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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第一章/二/3 

3 犯罪を発生しやすい環境

(一) 犯罪原因と環境

 環境的なものに犯罪原因をみいだす人びとにも,いろいろな立場がある。フェリーは,ロンブローゾの人類学的犯罪観をうけつぎつつ,これを発展させ,社会的原因をも重要視するにいたった。すなわち,人類学的,個人的要素のほかに,気候,四季,湿度のような物理的―風土的―自然的環境と,人口密度,家族組織,教育制度,工業生産,宗教状態,経済,政治などの社会文化的要因をもとりあげている。これは,犯罪者をめぐる環境のうちで,不良な影響をもつとおもわれるあらゆる要因を考慮する立場で,アシャッフェンブルグやエクスナーなども,この考え方を発展させている。これに対し,家庭の障害とか,非行地域とか経済など,ある特定の要因をとくに重くみる立場もある。犯罪者にとってどの環境要因が重要であったかは,個々人によってちがうはずであるから,ここで一概に述べることはできない。なお,また,犯罪の原因となる環境の構造も,一般に考えられているほど簡単なものではない。エクスナーは,これを犯罪原因となる人格生成的な作用,人格発展的作用,心理的体験による人格形成的作用および行為誘発的作用をもつと考えられるいろいろな事実に分けて分析している。これを大きく分けると,犯罪を惹起しやすい人格を形成するに力のあった比較的持続的な「犯因性人格環境」と,犯罪の直接的原因と考えられる一時な「犯因性行為環境」とに整理される。
 ところで,犯因性人格を生成する障害的な環境作用は,犯罪者が出生後に作用した外界(後天的環境)ばかりでなく,胎児の時代から受胎前の生殖細胞の時代(先天的環境)にまで,さかのぼることができる。この先天的環境障害として胚種毀損や胎児毀損があげられ,ふるくはアルコール類による損傷や,ちかくは放射能による障害が考えられてきたけれども,信頼のおける実証的データはまだ得られない。後天的な損傷としては,脳外傷や脳疾患,とくに,流行性脳炎後の人格変化が注目されており,帝銀事件の平沢被告が,狂犬病予防接種後の脱髄性脳炎によるコルサコフ病であることは,あまりにも有名であるが,これらは,一部専門家の興味をひくにすぎない。また,麻薬,覚せい剤,アルコールなどの中毒による人格変化も,犯罪原因として重要な役割をはたしているが,これらについては,特殊犯罪のくだりであらためて述べる。

(二) 家庭環境の障害

 家庭は,子供がはじめて社会関係をむすぶもっとも大切な環境である。この家庭のなかで,養育され,保護され,躾けられ,遊び,家族と交わりながら,社会生活への適応を学ぶのである。したがって,家庭に障害があると,人格の形成に不良な影響になることは,精神分析理論をまつまでもなく,自明の理である。この家庭環境の障害のなかで,むかしから注目されてきたのは,欠損家庭である。これは,一方または両方の親が死亡,失踪,別居,離縁,長期間の出征や施設収容によってかけている家庭のことで,ヒーリー,グリュック,バート,シデェラー,カール・サンダース,マンハイムなど英米の著名な学者が,重要な非行原因としてこれをとりあげている。しかし,非行少年のうちの欠損家庭の比率は,非行のない一般の少年にくらべてそれほど高くないから,欠損家庭が重要な犯罪原因だとは考えられないとして,これを重くみない学者もいる。
 I-31表32表は,外国およびわが国における非行者のうちでの欠損家庭の比率である。わが国における高校生のうちの欠損家庭の比率については,地方都市における二,三の研究によれば二〇パーセントから五〇パーセントのあいだにあり,だいたい二五-三五パーセントと推定されるから,非行少年はこれよりもはるかに高い比率を示していることがわかる。そのほか,多子家庭,貧困家庭,不道徳家庭なども,少年非行の発生母胎として注目され,多くの研究がある。しかし,今日の社会学,心理学,精神医学は,一致して,家庭における単なる親の欠損や貧困が犯罪原因として重要なのではなくて,不適当な親子関係,家族間の不調和や葛藤,不健康な緊張状態などという人間関係の障害が,もっと重要な心理的背景になっている多くの事実をあげている。

