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 昭和37年版 犯罪白書 第一編/第六章/七 

七 麻薬・覚せい剤・アルコールの中毒と犯罪

 麻薬・覚せい剤・アルコール類は,それぞれ特有の作用をもった医薬品で,これを適量に用いると,人の気分を快適にし,または苦痛を除き,あるいは能率を増進する特性をもっている。しかし,睡眠剤などと同様に習慣作用があって,連用するとしだいに用量がまし,ついには嗜癖に陥り,慢性中毒症状を呈するようになる。そのため,特有の中毒性人格変化がおこり,道徳性の低下,意志抑制力の減退かみられるばかりでなく,重篤た精神病の症状を呈することがしばしばである。
 このような薬剤の濫用や嗜癖は,しばしば家庭を破壊し,社会に種々の害毒をながすことから,その取扱いには種々の規制がなされてきた。したがって,これらの薬剤の使用と犯罪との関係については,大きく分けて取締の法規に違反した場合のものと,中毒によるものとがある。アルコール類については,今日わが国には特別の取締法規はないが,これによる酩酊犯罪については,最近とくに重大な関心が寄せられている。なお,麻薬中毒者については,第一編第三章の麻薬犯罪の項に述べたから,参照されたい。
覚せい剤中毒と犯罪
 覚せい剤は,プロバミンまたはメチール・プブパミンとよばれる中枢性の興奮剤で,わが国ではヒロポン,セドリン,ホスピタン,メチブワン,ネオアゴチンなどの名で発売されていた。その作用は,大脳皮質の刺激による覚せい作用ばかりでなく,疲労感,倦怠,沈うつ感などを消散させて快感をもたらしたり,作業能力を増進させる効力のあるところから,精神科の臨床ばかりでなく,徹夜の作業や遊興の場合など一般にも用いられていた。
 本剤の中毒患者は,わが国では,昭和二一年春ごろから散発的にあらわれはじめたが,嗜癖者はその後急速に増加した。そのため,昭和二三年七月には劇薬に指定され,次いで昭和二四年一〇月には,製造の全面的中止が勧告されたが,その濫用は増加の一途をたどるばかりであった。そこで,昭和二六年法律第二五二号で「覚せい剤取締法」が公布され,同年七月三〇日から施行された。しかしながら,取締法の制定に伴い,覚せい剤の授受が地下にもぐるようになったばかりでなく,その使用階層も文筆業,芸能人,夜間従業員,接客婦などの一応定職をもっている者から,犯罪者や非行少年,売春婦などの反社会的集団に移りていった。また,戦後に発達した闇物資のルートが覚せい剤の地下市場に切り替えられて,その規模は着々と拡大され,密造事件が跡をたたなかった。そこで,昭和二九年六月二〇日の取締法一部改正で罰則が強化され,また,昭和三〇年法律第一七一号の改正で,覚せい剤製造原料の主なものおよび製造途中の中間体の主なものを指定して,これを取締の対象としたほか,さらに一段と罰則を強化して,この種事犯の徹底的な検挙と処罰が推進された。一方,精神衛生法の一部も改正されて,覚せい剤の慢性中毒者を精神障害とおなじに取り扱うことになり,検挙や処罰の強化とあわせて行政措置の万全が期された。そのほか,一般的な啓蒙運動も強力に進められ,このような総合的な中毒禍撲滅対策の推進によって,覚せい剤事犯は,昭和三〇年以降急速に減少した(I-122表)。

I-122表 覚せい剤事犯の検挙件数と人員等(昭和26〜35年)

 覚せい剤に関係した犯罪は,およそ三種類に分けることができる。その一は,取締法違反による狭義の覚せい剤事犯で,覚せい剤の密造,販売,授受,所持などについての違反行為である。しかしこのような違反者の中にも,かなりの率の中毒者がいる(I-123表)。その二は,覚せい剤の常用者ないし嗜癖者が,これを入手するための利欲動機にもとづく犯罪である。その三は,覚せい剤の中毒によって精神障害をきたした場合で,情動性の不安,妄想,幻覚などに駆られて起こる犯罪である。

I-123表 覚せい剤事犯検挙者の違反種類別人員と中毒者率等(昭和35年)

