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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第4章/第2節/2 

2 少年検察・裁判

(1) 少年検察の変遷
ア 新・旧少年法制と少年検察
 少年検察とは,検察官による少年事件に関する捜査・処理等をいうのであるが,その機能は,戦前と戦後とでは大きく異なったものとなっている。
 大正12年施行の旧少年法の下では,現行少年法とは異なり18歳未満を少年とし,刑罰法令に触れる行為をなし又は刑罰法令に触れる行為をなすおそれのある少年に対して保護処分を行うことができることとされていたが,軍人軍属である少年,大逆罪など大審院の特別権限に属する罪を犯した少年及び刑事手続により審理中の少年は,少年審判所の審判に付することかできず,保護処分の対象から除外されていた。また,死刑,無期又は短期3年以上の懲役若しくは禁錮に相当する罪を犯した少年並びに処分時16歳以上の罪を犯した少年の事件については,まず,検察官が起訴,不起訴を決定するのであり,起訴せずに保護処分相当と認めて少年審判所に送致した場合と,起訴した後に裁判所が審理の結果により保護処分相当として少年審判所に送致した場合に限り,少年審判所はその少年を審判に付することかできたのである。
 そこで,旧少年法下における少年検察の機能について見ると,警察において検挙された少年事件については,そのうち違警罪即決例等により警察で処理された軽微な事件を除いて,検事局に送致され,検察官は,起訴すべきものについては公訴を提起し,情状等により訴追を必要としないときは起訴猶予にし,また,保護処分が相当と認められたものについては事件を少年審判所に送致することとなっていた。昭和元年に,微罪処分又は起訴猶予処分となった刑法犯の少年(18歳未満)は1万2,394人に上っており,同年に少年審判所が受理した保護事件の総数は1万5,974人であり,少年事件の相当多数が起訴猶予等となっていた。なお,検察官は,起訴後,裁判所が保護処分を相当として少年審判所へ事件を送致する決定に対して,抗告することができた。
 一方,昭和24年から施行された現行少年法では,20歳未満を少年とし,少年事件は,まず家庭裁判所に送致され,保護処分に付するか,あるいは,刑事処分を科するのが相当であるかの選択を家庭裁判所にゆだねることに改められた。すなわち,現行法制では,少年事件のうち,罰金以下の刑に当たる罪の事件は,警察から直接家庭裁判所に送致され,禁錮以上の刑に当たる罪の事件は,まず,検察官に送致され,検察官は,捜査の結果,犯罪の嫌疑があると思料するとき又は嫌疑がなくても将来罪を犯すおそれがあって家庭裁判所の審判に付すべき事由があると思料するときは,事件を家庭裁判所に送致しなければならないこととなっている。家庭裁判所が,審理の結果,その罪質・情状を考慮して刑事処分を相当と認めて検察官に送致(いわゆる逆送)した場合に限って,検察官は公訴提起の措置を採ることができることとされており,ただ,罰金以下の刑に当たる罪の事件又は送致のとき16歳に満たない少年の事件は,家庭裁判所から検察官に送致することはできないこととされている。このほか,現行法制では,家庭裁判所が刑事処分を相当と認めて検察官に送致した事件について,検察官は,公訴するに足りる犯罪の嫌疑があると思料するときは原則として起訴の義務があり,また,家庭裁判所の決定に対して,検察官からの抗告が認められていないことなど,少年事件に対する検察官の権限は,旧少年法の場合と比較して縮小されたものとなっている。
イ 検察庁受理事件の推移
 IV-71表は,検察庁新規受理人員(全被疑者)中に占める少年の比率の推移を,昭和25年からの5年ごとと63年について見たものである(24年以前については,統計資料がない。なお,以下,本節の図表では,元年を始期とするもの以外は,それぞれの統計資料により遡及できる最も古い年次を開始時期としている。)。まず,新規受理人員総数に占める少年の比率を見ると,30年が9.5%と低く,45年が22.5%と高いことを除けば,60年までは12.1%ないし,17.7%で推移し,63年は20.4%となっている。次に,総数から業過及び道交違反を除いた受理人員中の少年の比率を見ると,45年が22.9%,55年が32.5%,63年が47.1%とかなり大幅に上昇を続けており,このうち業過を除く刑法犯では,45年が28.5%,55年が44.0%,60年が50.6%と上昇したが,63年には下降して36.2%となっている。また,道交違反を除く特別法犯では,35年の8.9%から下降し,45年が6.8%,55年が5.1%と10%以下であったが,毒物及び劇物取締法違反少年の増加に伴って,60年には18.6%,63年には23.0%と急上昇している。一方,業過について見ると,少年の比率は,45年以降63年まで10%ないし11%台であり,道交違反では,45年が27.3%と突出している以外は10.6%ないし15.8%で推移しており,いずれも受理人員中に占める少年の比率には大きな変動はない。

