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1 暴力団及び暴力団犯罪の概観 暴力団による犯罪は,戦後の混乱期において急激に増加したが,その後も増加を続け,昭和30年代の経済の発展期・高度成長期にかけて世間の注目を浴びるようになった。戦災復興期の終わりころから,戦後の経済的混乱に乗じ,暴力テキ屋,博徒,やみ商人らの暴力団体が勢力を拡大し,暴力団相互の対立抗争を繰り返すうちに,次第に有力な団体が勢力の弱い団体を統合していった。30年代には,盛り場になわ張りを持ち,売春,覚せい剤,麻薬等に手を出すようになり,31年には,暴力団関係検挙人員が戦後最高の8万2,074人に達した。その間,28年,29年ころから,警察は,暴力団の全国的取締りに乗り出しているが,暴力団の勢力は衰えを見せず,32年ころには,有力な暴力団の対立抗争による大規模な殺傷事件が発生しており,33年には,全国の暴力団の団体数は4,192団体,その構成員は約9万2,860人の多きを数えるに至った。こうした状況に対応し,国会は,暴力団対策の一環として,証人を威迫罪新設し,被害を受けた証人らに対し補償をする等の立法対策を講ずるとともに,銃砲刀剣類等の凶器に関する刑罰的規制を強化し,暴力団の対立抗争を防圧するため,兇器準備集合罪を新設した。しかし,なおも暴力団の勢いは衰えず,38年には,団体数は5,216団体,構成員数は18万4,091人にも上った。国会は,39年に新たな立法措置を執り,銃砲刀剣類等の凶器を使用する傷害や,常習傷害の刑を加重し,再び暴力団関係者に対する刑罰的規制の強化を図った。警察は,暴力団の首領,幹部など組織の中枢部に対する検挙,麻薬,賭博等を含む資金源の摘発,けん銃等の凶器の押収などに重点を向けた強力な暴力取締りを実施した。その結果,取締りの実効が上がり,国民全体の強力な支持を受けるところとなって,41年には,連合組織及び単位組織の暴力団の解散が相次ぎ,暴力団関体検挙人員も4万3,303人にまで減少した。暴力団の団体数及び構成員数の減少傾向は,その後も現在に至るまで続いているが,他方,暴力団関係検挙人員について見ると,44年までは減少していたが,同年を境に再び増加傾向に変わっていることに注目する必要があろう。
次に,暴力団の活動状況を,団体の種類別に見ることとする。III-19図は,昭和30年から50年までの問における暴力団関係者検挙人員中に占める主要所属団体の種類別構成比の推移を示したものである。犯罪が潜在化,巧妙化しているときは,犯罪の検挙が困難なものとなるから,検挙人員の構成比が大きいことから直ちにその所属団体の活動が活発であると断定することはできないが,大体の傾向をうかがい知ることはできよう。暴力団の組織,規模が拡大していた30年代初期のころには,青少年不良団の検挙人員構成比が博徒,暴力テキ屋のそれを上回って圧倒的に高かったが,33年をピークにその後次第に低下し,逆に博徒,暴力テキ屋の検挙人員構成比が上昇して,30年代後期から40年代初期にかけて両者の関係が逆転している。その後もこの傾向が続き,50年における検挙人員構成比は,博徒,暴力テキ屋,青少年不良団の順となっている。また,検挙人員についてだけでなく,団体の構成員数の推移においても類似の傾向が見られ,青少年不良団の構成員数の減少が著しいのに対し,博徒,暴力テキ屋の構成員数には,さほどの減少が見られない。以上のことから,30年代は,青少年不良団のような比較的組織力の弱い臨時編成的集団が暴力団の大勢を占めて目立った活動をしていたが,40年代初期以降においては,強固な組織力を持ち職業犯的傾向の顕著な博徒,暴力テキ屋が,暴力団の主流を占めるようになり,その傾向がますます強くなってきていると言うことができる。 III-19図 暴力団関係者主要所属団体別検挙人員構成比の推移(昭和30年〜50年) このように,暴力団は,団体の形態などにおいて変化しながらも,団体数及び構成員数では,昭和38年ころを頂点として現在まで減少傾向を続けているが,一方,暴力団関係検挙人員は,45年以降再び増加していることなどから,暴力団の犯罪傾向が次第に強まりつつあると見ることができよう。 |