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1 刑法犯の推移 戦後の昭和21年から49年までの刑法犯の発生件数の推移を示したのが,I-1図及びI-1表である。交通事故がその大部分を占める業務上(重)過失致死傷は,他の刑法犯と性質を異にする面があるので,刑法犯総数と,業務上(重)過失致死傷を除く刑法犯(以下,「業過を除く刑法犯」という。)に分けて,それぞれの推移を示している。
I-1図 戦後の刑法犯発生件数の推移(昭和21年〜49年) I-1表 戦後の刑法犯発生件数の推移(昭和21年〜49年) まず,昭和20年代においては,戦後の混乱期である21年ないし24年には,戦争によって国土の大半が焦土と化し,経済は壊滅に近い状態であり,浮浪者と失業者がちまたにあふれ,従来の道徳観及び価値観が崩壊し,警察力が弱体化していた。このような社会情勢を背景にして,刑法犯の発生件数は,23年及び24年に激増して160万件を突破する状況であった。しかし,25年以降には,経済安定計画によりインフレの収拾を図り,資源開発,技術導入などによる産業の復興を行い,25年にぽっ発した朝鮮動乱の特需も加わって,経済状態は好転し,社会生活も落着きを取り戻し,社会秩序も徐々に回復していった。刑法犯の発生件数も,25年から減少に転じ,28年には約134万件にまで低下した。昭和30年代に入ると,産業面では重化学工業化が行われ,経済の高度成長が進み,国民総生産が急速に増大していった。一人当たり国民所得は戦前の水準を上回り,家庭に電気製品が普及し,自動車保有台数も増加した。その反面,住宅の不足は依然として解消されず,生活必需品の値上がりは低所得者層を圧迫した。また,都市を中心とする享楽的風潮が一般化していった。30年代の後半に入ると,これまでの経済成長の過程で現れた地域格差などを是正するために,農業及び中小企業の近代化,後進地域の開発の促進,産業の適正配置などの計画が実施に移された。犯罪の面では,刑法犯の発生件数は,32年以降,漸増傾向を示し,39年には160万件を超えるに至った。しかし,その増加の主な理由は,自動車交通の増大に伴う業務上(重)過失致死傷の激増によるものであり,業過を除く刑法犯の発生件数は,31年から39年までほぼ横ばいないし若干の増加を示すにすぎなかった。 昭和40年代においても,経済の高度成長は持続し,国民総生産は更に急速に増大していった。それに伴って,既存工業地帯への産業の集中,都市の過密化,農山村の過疎化現象が更に進行した。これらの問題に対処するために,44年に,経済開発と社会開発との調和のとれた国土の総合開発を目標として新全国総合開発計画などが策定された。40年代の後半においても,経済は高度成長を続けたが,48年10月の中東戦争に端を発した石油不足は,経済の不況と物価の大幅な上昇をもたらした。また,40年代に入って激増を続けた交通事故による死傷者は,46年から減少に転じたものの,交通問題は今なお深刻であり,公害問題も大きな社会問題となっている。犯罪の面では,刑法犯の発生件数は,43年から45年まで飛躍的に増加し,45年には戦後最高の約193万件を記録した。この増加は,主として,自動車交通の進展に伴う業務上(重)過失致死傷の激増によるものであり,業過を除く刑法犯は,40年以降は急激に減少し,43年から45年まで一時増加したものの,45年には約128万件にとどまっている。しかし,46年以降は,業務上(重)過失致死傷も減少に転じたため,刑法犯の発生件数は毎年減少し,49年には前年より5万6,779件減少して,167万1,947件となり,戦後第7位の記録となっている。一方,業過を除く刑法犯は,46年から48年まで漸減し,48年には戦後最低の約119万件を記録したが,49年には前年より2万713件増加して120万8,649件となり,戦後第2番目に低い数字となっている。 次に,刑法犯の検挙状況を見ることとする。昭和21年から49年までの刑法犯の検挙状況について,刑法犯総数及び業過を除く刑法犯に分けて示したのが,I-2表である。