IV-71表 検察庁新規受理人員中に占める少年の比率の推移(昭和25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

 IV-72表及び付表23表は,検察庁が受理した少年被疑事件について,主要罪名別に年齢層別人員及び構成比の推移を,昭和25年からの5年ごとと63年について見たものである。少年の検察庁新規受理人員の総数は,25年の19万7,685人から次第に増加し,40年には79万3,318人とピークに達し,45年,50年には減少して50年は40年の約半数の38万4,553人となり,その後,55年,60年は再び増加して60年には59万8,248人となったが,63年には減少して47万167人となっている。これを罪名別に見ると,窃盗の受理人員は,25年から50年までは6万人ないし9万人台で推移しているが,55年,60年にはそれぞれ12万人台,13万人台に増加し,63年は過去第2位の13万9,546人(過去最多人員は,58年の14万2,338人)に達している。さらに,これを年齢層別に見ると,年少少年が25年の2万1,781人から63年の6万2,124人へと顕著な増加を示しており,年齢層別の構成比について見ても,年長少年が25年の36.8%から63年の15.2%へ下降しているのに対して,年少少年は26.0%から44.5%へ上昇している。
 傷害・暴行・暴力行為等処罰法違反の暴力事犯は,昭和25年,30年には1万人台であるが,35年,40年には3万人前後に増加し(最多人員は,39年の3万2,804人),45年には減少して2万人強となり,50年からは1万人台で推移している。これを年齢層別に見ると,年長少年が30年の9,726人(年齢層別構成比では64.7%),35年の1万4,372人(同50.8%)から60年の3,568

IV-72表 検察庁新規受理少年事件の主要罪名・年齢層別構成比(昭和25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,69年,63年)

