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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第一章/一/1 

第一編 犯罪

第一章 犯罪の概観

一 統計からみたわが国の犯罪状況の推移とその特色

1 犯罪統計とその意義

 最近におけるわが国の犯罪は量的に増加し,質的に悪化の傾向にあり楽観を許さないといわれている。それでは犯罪はどの程度に増加し,どのように悪化しているのであろうか。まず,この現状について正確な認識を得ることが,あらゆる犯罪対策について考究するために必要かくべからざることである。そのためには,わが国の犯罪現象の変動について,ある程度過去にさかのぼって,歴史的に,かつ,犯罪の発生増減などの原因となる諸要素との関連を刑事学的に考察する必要がある。わが国の犯罪現象が第二次世界大戦によって大きな影響をうけたことはいうまでもない。最近,わが国の経済状態については,もはや戦後ではないといわれているが,犯罪現象について,現在はすでに戦争の影響を脱しているであろうか。この点について検討するためには,戦後の犯罪の推移全般について考察しなければならず,また,戦前の戦争の影響をうけなかった時代の状態と比較することも必要である。
 戦後の犯罪現象を戦前の平時の犯罪現象と比較する場合に,昭和何年までを平時とみるべきかについては問題があるが,ここでは,さしあたり,昭和一一年までを戦前の平時とみることとする。
 昭和一二年七月にはじまった支那事変は,その以前の満州事変とは比較にならないほど大規模なもので,この事変によって,わが国は事実上戦争状態に入ったとみることができる。支那事変の進展は財政の規模を飛躍的に増大させ,昭和一二年から軍事費は全歳出の約七〇パーセントをしめるにいたり,戦争遂行を目的として,政治,経済,社会等の全般にわたって強力な国家統制が行なわれるようになった。わが国の経済状態の考察については,通常,昭和九年から昭和一一年までを正常経済の時期とし,戦前戦後を通じての国民経済の推移の分析にさいしての基準年次としている。すなわち,昭和一二年以降は平時の経済とはみられていない。犯罪現象の考察には,一般の経済状態のほか,軍籍にあった人員の増減の状況が重要な要素となるが,戦後,厚生省第一復員局の推計した統計によると,わが国の陸海軍兵力の総数は,昭和一二年一〇月において一〇八万に達し,前年の五六万の二倍にちかい数を示している。
 その他,諸種の面から昭和一二年以降を戦時とみることが相当であると考えられるが,犯罪現象については,経済の場合におけるような昭和九-一一年を基準年次とすることはできない。明治時代からのわが国の犯罪の増減の推移をみると,そのあいだに何回かの増減の波動があるが,昭和七-一一年の五年間は,最近においてもっとも犯罪の増加した時期をなしている。少なくとも,犯罪統計にあらわれた面においては,昭和七-一一年は異常に犯罪の多かった時期であって,平常な時期ということができない。したがって,ここでは,昭和二年までさかのぼって,昭和二-一一年を総括して戦前の平時として考察することとする。なお,戦時はいつまでであるかの点については,事実上戦争状態の終了した昭和二〇年八月一五日までの時期を意味するものとする。また,戦後という言葉は,終戦以後現在までを意味するものとして使用する。戦後を戦争の影響の顕著な時期に限定し,現在はすでに戦後ではないという用法もあるが,ここではとらない。
各種の刑事諸統計とその意義
 本論に入るにさきだって,つぎに,まず,犯罪現象を考察するうえにおいて各統計の有する意義について検討する。
(1) 警察統計
 通常司法警察関係の統計で,特別司法警察のは含まない。しかし,後者は,少数であるから,概略の考察には無視してもさしつかえない。
イ 刑法犯発生件数の統計
 この統計は,正確にいえば警察が犯罪のあることを知った事件数の統計であるが,現実の犯罪現象にもっともちかいものである。ただ,実際に発生したあらゆる犯罪の件数を確知するのは不可能で,統計によって明らかにされない数すなわち暗数があり,暗数は犯罪の種類,時期,場所などによって相違することを考慮に入れておかなければならない。