戦後の刑法犯の検挙件数及び検挙人員は,先に述べた発生件数の動きと同様の推移を示している。49年には,刑法犯総数では,検挙件数は前年より6万9,023件減少して115万7,481件となり,戦後第7位の記録である。検挙人員も,前年より7万8,969人減少して85万2,347人となり,戦後第7位の記録となっている。一方,業過を除く刑法犯では,逆に,検挙件数は前年より8,468件増加して69万4,195件となり,検挙人員も5,904人増加して36万365人となっている。この検挙件数は戦後第6番目,検挙人員は第4番目こそれぞれ低い数字となっている。 I-2表 刑法犯検挙状況の推移(昭和21年〜49年) 発生件数のうちに占める検挙件数の割合を検挙率と呼んでいる。刑法犯総数では,検挙率は過去10年間に66%ないし71%の間を上下しているが,昭和49年には前年より低下して69%となっている。業過を除く刑法犯の検挙率は,過去10年間に54%ないし61%の間で推移しているが,49年には前年より低下して57%となっている。業過を除く刑法犯の検挙率が刑法犯総数のそれよりも低くなっているのは,業務上(重)過失致死傷の検挙率がほぼ100%であるためである。次に,人口の増減の直接的な影響を除いた犯罪の推移と犯罪の密度を見るため,昭和21年から49年までの刑法犯の発生件数,検挙人員,起訴人員,第一審有罪人員について,有責人口10万人に対する比率(以下「人口比」という。)を示したのが,I-3表である。ここにいう有責人口とは,刑法によって責任能力を有しないものと定められている14歳未満の者を除いた人口をいう。49年における発生件数,検挙人員及び起訴人員の人口比は,いずれも前年より低下している。49年の発生件数の人口比は1,972件で,戦後最低の記録であるのに対して,検挙人員の人口比は1,005人で,戦後第12位,起訴人員のそれは510人で,戦後第10位の数字となっている。また,48年の第一審有罪人員の人口比も,前年より低下して574人となり,戦後第6位の数字である。 I-3表 刑法犯発生件数,検挙人員,起訴人員及び第一審有罪人員の人口比(昭和21年〜49年) このように,昭和49年の刑法犯の発生件数の人口比は,戦後最低の記録となっているのに,最近の検挙人員,起訴人員,第一審有罪人員の各人口比がいずれも戦後におけるかなりの高順位の数字を示していることは,最近において一人1件を常態とし,かつ,検挙率の高い業務上(重)過失致死傷が多発しているためと思われる。そこで,刑法犯から業務上(重)過失致死傷を除いたものについて同様の人口比を見たのが,I-4表である。昭和49年における業過を除く刑法犯の発生件数及び検挙人員の人口比は,いずれも前年と比べて若干上昇しているものの,発生件数では1,425件,検挙人員では425人となり,それぞれ,戦後における第2番目又は第3番目に低い数字となっている。一方,49年の起訴人員の人口比は前年より更に低下して153人となり,また,48年の第一審有罪人員も同様に137人となって,いずれも戦後最低の記録である。 I-4表 業過を除く刑法犯発生件数,検挙人員,起訴人員及び第一審有罪人員の人口比(昭和21年〜49年) このように,昭和49年又は48年における業過を除く刑法犯の発生件数,検挙人員,起訴人員及び第一審有罪人員の各人口比は,戦後最低又はそれに近い数字となっており,最近の犯罪情勢は比較的平穏化していることを示している。戦後の刑法犯の動向を更に詳細に検討するために,財産犯,凶悪犯,粗暴犯,性犯罪及び過失犯罪の罪種別にそれぞれの推移を見ることとする。ここでいう財産犯とは,窃盗,詐欺,横領(業務上横領,占有離脱物横領を含む。),背任及び賍物犯罪をいい,凶悪犯とは,殺人(尊属殺,殺人予備,自殺関与を含む。),強盗,準強盗,強盗致死傷及び強盗強姦・同致死をいう。粗暴犯とは,暴行,傷害・同致死,脅迫,恐喝及び兇器準備集合をいい,性犯罪とは,強姦・同致死傷,強制わいせつ・同致死傷,公然わいせつ及びわいせつ文書・図画の頒布・販売等をいう。また,過失犯罪とは,過失致死傷,業務上(重)過失致死傷,失火及び業務上(重過失)失火をいう。 