見られる。恐喝被害にあわないようにするためには,努めて相手方からつけ入られる弱みを見せることなく,また,被害を直ちに届け出るというき然とした態度が必要であろう。詐欺においては,相手にしやすいか,又は,騙されやすいタイプの者が,多くねらわれており,このような者がたまたま加害者の行動範囲内に入ることによって被害が発生することが多いが,その場合でも被害を決定するものは,被害者側の不注意であることが少なくないようである。したがって,詐欺被害にあわないようにするためには,注意深く,かつ,慎重な対応が殊の外重要であろう。一般の窃盗では,被害者側の不注意やすきがねらわれており,被害を防止するには,すきを作らず防犯対策を怠りなく心掛けることが肝要である。強姦は,被害者がたまたま加害者の行動範囲内にいたという偶然性が,大きな被害要因となっているが,被害を決定するのは,往々にして被害者側の無難さ,つまり,抵抗の弱さや訴えられることはないだろうという加害者側の安心感にもあることが窺われ,被害者が抵抗その他の断固とした態度を示すことにより,相当程度被害を回避できる可能性があることを示している。しかしながら,第4章第3節(要因の罪名間比較)でも述べたように,性犯罪で,被害者の抵抗があれば,「すぐやめる」,「考えなおす」及び「強ければやめる」と回答した者が合計で71.7%もいる反面,「最後までやる」と回答した者が,少数とはいえ2.7%もおり,また,過去の事例の中には,抵抗の結果死においやられたという不幸な実例もあるので,前記のような抵抗による被害抑止効果については,今回の調査結果を統計的に分析した一般論にすぎないことを特に付記しておかなければならない。
 ところで,今回,矯正施設に収容された加害者に対し,被害感情についての推測内容を質問した結果(前掲IV-62表参照),前記のように,殺人及び性犯罪の成人加害者については,被害者やその遺族がまだ自分を許してくれていないとして深刻に受けとめている者の割合は,例えば,「施設から出てこないことを願っている」とする者は殺人で14.0%,性犯罪で17.7%,「出所後も憎みつづける」 とする者は殺人で36.8%,性犯罪で38.1%(以上の数値は重複回答によるものである。)であり,他の罪種に比べれば比較的高率とはいえるものの,経験上知られている被害感情や一般人の意識と対比して考えてみた場合,これをしも高い比率であると断定するには,なお疑問の余地があろう。しかも,この反面,「既に許す気になっている」あるいは「処分で納得した」とする者の比率が,各罪種な通じて割合高率であることも注目すべきであり,特に,成人の強盗の場合「処分で納得した」とする者が40.3%も存在するということには,いささか奇異の感を禁じ得ないものがある。けだし,刑罰は,犯罪者の刑事上の責任に対する法的評価であり,かつ,これにとどまるものであって,犯罪者の当該犯罪に対するすべての責任を評価し尽くしているとはいえないからである。したがって,被害者やその遺族の被害感情が,刑罰のみによっていやされるものでないことは当然のことであり,被害者側がしばしば犯人の処罰に関して不平や不満を抱いているのが一般であるという経験上知られている事実も,これに由来すると考えられる。このような観点から,今回の調査結果を見ると,我が国の犯罪者の多くは,その理由は必ずしも分明ではないが,一般に,被害感情について過度に楽観視する傾向を有しているといえるのではなかろうか。
 次に,贖罪の意識について質問した結果を,成人について見ると,刑に服した上「被害の賠償だけでなく更生する必要がある」とする者が,殺人の場合73.1%,強盗で73.6%,傷害で56.8%となっており,かなり多くの者が強い贖罪意識を見せている。これらの数字に示されたものにどれほどの真実性ないし信頼性があるかについては,なお検討の余地もあろうが,我が国の犯罪者の意識の大方の傾向を示すものとして見れば,理解のできるところである。しかしながら,他方において,「裁判所の処分に従うだけでよい」及び「施設収容によってすべて終わる」とする者の合計が,殺人で12.9%(暴力団構成員では22.6%),強盗で17.1%(暴力団構成員では37.5%),傷害で33.0%(暴力団構成員では37.6%)となっており,前記の被害者ないしその遺族の被害感情に関する犯罪者の意識について述べたこととも関連させて考えると,その贖罪意識について相当問題のある犯罪者もかなり存在するように思われる。今回の調査対象者が,一般に犯情が特に悪質であるとして,刑務所に収容された者たちであることを勘案すると,特にその感が深い。
 刑事司法は,被害者から私的報復手段を取り上げて国家が独占したことによって始まったものであるが,前記のように,刑罰は,犯罪者の刑事上の責任に対する法的評価であるにとどまり,犯罪者の当該犯罪に対する責任のすべてを評価し尽くしているものとはいえないのである。
 しかし,それにしても,刑事司法に関係する機関は,従来から,常に罪と罰の原点を踏まえつつ,被害者の痛みに思いを馳せるという姿勢で,犯罪者の処分や処遇に当たってきたと考えられるが,前述したような今回の調査結果を見ると,刑事司法関係機関は,将来とも,犯罪者に対し,被害者の痛みを感じさせ,被害者に対する償いをし,また,これを考えさせる機会を与え続ける必要があることを示唆しているように思われる。
 ところで,犯罪被害の実態を,より正確に把握するには,国民各層に対する暗数調査が多角的視点から繰り返し行われる必要があろうし,犯罪被害の真の原因を解明するには,被害者調査を含めた総合的な調査の累積という作業も不可欠であろう。そして,これらの結果は,犯罪者の処遇と再犯防止の面のみならず,被害者の保護・救済と被害防止の面にも努めて生かされなければならない。犯罪と被害とはいわば盾の両面であり,刑事政策は,この両面をひとしく対象とすることによって初めて完全なものとなるのである。被害及び被害者の問題は,刑事政策の分野では比較的歴史が浅く,今後の進展に対する期待も大きいが,本特集がその一つの契機となるならば幸いである。