 人(同21.2%),63年の3,349人(同23.8%)へと大幅に減少し,一方,年少少年が30年の1,067人(同7.1%),35年の4,216人(同14.9%)から60年の8,511人(同50.7%),63年の6,534人(同46.4%)へと大幅に増加している。また,恐喝は,25年,30年は4,000人ないし5,000人台にとどまっているが,35年,40年には2倍以上に増加して1万3,000人ないし1万4,000人台(最多人員は,38年の1万5,317人)に達し,45年からは減少して7,000人以下となり,63年には5,571人となっている。年齢層別では,25年,30年は年長少年が50%以上,35年から50年までは中間少年が40%以上,55年以降は年少少年が40%以上と,それぞれ最も高い比率を占めており,時代の推移とともに非行の中心となる世代が年長少年から中間少年,年少少年へと順次移ってきていることが分かる。
 強姦・強制猥褻は,昭和25年が1,791人,30年が2,634人,35年,40年が5,000人台と次第に増加し(最多人員は,41年の5,652人),その後は減少して55年,60年はいずれも1,000人台で推移し,63年は960人となっている。また,強盗は,25年から40年まではほぼ2,000人台で推移したが(最多人員は,35年の2,622人),45年には1,102人,60年には563人,63年には593人と大幅に減少している。強姦・強制猥褻及び強盗について,年齢層別構成比の推移を見ると,55年までは年長少年がほぼ40%以上を占めており,これに対して年少少年の比率が20%を超えることはなく,これらの犯罪が年齢の高い少年によって犯されやすいものであることを示していたが,近年は年少少年の比率が高くなり,強姦・強制猥褻では60年には30.6%,63年には20.8%,強盗ではそれぞれ27.5%,26.3%が年少少年によって占められており,ここにも低年齢化現象が及んできていることがうかがわれる。一方,覚せい剤取締法違反は,30年が1,859人,35年,40年,45年がいずれも35人以下,50年が265人,55年,60年がそれぞれ2,000人台(最多人員は,57年の3,076人),63年が1,306人であり,各年次による増減が著しく,また,全期間をとおして年長少年の比率が総数のほぼ3分の2以上を占めている。
 業過及び道交違反の交通事犯は,受理人員が極めて多く,両罪名を併せた合計が総数の60%以上を占めており,冒頭に述べた検察庁受理人員総数の推移は,昭和35年以降,交通事犯の受理人員の変動に連動しているといえる。交通事犯のうち,業過は,45年の8万1,159人(最多人員は,44年の8万1,728人)から50年には4万6,953人と大幅に減少したが,その後は増加に転じ,55年,60年には5万人台となり,63年には6万4,206人となっている。また,道交違反は,3こ年の40万7,392人から増加して40年には57万7,598人のピークに達し,その後,45年に交通反則通告制度が少年にも適用されるようになったことから減少し,45年が40万人弱,50年,55年がそれぞれ20万人台となり,60年には再び増加して32万7,120人となったが,62年に交通反則通告制度の適用範囲が拡大されたことにより再び減少し,63年には19万1,355人となっている。年齢層別では,業過の70%以上,道交違反のほぼ50%以上は年長少年であり,他の犯罪における低年齢化のすう勢の中で,業過については55年から63年まで年長少年の比率が漸増している。
(2) 少年審判の変遷
ア 少年審判所
 少年審判とは,少年事件についての処分ないしは措置を決定するために行う,一般の刑事裁判とは異なる審理・審判の手続をいい,旧少年法に始まり,現行少年法に継承されている制度である。
