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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第5節/2 

2 対立抗争期(昭和20年代末〜30年代後半)

 この時代は,朝鮮戦争特需等を契機に社会経済の復興が進むに従い,大都市や新興工業都市に盛り場が誕生し,パチンコ,公営ギャンブル,風俗営業,売春,ヒロポン等,新たな利権をねらって多くの新興グレン隊が台頭し,既存勢力との間に抗争事件が続発し,旧来の組織と新興組織が離合集散を繰り返し,各地域において一応の勢力地図ができあがる時代である。
 昭和30年代は,「神武景気(30年〜31年)」,「岩戸景気(34年〜36年)」といわれる驚異的な経済復興に伴い,道路建設や団地造成などが盛んに行われ,建設業界は潤い,貿易は活発化して港湾荷役量を飛躍的に伸張させ,また,池田内閣の「所得倍増計画」に代表される実質賃金の上昇,消費ブームにより盛り場が活況を呈して風俗営業等も潤い,建設,港湾現場への人夫提供,風俗営業の用心棒等,暴力団にとっても豊富な資金源に恵まれた時代であり,後に警察庁が指定7団体とする山口組,本多会(後の大日本平和会),住吉会(同,住吉連合),錦政会(同,稲川会),日本国粋会,極東愛桜連合会及び松葉会の7団体(以下「指定7団体」という。後に,一和会な加え,指定8団体となる。)は,いずれもこの時代に急成長を遂げている。

IV-15表 暴力団関係者の罪名別検挙人員及び構成比の推移(昭和33年,38年,43年,48年,53年,58年,63年)

 暴力団関係者の刑法犯検挙人員は,昭和27年は2,450人にすぎなかったが,28年には1万1,175人となり,以後29年3万4,419人,30年5万5,783人と急増し,31年には8万364人に及んでおり,その後減少するが,40年までは4万人台から5万人台と高い数値で推移している。IV-15表は,33年以降5年ごとに暴力団関係者の検挙人員等を罪名別に見たものであるが,38年の暴行,傷害及び殺人検挙人員の合計は,暴力団刑法犯検挙人員総数の48.4%となっているのであり,この時代の対立抗争等暴力団犯罪の激しさをうかがうことができる。IV-16表は,35年以降の暴力団対立抗争事犯の発生件数の推移を見たものであるが,30年代に対立抗争事犯が多発している。
 このような事情を背景に,この時代は,暴力団の団体数及び構成員数の膨張も目覚ましい。IV-17表は,昭和33年以降の暴力団の団体数及び構成員数の推移を見たものである。33年は4,192団体,9万2,860人であったが,34年は4,874団体,10万5,065人,35年は5,199団体,12万4,763人に増大し,38年には,5,216団体,18万4,091人と戦後最高を記録している。

IV-16表 暴力団対立抗争事犯の発生件数の推移  (昭和35年〜63年)

 この間,こうした状況に対処するため,政府は,昭和33年には,刑法の一部を改正する法律により証人威迫罪を新設し,刑事訴訟法の一部を改正する法律により,いわゆるお礼参りを必要的保釈を行わない事由とする規定を創設し,さらに,「証人等の被害についての給付に関する法律」を制定して,証人らに対する保護措置を講じるとともに,暴力団の対立抗争を防圧するため,凶器準備集合罪を新設し,銃砲刀剣類等の凶器に関する刑罰的規制を強化し,39年には,暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正して銃砲刀剣類を使用する加重傷害規定等を新設し,常習暴行等の刑を引き上げるなどの措置を採った。また,37年ころから地方自治体において,暴力団関係者からの嫌がらせなどに対処するため,いわゆる「迷惑防止条例」が制定され,暴力団取締りの体制が整備された。