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 昭和50年版 犯罪白書 第3編/第2章/第3節 

第3節 過激派集団の犯罪

 昭和42年10月のいわゆる第一次羽田事件以来,一部の学生を中心とする過激派集団の暴力事件は,学園の内外を問わず,全国各地にひん発した。すなわち,学外においては,第一次羽田事件以来,43年には,佐世保事件,王子事件,成田事件,新宿事件などが発生し,続いて44年には,沖繩デー事件,国際反戦デー事件,首相訪米阻止闘争事件などが発生した。一方,学園内においても,各地の大学で学園紛争が起こり,バリケードによる学園封鎖,セクト間の暴力抗争などを巡って刑事事件が多発した。犯行態様も,街頭をバリケードで封鎖して路上を遮断占拠し,あるいは,主要な駅で混乱を起こして交通機関を停止させるなど,激化の様相を深め,凶器類も,角材による武装から,石塊,鉄片,劇薬などが用いられるに至った。この種事件による検挙人員は,43年には約6,600人,44年は約1万4,700人と飛躍的に増加し,その8割以上は学生が占めていた。
 昭和45年には,学園の正常化に伴い,この種事件の発生は減少するようになったが,反面,日航機乗取り事件,内ゲバ事件,交番や銀行に対する襲撃事件など,それまでの集団暴力事件とは様相を異にする越軌行動が現れた。
 昭和46年に入ると,過激派学生らの動きは再び活発化し,成田空港用地代執行阻止事件,沖繩返還協定批准阻止闘争事件等の発生により,検挙者は約8,500人に上った。犯行の態様も,大量の火炎びんを主たる凶器とし,爆弾をも使用して,警察官多数を殺傷し,民間施設を含む無差別放火を行うなど,凶悪なゲリラ的破壊活動の様相を帯びるに至った。また,過激派学生集団から派生した超過激派グループは,専ら爆弾を用いてテロ行動に走り,警視庁幹部宅,交番等において爆弾事件をひき起こし,社会に大きな不安な生じさせた。
 昭和47年には,街頭行動は停滞したが,同年2月の連合赤軍によるあさま山荘事件及び同事件の犯人検挙によって発覚した大量リンチ殺人事件や,5月に発生したテルアビブ・ロッド空港襲撃事件は,国民全体に異常な衝撃を与えた。また,同年中には,13件の爆弾事件が発生し,主導権争いの激化などから内ゲバ事件が多発した。
 昭和48年には,爆弾・火炎びん闘争は影をひそめ,過激派集団の力は,専ら各派間の闘争に向けられた。この闘争は,党派の命運をかけた総力戦的な戦いに発展し,全国各地で激烈な内ゲバが発生した。また,国外では,同年7月,日本人を含むアラブゲリラによる日航ジャンボ機の乗取り・爆破事件が発生した。
 昭和49年に入ると,国内においては,内ゲバ事件がますます激化し,同年中の同事件による死者は11人に上り,また,企業を対象とした爆弾事件が連続して発生した。一方,国外においても,アラブ赤軍による国際ゲリラ事犯が続発した。
 以上のような一般情勢から明らかなように,これら過激派集団は,次第に組織の非公然化・軍事化の傾向を強め,その活動はますますテロ・ゲリラ的となってきており,今後の動向は厳戒を要するところである。
 以下,最近注目される内ゲバ,爆発物事犯及び国際ゲリラ事犯に焦点を絞り,この種犯罪の推移を見てみよう。