I-2図は,昭和24年から49年までの財産犯,粗暴犯及び過失犯罪の各発生件数の推移を示したものである。財産犯の発生件数は,経済的に困窮し社会的にも混乱していた24年には約144万件を数えたが,経済状態と社会秩序が回復するにつれて減少し,その後は起伏を示しながらも横ばい又は減少傾向を続け,42年には約103万件にまで下降した。43年から45年まで一時増加した後,再び48年まで減少したが,49年には前年より増加して107万5,684件となっている。I-3図は,財産犯の中から窃盗だけを取り出して,その発生件数の推移を示したものであるが,窃盗の発生件数は,財産犯全体のそれとほとんど同じ推移を示している。 I-2図 刑法犯罪種別発生件数の推移(1)(昭和24年〜49年) I-3図 窃盗の発生件数の推移(昭和21年〜49年) 次に,粗暴犯の発生件数は,戦後の昭和24年には社会的な混乱にもかかわらず約7万8,000件であったが,その後は漸増し,34年には約16万9,000件と最高を記録した。しかし,35年からは漸減傾向を続け,49年には前年より更に減少して7万8,616件となっている。過失犯罪の発生件数は,昭和24年から37年まで漸増傾向を続けたが,自動車交通の増大による交通事故の激増に伴って,38年から毎年急激に増加して,45年には約66万1,000件に達した。しかし,道路設備の改善,交通規制の整備,交通違反取締りの強化などによって,46年以降は交通事故の発生も減少に転じたため,過失犯罪の発生件数も逐年減少し,49年には46万8,326件となっている。なお,49年の過失犯罪の98.4%は,道路交通による業務上(重)過失致死傷である。 I-4図は,昭和24年から49年までの凶悪犯及び性犯罪の各発生件数を示したものである。凶悪犯の発生件数は,戦後の社会秩序の荒廃した24年には約1万1,000件を数えたが,その後社会が安定するにつれ,起伏を示しながらも減少傾向を続け,49年には4,052件と戦後の最低を記録している。凶悪犯を殺人と強盗(準強盗,強盗致死傷及び強盗強姦・同致死を含む。)に分けて,それぞれの発生件数を示したのが,I-5図である。強盗は,戦後の混乱期である23年には約1万1,000件を数えたが,その後は減少傾向を続け,49年には前年より若干増加したものの2,140件にとどまっている。一方,殺人は,21年の約1,800件から増加傾向を続け,29年には約3,100件と最高を記録したが,その後は,若干の起伏を示しながらも減少又は横ばい傾向を続け,49年には前年より減少して1,912件となっている。 I-4図 刑法犯罪種別発生件数の推移(2)(昭和24年〜49年) I-5図 強盗・殺人の発生件数の推移(昭和21年〜49年) 次に,性犯罪の発生件数は,戦後の昭和24年には約4,200件にすぎなかったが,その後,社会の性道徳の変化と享楽的風潮の拡大に伴って,起伏を示しながらも急激に増加し,42年には約1万5,000件と戦後最高を記録した。しかし,43年から逐年減少を続け,49年には1万1,135件となっている。性犯罪を強姦(強姦致死傷を含む。)とその他の性犯罪に分け,それぞれの発生件数の推移を示したのが,I-6図である。強姦は,24年の約2,700件から起伏を示しながらも増加傾向を続け,39年には約6,900件と最高を記録した後,逐年減少し,49年には3,956件となっている。その他の性犯罪は,32年以降,毎年急激に増加し,強姦が減少に転じた40年以後も増加傾向を続け,44年には約9,000件に達したが,その後は漸減し,49年には7,179件となっている。I-6図 性犯罪の発生件数の推移(昭和24年〜49年) 以上述べたとおり,最近の刑法犯の動向を罪種別に見た場合,おおむね減少傾向にあるといえるが,昭和49年において,前年と比べ,財産犯が増加し,凶悪犯もわずかながら増加したことが注目される。この動きが,欧米諸国などと同様に,犯罪が増加する前兆であるか又は一時的増加にすぎないのかについて,今後の犯罪動向を注視する必要がある。また,過失犯罪は,46年以降減少傾向にあるとはいえ,今なお多数発生しており,引き続き警戒を要するところである。 |