 少年審判を行う我が国で初めての機関として,大正12年,旧少年法の施行に伴って少年審判所が設けられた。この少年審判所は,司法大臣の監督に属する行政機関であって,保護処分に関する審判を行うほか,保護処分の執行及び執行に関する監督を行う機能を与えられていた。少年審判所には,少年審判官,少年保護司及び書記が置かれ,少年審判官は,資格上は行政官であり,裁判官ではなかったが,判事がこれを兼ねることができることとされ,司法官の経験のある者が主としてこれに充てられていた。また,少年保護司は,少年審判官を補佐して審判の資料を提供し観察事務をつかさどるものとされ,少年を調査して審判の資料を準備するほか,保護処分の一つである゛「少年保護司の観察」に付された少年の保護観察を取り扱った。
 少年審判所は,初め東京,大阪に設けられ,昭和9年に名古屋,13年に福岡,16年に広島,17年に仙台及び札幌にそれぞれ設置された。さらに,戦後,少年非行の急増に対処するために,21年に静岡,長野,京都,金沢,松江,高松,熊本及び秋田,22年に前橋,神戸及び旭川に各少年審判所が設置された。
 旧少年法においては,刑罰法令に触れる行為をなし又は刑罰法令に触れる行為をなすおそれのある18歳未満の少年を保護処分の対象としており,少年審判所は,14歳以上18歳未満の少年については,検察官から送致された事件及び裁判所から送致された事件のほか,保護処分をなすべき少年があることを認知したとき及び保護を要する少年を認知した一般人からの通告を受けたとき,これを保護事件として受理することができた。また,14歳未満の少年については,地方長官から送致を受けた場合のほかは,少年審判所の審判に付することができなかった。昭和元年の少年審判所の受理状況を見ると,検察官からの送致が7,072人(受理人員総数の44.3%),裁判所からの送致が7人(同0.0%),地方長官からの送致が95人(同0.6%),少年審判所の認知が8,597人(同53.8%),一般人からの通告が170人(同1.1%)となっている。
 IV-50図及び付表24表は,昭和元年から23年までの少年審判所における少年事件の処理人員の推移を見たものである。まず,処理人員の総数は,少年審判所が増設されるにつれて増加し,元年には1万6,000人であったものが,9年からは2万人台となり,保護処分が全国に施行された17年には3万452人に達し,23年には5万1,001人という開設以来最も多い処理人員となっている。次に,処理の内訳を構成比で見ると,元年から10年までは,審判不開始が総数の64%以上を占め,保護処分に付される割合は30%ないし35%であり,その後15年までは,審判不開始が半数以上を占めている。16年からはこの割合が逆転し,保護処分の比率が総数の60%を超え,さらに,18年から20年までは保護処分が80%以上に上っている。
 ところで,保護処分には,[1]訓戒を加えること,[2]学校長に訓戒せしめること,[3]書面をもって改心の誓約をなさしむること,[4]条件を付して保護者に引き渡すこと,[5]寺院,教会,保護団体又は適当な者に委託すること,[6]少年保護司の観察に付すること,[7]感化院(後に,少年教護院と改称,本節1(1)参照)に送致すること,[8]矯正院に送致すること,[9]病院に送致又は委託することの9種類があった。IV-51図及び付表24表は,少年審判所において処理された各保護処分ごとの人員の推移を見たものである。これによると,「保護者に引渡」が昭和元年には1,957人(保護処分総数の40.1%),17年には1万3,576人(同60.7%),「訓戒」がそれぞれ514人(同10.5%),1,964人(同8.8%),「書面誓約」がそれぞれ233人(同4.8%),550人(同2.5%)となっており,元年,17年の両年とも,これらの一時的な措置で終わる処分が半数以上を占めている。一方,継続的な保護指導を行う処分について見ると,「少年保護司の観察」が元年には1,223人(同25.0%),17年には3,512人(同15.7%),「保護団体等に委託」がそれぞれ875人(同17.9%),2,411人(同10.8%),「矯正院送致」がそれぞれ77人(同1.6%),357人(同1.6%)などとなっている。18年以降になると保護処分にも戦時体制の影響が及ぶようになり,短期錬成を行う矯正院への送致及び保護団体への委託が増加し,19年には矯正院への送致が2,733人(同9.3%),保護団体への委託が8,565人(同29.1%)に上っている。

