第2編 豊かな社会における犯罪
第1章 総 説
第1節 序 説 我が国の社会の現状は,一般に,豊かな社会であると言われている。確かに,昭和30年代から一貫して上昇を続けてきた実質国民総生産は,49年にいったん落ち込んだが翌50年から回復に向かい,51年は従前のレベルを突破し,以後上昇を続けているし,57年において見ても他の先進諸国が軒並み6%ないし13%という高い失業率に悩んでいるのに対し,我が国の完全失業率は,40年代に比べやや上昇しているものの,ここ約10年2%をわずかに超える程度にとどまっている。さらに,国民の意識を見ても,ここ10年くらいの間,国民の90%前後が自分の生活程度を中流と意識している上,約60%が自己の生活に対する満足度を表している。これらの結果は,耐久消費財の普及状況をとってみても,十分に裏付けられよう。 かつては,貧困が犯罪の原因だとされていたが,上記のような経済情勢の動向にもかかわらず,我が国における犯罪の発生率は,昭和48年を境にほぼ上昇の一途をたどっている。しかも,業過を除く刑法犯の大部分が窃盗であり,犯罪増加原因も窃盗の増加によることを考えると,この豊かな社会と言われる社会になぜ犯罪が増加するのか,それも財産犯の代表である窃盗だけがなぜ増加するのかを解明することは,犯罪対策上喫緊な課題であると考える。 現下の犯罪情勢をやや詳しく検討すると,手口から言えば,増加している窃盗の大部分は軽微な自転車盗等であるし,処分から言えば,起訴され,第一審で有罪を言い渡される者の数はかえって減少している。反面,検挙される犯罪者のうちに初犯者の占める比率が上昇しており,犯罪者の多くはその経済的条件はもとより家庭的条件なども特段劣っているとも言えない生活環境にあるもので,このことの意味するところについても十分の検討を要する。 さらに,依然として多発している薬物犯罪をはじめ,数的には多くはないものの,なお,その動向に警戒を怠ることのできない凶悪事犯,保険関連犯罪など,現代社会の病理面を反映している犯罪現象も認められる上,我が国の社会的,経済的諸条件の向上に伴う国際交流の拡大,急速に進行する社会の高齢化など犯罪情勢との関連において新たな問題を提起する諸現象も見られ,間接的であるにせよ,物質的に豊かな社会であることが,犯罪の増加や犯罪形態の多様化,悪質化などの一因となっていると思われるものもある。 このように,豊かだと言われる社会なのに起こる犯罪と豊かな社会だから起こる犯罪とがあることを念頭におきながら,以下,犯罪情勢を分析していく。
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