 殺人,傷害致死のような重大な犯罪の暗数は通常僅少であるが,軽微な犯罪ほど多く,特定の被害者のない犯罪には,それがいちじるしい。暗数の大小は,警察の犯罪検挙力の強弱と大きな関係がある。犯罪の発生は,被害者の届出によって警察に知られることが多いが,被疑者の自供から知られるものも相当大きな部分をしめている。特定の被害者のある財産犯罪においても,被害者は届出をしないことが少なくない。すなわち,(1)被害者がその被害に気づかない場合,(2)気づいても被害が軽微であるために放任する場合,その他警察を信用することができず,届け出ても被害の回復される可能性が少ないため届出をしない場合,(3)届出によって犯罪を行なった暴力団などから後難をうけるおそれのある場合,その他,被害品が統制法規に違反して入手した物資,または賍品であって届出によって自己の犯罪事実が明らかになるおそれのある場合(このような場合は強盗すら届出をしないことがある),(4)被害をうけた事実が公にされることによって,自己の業務の運営に不利益をうけるおそれのある場合,その他,犯人との特別の関係からその処罰を希望しない場合などには,被害の届出はされない。このような場合には,他の犯罪事実によって検挙された被疑者の取調,自供などによって犯罪の発生が確認される。その他,特定の被害者のない贈収賄のような事件では,検挙によって発生が明らかになる。
 犯罪の検挙が良好に行なわれ,検挙された被疑者について事実を追及する力の強い場合は,この面から多数の犯罪の発生を認知することができる。他方,検挙が励行されて被害の回復される可能性が多く,後難のおそれもなければ,被害の届出も励行され,この面からも暗数は減少する。これに反し,終戦直後のように警察力が極度に弱い時期には,暴力団の犯罪,第三国人の犯罪などの検挙の困難な犯罪は警察が知っていながら放置し,発生件数として計上しないことも考えられる。また,治安に直接関係の深い犯罪の検挙におわれて,軽微な犯罪の検挙まで力のおよばないこともある。
 このような関係から,犯罪の検挙に対する警察力の強い時期と弱い時期とでは,暗数に大幅な相違を生ずる。その他,場所的に秩序がみだれて犯罪の多発する地域がある場合には,その地域では犯罪の届出も励行されず,暗数は増加する。
 なお,特別法犯は,通常,きわめて多数発生し検挙されることによって発生が確認されることが原則であるため,発生の統計は作成されず,検挙の統計が作成されるにとどまる。
ロ 刑法犯検挙件数の統計
 この統計は,ときに,実際の犯罪発生に比例しないで,逆に水増しされる可能性がある。昭和二二年以前には,発生件数以上に検挙件数のあることが,統計作成の方法として,正式に認められていた。たとえば,東京で罪を犯した者が,大阪の警察でその犯罪事実について検挙されて,東京に護送され,東京の警察でこれを取り調べたうえ検事局に送致した場合,発生は一件であるのに,東京と大阪の両警察においてともに検挙一件,計二件として計算されていた。昭和二三年以後は,このような方法をあらためて,いかなる場合も,一の事実には検挙も一件とされるようになった。その他,罪名についての法律的判断が正確に行なわれないことがある。たとえば,強盗と恐喝,詐欺と横領などについてであって,もし,このような判断を誤った場合には,発生についての罪名にも影響する。
ハ 検挙人員の統計
 刑法犯,特別法犯の両者について作成され,犯罪の概略の傾向をみるためにきわめて重要な統計である。
(2) 検察統計
イ 検察庁新受人員の統計
 これは,通常司法警察のほか,特別司法警察からの受理と,検察官認知および直受事件が加算されているが,これらを除いた新規受理の人員は,警察の検挙人員の統計に合致するわけである。しかるに,実際においては,ある程度の食い違いがある。本節では,いちおう,主として検挙人員の統計によった。
ロ 検察庁終局処理人員の統計
