前の項目   次の項目        目次   図表目次   年版選択
 昭和55年版 犯罪白書 第4編/第2章/第1節/1 

第2章 成人犯罪者処遇の推移

第1節 成人受刑者の処遇

1 行刑施設における処遇

(1) 1日平均収容人員
 行刑施設における処遇は,広い意味の裁判の執行として,行刑施設へ収容することから始まる。IV-1図は,昭和20年以後における各年の1日平均収容人員を見たものである。1日平均収容人員の最高は,昭和25年の10万3,170人であるが,その後漸減の傾向をたどり,50年には最低の4万5,690人となったが,51年からは再び増加傾向にあり,54年は5万846人となっている。

IV-1図 行刑施設1日平均収容人員の推移

IV-2図 新受刑者数の推移

(2) 新受刑者数
 IV-2図は,昭和20年以降の各年次の新受刑者(ここでは,入所度数のいかんを問わず,裁判の確定により新たに入所した懲役・禁銅・拘留の受刑者をいう。)数の推移を見たものである。最高は23年の7万694人であり,戦後の社会的混乱を反映したものとなっている。最低は49年の2万5,724人であり,50年以降は漸増の傾向にあったが,54年では,逆に53年より7人減少している。
(3) 新受刑者の特徴
ア 罪  名
 懲役・禁銅・拘留の新受刑者の罪名について昭和24年以降の推移を見たのが,IV-1表である。36年までは窃盗及び詐欺の者が合わせて60%以上を占めていたが,最近ではそれが約30%台まで減少してきている。最近の顕著な傾向としては,覚せい剤取締法違反による入所者が増加してきていることが挙げられ,窃盗に次いで多い罪名となり,54年では19.5%を占めている。
イ 初入・再入別人員
 新受刑者中に占める再入者の比率は,昭和26年までの終戦後の混乱期を除いて,50%を超えており,最近では,おおむね58%前後を占めている。IV-2表は,30年以降の各年次において,再入受刑者の再犯期間累積率を見たものである。再入受刑者の中で,前刑出所後5年未満に再犯する者の比率は,30年の93.8%より53年の83.5%までおおむね低下してきていたが,54年では若干増加して84.2%となっている。

IV-1表 新受刑者の主要罪名別構成比

IV-2表 新受刑者中再入者の再犯期間累積率

IV-3図 新受刑者の累犯・非累犯別人員

IV-3表 新受刑者の刑名・刑期別構成比

ウ 累犯・非累犯別人員
 IV-3図は,昭和24年以降の新受刑者中の懲役受刑者について,刑法上の累犯・非累犯別に見たものである。24年から3年間は,累犯の比率が50%を割っており,27年から40年にかけては,累犯が新受刑者の中で55%を超えていたが,41年以降は,累犯の比率は,ほぼ一貫して50%程度となっている。
エ 刑名・刑期別構成比
 IV-3表は,昭和25年,35年,45年,50年及び54年における新受刑者の刑名・刑期別構成比を見たものである。これによると,最近では,無期懲役の構成比が減少していること,有期懲役の中の6月以下及び有期禁銅の6月を超えて1年以下及び1年を超えて2年以下の各構成比が増加していることが分かる。
(4) 処遇の推移
ア 分類処遇
 IV-4表は,昭和30年以降46年までの各年末の時点における受刑者分類調査要綱による収容分類級別の比率の推移を示したものであり,IV-5表は,47年以降の受刑者分類規程によるそれを見たものである。46年までの収容分類級別の構成比の推移で目立つものは,D級(現行のJ級:少年)の構成比の漸減と,J級(現行のW級:女子)及びN級(現行の工級:禁銅受刑者)の構成比の増加である。47年以降では,A級,B級及びw級の構成比の増加とL級,Y級,I級の減少が注目され,特にY級の減少が著しい。
イ 教育活動
(ア) 教科教育
 行刑施設では,戦前から受刑者の中で読み書きのできない者や義務教育未修了者に対する教育が行われてきたが,戦後の学制改革に伴う義務教育年限の拡大,教育の普及に対応して,教科教育の対象を拡充する方策がとられるようになった。昭和30年には,監獄法施行規則が改正され,教科の内容を改め,受刑者の教育程度に応じて教育ができるようになった。IV-6表は,最近7年間の行刑施設における教科教育の履修人員の推移を見たものである。受刑者の1日平均収容人員に対する比率で見ると,52年が13.2%で最も高い比率を示しているが,54年は9.1%となっている。

IV-4表 受刑者分類調査要綱による収容分類級別構成比

IV-5表 受刑者分類規程による収容分類級別構成比

IV-6表 教科教育履修人員及び学歴

(イ) 篤志面接及び宗教教海
 IV-7表は,昭和31年以降の篤志面接委員及び教高師の活動状況の推移を見たものである。篤志面接委員による面接回数は,年間おおむね1万回前後で推移し,54年には1万1,477回となっており,教誨師による指導回数は,年間おおむね1万5,000回台ないし1万6,000回台で推移している。
ウ 刑務作業
 昭和30年に発したと言われる我が国の高度経済成長政策は,30年代半ばころから軌道に乗り目覚ましい経済的躍進を遂げたのであるが,刑務作業においても,民間の機械・技術を導入し民間との協業体制をとり,積極的に有用作業の導入・確保に努めた。その結果,作業生産額は,30年を100とする指数で見ると,54年では641を示し,24年間に6.4倍強の上昇を示している。

