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 昭和55年版 犯罪白書 第4編/第1章/第2節/2 

2 少年矯正

 昭和25年4月,少年観護所と少年鑑別所は統合されて少年保護鑑別所となったが,27年8月には,名称が現在の少年鑑別所に改められた。24年5月,少年鑑別所処遇規則の制定により観護処遇及び鑑別の方針の大綱が定められ,同年7月に鑑別結果通知書の様式が定められるなど,観護及び鑑別の形式上の標準化がなされた。次いで25年には,一般少年鑑別規則が制定され,家庭裁判所の審判及び調査並びに保護処分の執行に資するための鑑別に加えて,地域社会における少年非行の防止等に資するための一般少年鑑別が制度化され,今日における少年鑑別所の鑑別制度の基本的骨格が定まった。少年鑑別所は,家庭裁判所の観護措置決定に基づいて少年を収容すること,収容された少年を鑑別して少年事件の調査に資することの二つの機能を有するものであって,これら二つの機能の有機的一体化を図るための努力が続けられている。
 少年院は,家庭裁判所から保護処分として送致された者を収容してこれに矯正教育を授ける施設であるが,その処遇に関しては,昭和24年に制定された少年院処遇規則に基本が定められている。同年,在院者の個性に即した適正な指導訓練を施すための職業補導基準が定められ,27年には,教科教育の充実を図るため実験施設を指定して教科教育の研究を開始し,28年には,外部の学識経験者に委嘱して少年の面接指導を行う篤志面接制度を導入するなど,20年代においては,少年院運営の体制作りが行われた。
 昭和30年代に入ると,処遇内容の整備に重点が置かれることとなった。職業補導に関しては,31年に院外委嘱職業補導についての通達によってその運用上の統一が図られるとともに,32年には職業補導技能標準並びに職業設備基準が制定され,生活指導に関しては,33年にその充実に関する通達が発せられるなど,各処遇領域の体系化が推進されていった。特に,30年代後半からの経済発展に伴う技能労働者の需要の増大は,少年院における職業補導の在り方にも多くの影響を与え,33年に旧職業訓練法が制定されたことを契機として,技能訓練的職業補導に重点が置かれることとなり,38年から,職業訓練専門少年院の訓練修了者に対し労働省職業訓練局長名の履修証明書が交付されることとなった。この時代において特筆すべきことは,36年以降,少年院の特殊化・専門化構想が実施されてきたことである。その内容は,施設を学校教育中心施設,職業訓練中心施設,職業指導中心施設,鍛練中心施設及び医療中心施設の5種の処遇類型に分け,これに基づいて各種の実験施設が指定され,過剰収容等の問題を抱えながらも地道な努力がなされた。
 昭和40年代に入り,少年院の収容人員は逐次減少をきたしたが,このことが少年院運営に少なからぬ影響を与えた。まず,生活指導における各種処遇技法に著しい発達が見られたことである。個別面接,カウンセリング,内省指導,読書指導,つづり方指導等の個別指導や,役割活動,集会活動,サイコドラマ,グループカウンセリング等集団の相互作用を活用した集団指導が積極的に導入された。また,少年院における処遇がややもすれば画一化し,収容期間も固定化するなど,運営全般が硬直化しつつあったことへの反省に基づき,少年院運営に関する改善の気運が起こり,和泉少年院,松山少年院,宇治少年院,置賜学院などにおいて短期処遇課程が設けられ,処遇の多様化の試みが推進された。こうした動きに対応して,52年6月,少年院運営の改善に関する施策が正式に実施された。
 この少年院運営の改善は,少年院における処遇を短期処遇と長期処遇とに分け,更に,短期処遇を一般短期処遇と交通短期処遇とに分けるとともに,長期処遇については,生活指導,職業訓練,教科教育,特殊教育及び医療措置の五つの処遇課程に分けて実施することとしている。このような運営改善の基本的事項の要点は,少年の個別的必要度に応じて,できる限り短期間に効果的処遇を実施するように努め,仮退院後の保護観察と一貫性を保つことにより処遇効果を上げることにあって,近時におけ,る少年非行の動態,刑事政策の新思潮,社会の情勢等を踏まえた少年院の運営を行おうとするものである。
 一方,少年受刑者の処遇については,監獄法や監獄法施行規則等に特則が定められ,少年受刑者を成人受刑者と分離して,少年刑務所又は一般刑務所内の特に設けられた場所において,職業訓練,教科教育,生活指導等に重点を置いた処遇が行われている。昭和54年末現在,全国9庁の少年刑務所のうち,総合職業訓練施設として4庁が指定され,1庁には公立中学校の分校が設けられ,3庁では地元県立高等学校の通信制課程で行う教育を受けさせている。