 終局処理は起訴および不起訴に大別され,不起訴は,起訴猶予,犯罪の嫌疑なし,罪とならず,などに区分される。起訴されたものについては,裁判統計によるのが正確ではあるが,審理に時日を要するため,時間的にずれを生じ,また,統計作成が遅延するため,とくに早期に大体の傾向を知るためには,起訴の統計を使用する必要がある。不起訴のうち重要なのは,起訴猶予の統計である。起訴猶予は,起訴することのできる犯罪事実が存在するにもかかわらず,刑事政策的見地から起訴されないのであって,しかも,わが国においてのみこの制度が大幅に適用されているので,犯罪現象についての考察についてこの統計を無視することはできない。とくに,諸外国との比較に重要である。
(3) 裁判統計
 種々の統計が作成されているが,犯罪現象の考察においてもっとも重要なのは有罪人員の統計であって,通常第一審有罪人員の統計が使用されている。裁判の審理に時日を要するため,現実の犯罪現象からは多少離れるが,正確な法律上の判断がなされている点でもっとも確実な統計である。人員についての統計であって件数の統計ではなく,また,わが国では大幅な起訴猶予が行なわれているので,この統計のみを重視することはできないが,警察統計および検察統計と総合して考察することによって,犯罪現象の実情を推測することができる。
 裁判統計ではないが,家庭裁判所には,少年に対する保護処分その他の処分についての統計があり,少年犯罪についてはこの統計も使用する必要がある。
(4) 行刑統計
 新受刑者,在監者,累犯者,再入受刑者などに関する統計が作成されている。新受刑者の統計は,懲役,禁錮,拘留または死刑の執行をうけるために年間あらたに監獄に入所したものの統計で,この罪名別の禁錮以上の刑のものの統計は,各種の罪を犯した者のうち,もっとも犯情の重いものの数を示すものとして意義がある。戦後は,戦前に比し,刑の量定が軽くなっているので,この点は考慮に入れなければならないが,近接した時期については,犯罪現象の推移を示す資料として使用できる。その他,刑の量定についての一般的の資料として有意義であることはいうまでもない。累犯者および再入受刑者についての罪名別の統計は,犯情の重い犯罪者の構成を知り,各時期における刑事政策の効果の概略の測定をするために有用である。
 以上の各種の統計のうち,検察統計および裁判統計は,第二次世界大戦末期のものは中断している。
 その他,各方面の多数の統計のうち,仮出獄および保護観察に関する統計は,刑事政策の運用状況を知り,その犯罪現象に対する影響を考察するために意味がある。
 以下の犯罪現象一般の考察にあたり,第一章においてとくに重視したのは,犯罪発生,起訴猶予および一審有罪の統計であって,罪名別の考察においても,この三者はかならず引用することとした。有罪人員の統計については,人口の変動の影響を除くため,通常,刑事有責人口一〇万に対する有罪人員の率を算出してこれを使用している。本章でも,主要罪名別にこの率を算出し,比較のために,主としてこれを使用した。発生件数については,人口に対する率を算出する方法がもちいられているが,有罪人員の率との比較の便宜上,通常は刑事有責人口に対する率とした。そして,統計表の分量が大きく,本文とともに掲載する必要性のとぼしい場合は,これを付録に回し,本文にはグラフのみを掲載した。
 つぎに,警察,検察,裁判の三統計の時間的ずれの関係について概観するために,検察庁および裁判所別に,処理または審理期間別の統計を調査し,各期間別のそのうちのパーセントをみると,I-1表のとおりである。

I-1表 事件処理・審理期間別件数と人員

 まず,戦前は,検察庁の処理期間は一ヵ月以内が約九〇パーセントをしめ,裁判所の審理期間も,通常第一審でも二ヵ月以内が約九三パーセントをしめている(略式事件は約九七パーセントが一五日以内)。
 戦後も,検察庁においては八〇パーセント前後は一ヵ月以内が原則とみることができる。しかるに,裁判所の審理は,昭和二二年は旧刑事訴訟法による手続であったため戦前と大差はなかったが,その後は二ヵ月以内は六割弱に低下し,六ヵ月をこえるものが一〇パーセントをこえている。すなわち,戦前には,通常の罪名の犯罪については,警察統計から裁判統計までの間にわずかのズレを考慮に入れればよいのに対し,戦後は,平均して三,四ヵ月前後のズレを考慮しなければならない。