IV-7表 刑務所における篤志面接委員と教誨師の活動状況

 IV-8表は,昭和24年度以降における収容費(収容者の直接の衣・食に関する費用で,住に当たる営繕費及び管理に当たる職員の俸給等は含まれていない。)と作業生産額との対比を示したものである。これによると,35年度以降は,刑務作業の生産額が収容費を上回っており,その率は,いわゆる石油シ甘ック前の47年がピークとなっている。
 作業に従事した者には,賃金ではなく,作業賞与金が支給されている。作業賞与金は,作業の奨励と釈放後の更生のために恩恵的に給与されるものであるが,その額は,毎年増額が図られている。昭和30年度の1人1箇月当たり平均月額は93.2円であったものが,54年度では,2,624円となっており,24年間に28.2倍となっている。
工 職業訓練
 昭和31年に受刑者職業訓練規則が定められ,事務処理体制を整備するとともに,統一的基準で職業訓練が実施されるようになった。33年に職業訓練法が施行されてからは,訓練及び内容をこれに近づけ,受刑者に対して職業に必要な技能を習得させ又はその向上を図っている。現在,訓練種目は54種目に上り,種目に応じて3月から2年の訓練期間が設けられている。IV-9表は,36年度以降の職業訓練修了人員を,主要種目について見たものである。受刑者の1日平均収容人員当たりの訓練修了人員の比率は,36年の2.6%から多少の起伏はあるものの増加の傾向を示し,54年には4.3%となっている。
オ 給  養
(ア) 食  糧
 収容者の1日の副食費である指定菜代は,昭和23年の12円から,数次の改正で増額が図られ,39年には戦後9回目の引上げで27円90銭となったが,副食の内容改善までには,なお不十分なものであった。44年には,動物性たん白質の補給と心情安定を図るための心情安定食の給与が認められ,45年には祝祭日菜代及び誕生日菜代が認められるなど,給食の内容面の充実が図られてきている。最近では,52年度以降,給食面の主食偏重の弊害を改め,副食の充実を期する方向で改善措置が講じられており,米麦の重量比を米65対麦35の率にし,指定菜代を1日207.66円(54年度)にするなど,国民一般の食生活に近づける努力がなされている。

IV-8表 刑務所における収容費と作業生産額

(イ) 衣類・寝具等
 我が国では,昭和22年にいち早く受刑者衣類の諸色(赤土色)を廃止し,被告人と同じ浅葱色に統一している。27年には,加古川刑務所に紡織機が整備され,全矯正施設を対象とする被服の自家生産態勢が採られるようになり,以後の被服整備に大きな力を発揮することとなった。29年以降は,主として少年,女子の特質に応じて被服の制式が改められ,34年から36年にかけては,寒冷地対策として受刑者等にメリヤスシャツ及びズボン,掛布団が増量されるなど,被服,寝具の内容面の改善や増量が図られた。
カ 医療・衛生
 行刑施設における医療体制を充実するため,昭和26年には,八王子と北方(現在の城野)に医療刑務所が組織法上正式に認められるようになった。28年には,らい受刑者収容施設として菊池医療刑務支所が開設され,その後も,37年には岡崎医療刑務支所(47年に本所へ昇格),49年には大阪医療刑務支所が開設されている。これらの医療専門施設のほかに,47年以降は,おおむね各矯正管区を単位として,名古屋,広島,福岡,宮城,札幌の各刑務所が医療重点施設に指定され,医療専門施設とともに,専門的治療を要する者,長期の療養を要する者などを集めて医療活動を行っている。41年には,八王子医療刑務所に准看護人養成所が設けられた。55年3月までに同養成所を卒業した准看護士(婦)の数は,247人となっている。
 このような医療体制の整備の結果,行刑施設における病死は,昭和20年をピークに急激に減少し,33年以降は,1日平均収容人員との千分比で,おおむね,1点台を推移してきており,54年中の収容者の病死は58人となっている。

IV-9表刑務所における職業訓練修了人員

IV-10表 行刑施設事故発生状況

キ 保  安
 IV-10表は,行刑施設において発生した逃走等の主要な事故について,昭和24年以降の状況を見たものである。最近では,主要な保安上の事故が激減し,54年は最低となっている。すなわち,逃走は,24年に374人であったものが,54年には3人となり,自殺も,41年に26人であったものが54年では5人となり,火災は47年以降発生していない。
 行刑施設の収容者が施設の規律に違反した場合には,懲罰を科せられる。その懲罰の科罰状況を昭和22年と54年で比較すると,22年の懲罰受罰人員は1万4,468人,1日平均39.6人(1日平均収容人員7万6,226人と対比すると,1,000人当たり0.5人)であったが,54年では,懲罰受罰人員3万3,451人,1日平均91。6人(1日平均収容人員5万846人と対比して,1,000人当たり1.8人)となっている。懲罰の受罰人員の増加は,保安事故の減少と併せ考えるとき,近年,行刑施設における秩序維持作用の向上を物語っていると解することができよう。
ク 不服申立て
 IV-11表は,収容者からの不服申立件数の推移を見たものである。情願,訴訟,告訴・告発,人権侵犯申告等の申立件数のすべてについて明確になる昭和36年以降で見ると,同年の申立件数を100とする指数では,54年のそれは1,141となり,18年間に11倍強の増加となっている。このことは,収容者の権利意識の増大の結果によるものと解される。