4 犯罪の心理機制―深層分析 これまで述べてきたような精神―生物学的要因と社会―文化的な要因との輻輳作用によって犯罪や非行がおこることについては,異論のないところであるが,これらの要因のおもなものを作用力として併列的に考えるスタティックな立場と,相互の関係をダイナミックにそして発達的に考えようとする立場とがある。とくに,後者の立場を少年非行の原因論において発展させる推進力となったのは,ヒーリーである。
(一) ヒーリーのダイナミック理論(情緒障害と犯罪) ヒーリーは,はじめ,みずから発展させた事例研究法において,メンタル・アナリシスとよぶ多因子分析法をとなえたが,のちに,精神分析学のダイナミック理論を導入して,深層分析的な立場から,非行原因を一元論的に整理しようとした。かれは,犯罪を個人の内的および外的圧力に対する一種の反応型であり,一種の自己表現形式とみた。この内的および外的圧力とは,愛情関係その他の点でみたされない,あるいは妨げとなっている人間関係からくるものであって,少年非行の場合には,主として家族グループでの人間関係の障害からきていると考える。これらの圧力は,自我感情や愛情の充足における不満,不全感,喪失感,不適当感,劣等感,罪責感,抑圧,心的葛藤などの深刻な体験として感じられ,代償的充足を求める衝動や欲求にかられ,犯罪や非行という表現形式をとると考えるのである。つまり,彼等にとっては一種の適応機制であるが,それが社会にうけいれられないために,不適応となり,犯罪や非行として評価されることになる。このような結論の論拠となったのは,同一家族内の非行のある少年と非行のない少年についてなされた比較研究である。それによれば,その生活環境のために不幸であり,不満をいだいているか,あるいは,情緒を刺激されるような情況や経験に極度に悩まされているか,そうした体験のあったことのはっきりしている者が,非行少年グループの九一パーセントをくだらないのに,非行のない少年では一三パーセントにすぎなかったという。 このような情緒障害に対する反応の型は,(イ)一時的な方便としての逃避,(ロ)代償的,補償的な充足,(ハ)傷つけられた自我や劣等感の強化,(ニ)意識的または無意識的な復讐,(ホ)権威に対する敵意または反抗,(ヘ)独立と解放への衝動,(ト)意識的,無意識的な自己懲罰などのいろいろの型に分けられるが,これらのうちどの型をとるかは,パーソナリティ特性と環境条件とによってきまるのである。
(二) 精神分析理論(エディプス・コンプレックスと原始犯罪) 精神分析の始祖フロイドによれば,人間の心は,イド,自我,超自我(または上位自我)によって組みたてられている。イドは生来的,素質的な無意識的原始的な衝動欲求の集合であり,なかでも,もっとも強力で支配的なのが性欲である。超自我は普通良心とよばれる機能で,社会的,道徳的な規範によって形成される。この中間にあるのが意識的な自我で,盲目的な欲動をコントロールするとともに,超自我の検閲作用をうける。つぎに,性欲は,小児期のいろいろな名称(口唇期,肛門期,性器期)とよばれる段階を経て思春期にいたり,はじめて発達を完了する。この発達の途中で,精神的外傷によって発達がゆがめられたり,停止したり,逆行したりすると,未発達な段階にとどまるばかりでなく,そのまま固着してしまい,いろいろな神経症的性格や症状があらわれる。犯罪者や非行少年には,多かれ少なかれ,このような性格がみられるという。 しかし,精神分析でもっとも重要な概念は,エディプス・コンプレックスである。小児が愛の対象としてはじめて選ぶのは母親である。そして,男の子は母を得んとして父と競争的な態度にでる。これをエディプス心性とよび,このエディプス関係をめぐる情緒的に強調された観念群がエディプス・コンプレックス(複合体)である。テーベのライオス王の子エディプスが識らずに父を殺し母を娶った故事にならったもので,この父殺しと近親相姦とが人類の原始犯罪だ,とフロイドはいう。精神分析学は,このエディプス・コンプレックスに大きな意義を認め,その正しい処理が健全な性格の形成になくてはならないと説き,犯罪者の多くは,いわゆる潜伏期(五,六才から思春期にいたる期間)におけるこの葛藤の処理に障害をきたし,適応過程で失敗したものであるという。また,人間の良心の形成は,このエディプス・コンプレックスをまぬがれるための父への同一化からおこると考える。したがって,父との同一化が失敗すると,社会―倫理的自我の包摂が障害され,良心の発達がそこなわれるのである。ある者は,過度に敏感になるか,過度に鈍感になるかする。また,ある者は非行集団の規範や職業犯人のモラルに同化する。このようにして,神経症ばかりでなく,犯罪者の特徴的な性格が形成されるのである。精神分析によれば,エディプス・コンプレックスから罪責感(罪の意識)がうまれる。この罪責感をまぬがれるために,あるいはこれを鎮静させるために,刑罰を望むのである。したがって,罪責感が犯罪に先行するのであって,犯行後にはじめて生ずるものではない。精神分析でいう罪責感は,みずからの行為を罪と自覚する俗にいう罪悪感とは,意味を異にするものである。したがって,懲罰は,犯罪者を威嚇して犯罪をふせぐどころか,かえって,かれらを犯行に駆りたてるものである。 精神分析学では,犯罪者を,このような神経症的機制によるもののほかに,精神的構造では正常人にひとしいが犯罪者の手本に同一化してしまった犯罪者(社会的原因),脳の器質的障害による犯罪者(生物学的原因),ある特定の事情によって,偶発的ないし機会的におこった急性の犯罪者に分けている。これを要するに,精神分析学的犯罪観の特徴は,第一に,犯罪者を精神的,身体的に正常人とはまったく異なったものであるとする考え方を完全に捨て去った点,第二に,社会適応の起源を幼児期に求め,五,六才ごろまでの親子関係の障害に重点をもっていった点,そして,第三に,犯罪者自身にも意識されない意識下の心理機制を仮定して,これによって行動の起源を説明している点にある。以上,精神分析的犯罪観をやや詳しく述べたのは,その理論の是非はともかく,このような考え方と,それにもとづく処遇法とが,現代のアメリカにひろく普及しているからである。
(三) 個性心理学の立場(劣等感と犯罪) フロイドの弟子のアドラーは,師とたもとをわかって,独自の学説を展開した。これが個性心理学とよばれるものである。彼は,ノイローゼや犯罪の原動力を性欲ではなく「権力への意志」に求めた。この「権力への意志」を裏がえしたものが劣等感である。犯罪者や非行少年には,強い劣等感をもっている者が少なくない。この劣等感は,犯罪のためにおこった情況からくることもあるが,多くは犯罪の以前からあったもので,身体的欠陥や機能的欠陥ばかりでなく,誤った躾や教育,社会的な圧迫などからもおこってくる。この劣等感を強調する観念群が劣等コンプレックスで,これを補償するために犯罪や非行がおこると考えられる。すなわち,ある者は逃避的に,また,ある者は過剰代償的に犯罪者のグループに身を投じ,犯罪的な態度や行動によってみずからの劣等感を補償するのである。不良集団に加入する者のうちには,このような心理機制によるものが少なくない。
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