I-31表 非行少年等の欠損家庭の百分率

I-32表 非行少年の欠損家庭の百分率

(三) 学校・職場

 学校や職場における不適応症状は,学校のずる休み,中途退学,怠業,頻回転職などとなってあらわれ,やがて犯罪へと発展している場合が多いが,これは,かならずしも,学校や職場が犯罪原因となっているためではない。また,犯罪をおこしやすい不安定な職場として,料理人,バーテン,パチンコ屋店員など享楽的欲望に奉仕する職業,外交員,行商人,自動車の運転手または助手,露天商,日雇人夫など戸外や道路で暮らす職業,屑屋,靴磨き,新聞売りなどの街頭職業は,犯罪に陥りやすい危険な職業とされている。しかし,就職者の犯罪を決定する一番大きな原因は,勤労の解消すなわち失職状態といわれている。ちなみに,犯行当時に無職であったものは,われわれの調査した中等少年院収容者の六五パーセント,特別少年院収容者の六八パーセントである。

(四) 都市化と非行地域

 犯罪は田舎よりも都会に多い。そして,人口が増加するにしたがって,犯罪もますます増加する。その根本的な原因として,社会学者のあげている都会の特徴は,住民の異質性,人口のはげしい移動性,近隣性の解体,社会的―倫理的統制の弱化,匿名性,享楽的,煽情的な刺激および家庭や個人の孤立化ないし無力化である。このような都会的な性格が,解体的なかたちでもっとも濃厚なのが,スラム街その他のいわゆる非行地域で,これが非行発生のもっとも注目すべき社会的培養基だとして,多くの研究がされている。この研究は,クリフォード・ショオ,マッケイなどによってはじめて行なわれたもので,シカゴ市における少年犯罪の研究から,犯罪は,都市の中心をとりまく地域すなわち中心部にある商業地区の周辺のスラム街とよばれる貧民街の帯状地域に蝟集していることが明らかになった。そして,犯罪の発生は,周辺の住居地区にむかって距離の遠ざかるにつれ,放線状に減少するのである。その後,おなじ方法で,学童のずる休み,成人犯罪などについても調べられ,フィラデルフィヤ,クリーブランド,デンバーその他の数多くの都市にもおよぼされて,おなじような結果が得られた。また,他の社会精神医学者のグループによって,このような非行率の分布差が,疾病や乳幼児の死亡率,要保護世帯,精神分裂病その他の精神病患者の発生などの社会病理性の分布と類似していることが発見された。
 戦後のわが国においても,東京,大阪,名古屋,京都,川崎,広島,松江などの主要な都市で,小規模ではあるが,おなじような研究が行なわれた。それらの研究結果から,犯罪の発生が各都市に特有の病理的構造によることが明らかになったけれども,いわゆる非行地域とよばれるものの分布状態は,かならずしもアメリカの都市とは一致しないことも指摘された。これは,わが国の都市の発生形態や,発展,解体の情況が,アメリカの都市とはいちじるしく趣を異にするためであろう。

(五) 犯因性文化環境(不良文化財)

 新聞,週刊誌,雑誌,文芸読物,ラジオ,テレビ,映画,演劇などが一般文化の向上に大きな役割をはたしていることは,いまさら述べるまでもないが,逆に,これらがあまりにも商品化されて煽情的になり,かえって犯罪を促進するような効果をもつために,不良文化財などとよばれる悪い面もみえていることは,見のがすことのできない事実である。あらわなエロ,グロに満ちたこれらの文化財は,直接に視聴の感覚をとおして,スキャンダルや卑猥行為に対する窃視欲,犯罪のヒロイズム,暴力礼賛など誤った情感を駆りたて,ヒーリーやキンベルグが主張しているように,犯罪の準備状態にある者に,適当な犯罪手段を教えてやるのである。これらの不良な文化財が,犯罪や非行の根本的な原因とはならなくとも,また,犯罪解発の直接の動機にはならないまでも,犯罪醸成の見のがせない一要因であることはいなめない。