IV-50図 少年審判所処理人員の推移(昭和元年〜23年)

IV-51図 少年審判所における保護処分の推移(昭和元年〜23年)

イ 家庭裁判所
 昭和24年から施行された現行少年法は,少年事件の処理に関して,旧少年法が採用した審判等の非訴訟的な手続による制度を継承したが,少年審判は裁判所が行うことに改められ,少年審判所は廃止されて,新たに家庭裁判所が設けられた。これに伴って保護処分の決定と執行の機関が分離され,家庭裁判所は,原則として保護処分の決定のみを行い,執行は行政機関が行うこととされた。また,旧少年法では,少年審判所は保護処分の継続中いつでもこれを取り消し又は変更することができたが,現行少年法では,家庭裁判所は一度保護処分を決定してしまうと,これを変更することはもとより,取り消すことも極めて例外的な場合を除いては許されないこととなった。一方,旧少年法は,少年側からの保護処分に対する不服申立てを認めなかったが,現行法では,保護処分の決定に対して,決定に及ぼす法令違反,重大な事実誤認,処分の著しい不当を理由に,処分の取消しを求める抗告を高等裁判所に申し立てることができることとした。
 少年審判所に置かれていた少年保護司の制度は,家庭裁判所にも家庭裁判所調査官制度として引き継がれた。家庭裁判所の発足当初は,少年保護司という名称がそのまま使われていたが,昭和25年に少年調査官と改称され,29年に再度改称されて,現行の家庭裁判所調査官となった。家庭裁判所調査官は,審判に必要な調査を行って裁判官を補佐するほか,少年の観護及び観察の機能を持つものとされた。
ウ 家庭裁判所における受理事件の推移
 IV-52図及び付表25表は,家庭裁判所が開設された昭和24年(少年保護事件の種類別については,31年以降)から62年までの家庭裁判所における少年保護事件の受理人員の推移を見たものである。まず,総数の推移について見ると,24年,25年は10万人前後であるが,2C年には19万8,183人となり,28年からはほぼ増加の一途をたどり,41年には109万4,339人のピークに達し,42年からは急激に減少して47年には45万5,128人となり,51年まではほぼ42万人ないし46万人台で推移し,52年からは漸増し,58年には68万4,830人となり,その後は若干の変動はあるものの減少傾向を示し,62年には57万1,295人となっている。このような受理人員の推移は,少年保護事件のほぼ過半数を占める道交違反保護事件の受理人員の変動に連動している。

IV-52図 少年保護事件の家庭裁判所受理人員の推移(昭和24年〜62年)

 次に,一般保護事件の受理人員の推移について見ると,昭和31年の13万3,885人から増加して41年には25万2,143人となり,42年からは変動はあるものの減少傾向を示し,49年には19万6,637人となり,50年からは再び増加して58年には30万2,856人に達し,59年以降は29万人前後で横ばいの状態にある。
エ 家庭裁判所における事件処理の推移
 IV-53図及び付表26表は,一般保護事件から更に交通関係業過及び虞犯を除いたものについて,昭和26年から62年までの家庭裁判所における終局処理人員の推移を見たものである。処理人員の総数は,26年の13万4,946人から減少して31年には9万558人となり,32年からは増加して41年には16万211人に達し,42年からは再び減少して47年には10万4,780人となり,48年からは再び増加して58年には19万9,202人に達し,その後は19万人前後で推移している。処分等の内訳を構成比で見ると,総数に占める割合の最も高いのが審判不開始であり,35年までが総数の40%前後,45年までが50%台,55年までが60%台,その後は70%前後の比率を占めている。これに不処分を加えたものの総数に占める割合は,26年の65.7%から変動はあるものの次第に増加し,48年以降は90%前後の高い比率で推移しており,業過及び虞犯を除く一般保護事件の大部分が審判不開始,不処分となっている。一方,継続的な保護指導を行う処分の中では,保護観察が最も高い比率を占めているが,保護観察の総数に占める比率は,26年の18.8%から減少して49年は6.9%となり,その後は7%ないし8%台で推移している。これに次いで比率の高い少年院送致は,26年の9.0%から減少して49年には1.5%となり,その後は2%台で推移している。また,検察官送致は,26年の5.6%から多少の変動はあるものの漸減して52年には0.6%となり,その後は1%以下で推移している。なお,26年と62年とを比較して,人員の変動の大きいものを挙げると,審判不開始が26年の5万3,739人から62年の13万6,277人へ約2.5倍に増加し,少年院送致が26年の1万2,132人から62年の4,493人へ約3分の1に減少し,同じく検察官送致が7,582人から859人へと約9分の1に減少している。

IV-53図 少年一般保護事件の家庭裁判所終局処理人員の推移(昭和26年〜62年)

 IV-73表は,交通関係業過事件の終局処理人員を,昭和27年,30年からの5年ごとと62年について見たものである。処理人員の総数は,30年代から40年代の前半にかけて急増し,45年には7万7,831人のピークに達し,50年には減少して4万5,851人となるが,その後55年,60年と増加し,62年には6万3,385人となっている。処理の内訳を見ると,検察官送致は,35年には総数の41.7%を占めているが,62年には12.9%まで下降しており,また,少年院送致は,人員では50年から55年までの増加が大きいが,総数に占める比率では最も高い55年でも0.4%にすぎず,その後は下降し,62年には0.2%となっている。保護観察は,50年までは総数の10%以下であるが,52年に交通短期保護観察制度が開始されてから急増し,55年は24.4%,62年は27.4%となっている。審判不開始は,30年の29.7%から50年の7.9%まで減少し,その後は10%以下であり,不処分は,35年の32.4%を除いては40%以上を占め,45年以降は60年を除き50%以上を占めており,審判不開始と不処分とを併せたものの比率は,56.0%ないし74.8%で推移している。
 IV-74表は,道交違反事件の終局処理人員の推移を,昭和26年,30年からの5年ごとと62年について見たものである。処理人員の総数は,交通関係業過と比べてピークの訪れが早く,40年には75万7,548人に達し(最高は41年の79万84人),45年以降は激減して50年には20万6,399人,その後は再び増加して60年には33万9,633人,62年は再び減少して26万4,766人となっている。処理の内訳について見ると,検察官送致は,35年以降62年までは50年の20.3%を除いて総数の10%台で推移しており,少年院送致は,55年以降増加しているものの,0.1%以下の低い比率である。保護観察は,業過の場合と同じく,交通短期保護観察が施行されてから増加しており,50年までは5%以下であったものが,55年には11.5%,62年には14.8%となっている。なお,不処分と審判不開始とを併せたものの比率は,55年までは70%を超えており,60年,62年は68%台となっている。

IV-73表 交通関係業過少年の家庭裁判所終局処理人員(昭和27年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)

IV-74表 道交違反少年の家庭裁判所終局処理人員(昭和26年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)

 IV-75表は,虞犯事件の終局処理人員の推移を,昭和26年,30年からの5年ごとと62年について見たものである。総数は,45年までは5,000人ないし7,000人台で推移しているが,50年からは減少して2,000人ないし3,000人台となり,62年は2,558人となっている。処理の内訳を見ると,少年院送致は,26年が21.8%,45年,50年が10%以下となっているが,その他の年はおおむね10%ないし15%であり,また,保護観察は,50年までは10%台で推移し,55年以降は増加し,60年には33.8%,62年には31.6%を占めている。教護院・養護施設送致は,26年が3.7%,30年から45年までは1%台であり,50年以降は増加し,60年には4.8%,62年には4.0%となっている。不処分と審判不開始とを併せたものの比率は,26年が56.6%,30年から50年までは60%を超えているが,55年からは60%を下回り,62年には46.2%となっている。

IV-75表 虞犯少年の家庭裁判所終局処理人員(昭和26年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)

 IV-76表は,一般保護事件の家庭裁判所終局処理人員を,前処分回数別に,昭和30年からの5年ごとと62年について見たものである。前処分のある者の比率は,30年の30.5%,35年の34.6%が高く,40年からは20.5%ないし25.5%で推移し,62年は24.5%となっている。前処分のある者のうち,処分回数が1回である者は13.1%ないし17.4%,処分回数が2回である者は4.3%ないし8.0%で推移しており,処分回数が3回以上の者は30年の7.0%,35年の9.3%が高く,40年以降は5%以下である。前処分のある者,処分回数が3回以上の者のいずれについても,30年,35年の比率が高いのは,20年代の戦後の混乱期に非行に陥った少年の更生が困難であったことを示すものであろう。

IV-76表 一般保護事件の前処分回数別家庭裁判所終局人員(昭和30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)