(六) 文化葛藤と価値体系の混乱

 文化葛藤というのは,社会的価値,規範,風習,利害関係のあいだにおこる葛藤で,犯罪原因として注目されているものには,つぎの二つの種類がある。
 第一は,異質な文化の接触や衝突からおこる葛藤で,アメリカのように種々雑多な文化が雑居している社会や,植民地や,戦争による被占領地などに多くみられる。しかし,この場合の葛藤は,外部的,非個人的であるから,犯罪者の側に心的葛藤をともなわないのが普通である。
 第二は,社会的分離化の結果から生ずる文化葛藤であって,文化の進展の副産物と考えられる。同質性でよく体制化された社会から,異質的で統合されないかたちに移行したり,さらに解体していく過程には,規範の不調和や争いがおこって,犯罪が惹起されるのである。このような分離化は,さきに述べた都市化や,経済機構の発達などの過程にもみえるが,大家族主義的,協同的な社会から,夫婦中心的,個人主義的,競争的な生活形態への解体のうちにもみられ,前近代社会から近代社会への移行の必然的な産物ともいえよう。
 なお,戦後のわが国ばかりでなく,ドイツやアメリカなどにみられる若い世代の無軌道ぶりの原因に,価値体系の混乱があげられる。これは,第二次大戦後の日本やドイツなどで,伝統,風俗習慣,道徳,制度など,これまでの確固たる文化の概念が大きく揺らいで,新しい価値体系がまだ確立されないままに,古い価値と新しい価値とのあいだに,あるいは異質的な価値のあいだにはげしい衝突がおこっているところからきている。一種の価値の混乱とか喪失ともいうべき状態である。このような価値観念の混乱ないし喪失が,思春期にある青少年の行動に大きく反映していることは,見のがせない事実で,敗戦国ばかりでなく,戦勝国であるアメリカにも,似たような状態がみられる。アメリカでは,ここ数年来,一〇代の性的無軌道のほか,さらに,殺人,暴行,傷害,教師や牧師に対する攻撃や恐喝ばかりでなく,公共物に対する破壊行動,警察,裁判所,教会などに対する不敵な冒涜が,白昼公然と横行している。これは,バンダリズムとよばれ,既存の権威や伝統に対するあからさまな挑戦なのである。文明国にみられるこのような野蛮行為が,じつは,政治,経済などの面での急激な変化とともに,精神面における宗教の無力化,内在的不安,精神的支柱の喪失などの全般的風潮に由来していることは,多くの精神科学者のあいだの一致した見解である。原子力時代や宇宙時代への急速な文明の進歩は,さらに多くの文化葛藤や価値の混乱をうみだすであろう。

(七) 犯因性行為環境

 犯因性行為環境というのは,直接に犯罪誘発の契機となるような環境のことで,これまで述べてきた多くの環境作用には,このような環境としての作用もみえている。そのほか,気温,湿度,日照時間,季節などの自然の影響,アルコール類の飲用による酩酊,しばしば暴力化する群集心理,大きな経済的発展のあいだに波動する経済的変動から戦争の影響にいたるまで,きわめて広汎な内容を含んでいる。しかし,これらの環境条件が犯罪におよぼす作用力は,決して単一なものではなく,他のいろいろな作用力の複合的なかたちで影響している。たとえば,季節と犯罪との関係をみても,決して単純な因果関係によるものでないことがわかる。わが国でのこの方面の研究によると,傷害,公務執行妨害,住居侵入,殺人,猥褻,強姦などの犯罪は一般に夏に多く,殺人や傷害が八月に頂点に達するばかりでなく,強姦や幼児姦淫などの性犯罪も,八月に頂点をもっている。しかし,性犯罪のうちでも,公然猥褻は五月にもっとも多く,風俗犯が一般に早くなっているという。以上のほかに,政治的ないし経済的環境も,刑事政策とともに考慮されねばならないが,ここでは,その説明をはぶく。
 わが国における最近五ヵ年間の平均の犯罪発生状況の季節的推移をみると,I-41図にみるような経過をとっている。ただ,暴力犯が春さきの四月に小さな山をもっているのと,性犯罪のうちでも強姦が八,九月に多く,猥褻が初夏の六月に多いのが注目される。これに対し,財産犯は,まったく違った経過をとっている。このような季節的変動が,単に気温や日照時間などの自然的影響だけによるものではなく,他の社会的,経済的な要因や,人間の生物学的な生理などとも関連しあって,特有の曲線を描いていることは,いうまでもないことである。

I-41図 各種犯罪の月別発生指数(昭和29〜33年の平均)