(3) 少年の刑事裁判の推移
 現行の少年法では,20歳未満の少年は保護処分の対象となるが,旧少年法は18歳未満を少年としていたため,昭和24年に現行少年法が施行され,暫定措置の期間を経て26年に少年の年齢が20歳未溝に引き上げられるまでは,18歳以上の者には保護処分が適用されず,刑事処分の対象となっていた。また,現行法では家庭裁判所による検察官送致決定時16歳未満の者は刑事罰の対象から除外されているが,旧少年法の下では14歳以上16歳未満の者に対しても刑事処分が科せられることがあった。
 IV-77表は,家庭裁判所が刑事処分を相当として検察官に送致した少年事件(いわゆる逆送事件)の検察庁における処理状況の推移を,昭和36年,40年からの5年ごとと63年について見たものである。起訴人員の総数は,36年が7万1,312人であり,40年には12万366人に達し,45年以降は減少して55年は3万2,054人となり,60年はいったん増加して5万1,685人となるが,63年は再び減少して2万4,448人となっている。起訴人員のうち95%以上が略式(即決)手続によって処理されており,公判請求された少年の比率は,36年の4.3%が高く,60年の2.0%が低いことを除けば,おおむね3%前後である。なお,逆送事件のほとんどが業過及び道交違反の交通関係事件であり,処理人員総数に占める交通関係事件の比率は,45年では97.6%,60年では98.0%,63年では98.1%となっている。

IV-77表 逆送少年の検察庁処理人員の推移(昭和36年,40年,45年,50年,55年,60年,63年)

IV-78表 少年刑法犯の通常第一審有罪言渡人員(昭和元年,5年,10年,15年,20年,25年,30年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)

 IV-78表は,公判請求された刑法犯の通常第一審有罪言渡人員中の少年(犯行時20歳未満)の人員と少年が占める比率の推移を,昭和元年,5年からの5年ごとと62年について見たものであり,該当年に統計資料がない場合はその翌年の人員を計上してある。まず,人員の推移を見ると,元年が3,265人で,15年の3,030人までは大きな変動はないが,戦後の21年には激増して1万7,436人に達し,26年には減少して7,577人となるものの,全体の推移から見ると,21年及び26年の人員は突出しており,終戦直後の混乱期における犯罪の多発現象が少年をも巻き込み,多くの少年が刑事処分に付されていることが分かる。人員の推移は,少年の年齢が20歳未満に引き上げられた26年を境に変動が見られ,表には示していないが27年には2,305人に減少し,30年からは1,000人ないし2,000人台であり,50年からは1,200人前後となっている。次に,少年の比率について見ると,昭和の全期間をとおしておおむね2%ないし3%台で推移しており,26年が7.2%と突出しているのを除けば,さほど大きな変動は見られない。しかし,少年の刑法犯通常第一審有罪人員を罪名別に見ると,昭和の後期になるにつれて業過を主とする過失傷害の比率が上昇しており,40年が23.6%,50年が48.8%,62年が57.9%となっている。
 IV-79表は,通常第一審公判で有罪の裁判を受けた少年(判決時20歳未満)に対する科刑状況を,昭和32年,35年からの5年ごとと62年について見たものである。有罪人員の総数は32年が1,524人であり,35年と40年は2,000人を超えているが,45年は1,276人に減少し,50年以降は600人ないし700人台で推移している。これを刑名別に見ると,死刑は,表には示していないが,44年の1人以後は皆無であり,また,無期懲役は,44年までは年平均5.6人であるが,45年以降は年平均0.6人に減少している。このような死刑及び無期懲役の減少は,40年代中ごろまでに凶悪な少年犯罪が減少したことと関連があり,同時に,科刑における寛刑化の傾向を示すものであると考えられる。なお,有期の懲役・禁錮については,執行猶予の比率が40年までは50%以下となっているが,45年,50年は60%台,55年からは70%台と次第に上昇している。

IV-79表 少年の通常第一審公判事件有罪人員(昭和32年,35年,40年,45年,50年,55年,60年,62年)