 覚せい剤にも,麻薬と同じように習慣作用があり,禁断症状を伴うものがあるが,麻薬ほど強烈ではない。しかし,中毒症状が重篤になると,精神分裂症に似た精神異常をきたし,嗜癖がとれてもあとに人格変化を残す場合が少なくない。覚せい剤常用者に多い犯罪は傷害罪で,暴行や恐喝がこれに次いでいる。しかし中毒性精神病になると,殺人,放火などの重い犯罪に陥ることがよくある。
 矯正施設に収容されている受刑者や保護少年めなかには,覚せい剤の嗜癖者が少なくなく,犯罪傾向や非行性と密接な関係にあることが多くの研究者によって指摘されてきた。昭和二九年六月に,全国の刑務所,少年院,少年鑑別所の在所者について一斉調査したところ,二五%から三五%,全国平均で二八%の者が覚せい剤使用の経験をもっていた。昭和三二年に行なった中等少年院収容者の実態調査では,使用経験者はわずか六%に減少し,中毒者は〇・六〇%にすぎなかった。
 このように,覚せい剤関係の犯罪や嗜癖ないし中毒者の数は,不断の厳重な取締や適正な事件処理,精神衛生対策の強力な推進などによって,欧米にもその例をみない目ざましさで激減したが,すでにI-122表にもみるように,昭和三四年以降再び検挙者の増加がみられている。
酩酊犯罪
 人が酒を飲んだ時には,もちろん酒の量ばかりでなく,飲む人によって大きな個人差があるが,多かれ少なかれ酩酊の状態になる。これは,急性アルコール中毒の症状で,記憶力や思考力はもとより,自己洞察力や感情・意志などの面にも変化がおこり,厳密な意味では一種の精神障害である。一般的にいって,はじめは興奮状態であり,酩酊が深まるにつれて,麻痺がおこってくる。この興奮状態には,しばしば抑制力がなくなり,被刺激性がまし,意志発揚性が高まるので,暴行・傷害等の粗暴行為にはしりやすいのは当然の現象である。
 酩酊と犯罪との関係については古くから注目され,とくに暴行・傷害などの犯罪と密接な関係にあることは,多くの人々によって指摘されている。
 I-124表は,刑法犯検挙者のうち,中毒・酩酊などを犯罪原因とする人員について,最近五年間の統計をまとめたもので,酩酊を犯罪原因とする者の数は,麻薬中毒や覚せい剤中毒を犯罪原因とする者の数より格段に多いことがわかる。

I-124表 刑法犯検挙者中,中毒・酩酊等を犯罪原因とする人員(昭和31〜35年)

 さらにこの酩酊を犯罪の主たる原因および従たる原因とする者の割合を警察統計により各罪種別にみると,傷害が二九・五%で最も高く,暴行の二八・六%,脅迫の一六・二%,殺人の一〇・九%,放火の九・八%,強姦・猥せつの八・一%などがこれに次いでいる。
 なお警察統計によるI-124表では,刑法犯検挙者総数は年々増加の傾向にあるのに対し,酩酊を犯罪原因とする者の数は逆に減少している。ところが行刑統計による新受刑者中の「酒興」を犯罪原因とする人員と,犯行時飲酒していた者の数は,新受刑者総数が年々減少しているのと逆に,増加の傾向をみせている(I-125表126表)。次に,昭和三五年の新受刑者について,犯行時飲酒者の罪名別人員の総数に対する比率をみると,傷害が五〇・一%で最も高く,公務執行妨害の四六・二%がこれに次いでいる。そのほか,業務上過失致死傷三九・七%,殺人三五・九%,強姦等三二・九%,恐喝三〇・七%,放火二八・五%,詐欺二二・五%,強盗一九・七%,住居侵入一八・五%がベスト・テンに入り,いずれも平均の一七・六%より高い。

I-125表 新受刑者中「酒興」を犯罪原因とする人員と率(昭和31〜35年)

I-126表 新受刑者中の犯行時飲酒者数と率(昭和31〜35年)

 次に,警察統計により刑法犯検挙者の中で,酩酊を主たる原因または従たる原因とする者の総数に対する女子の割合をみると,わずかに〇・四%にすぎない。これに対し,覚せい剤中毒を原因とする者では四・一%,麻薬中毒を原因とする者では一三・二%である。戦後に女子の飲酒の機会がふえたにもかかわらずその酩酊犯罪はきわめて少ないことがわかる。
 ところで,酩酊のなかには,その人の資質や,精神的・身体的条件のいかんによって,急激に意識の変化をきたしたり,おもいがけない人柄の変化をおこすことがある。これは異常な酩酊であって,その著しい場合を「病的酩酊」といい,時に狂暴性を発揮して殺人・放火などの犯罪に陥ることがよくある。
 また飲酒癖がつよく,飲酒が習慣化している場合に,これを「飲酒嗜癖」といい,とくにアルコール類に対する欲求が病的に強い場合に,これを「渇酒症」とよんでいる。いずれも意志素質ないし精神的抵抗力の薄弱が人格の根底にあって,怠惰,浪費,賭博類似行為等に身をゆだね,窃盗,詐欺,暴行,売春等の犯罪に陥りやすい。
 飲酒が習慣化すると,しばしば慢性アルコール中毒にかかり,アルコール幻覚症,震顫譫妄等の重篤なアルコール精神病になることもある。今日,わが国の精神病院に入院しているこれらアルコール中毒者の数は,在院者中の二・六%で,昭和一〇年の調査による一・二%,昭和三一年の調査による一・六%より増加しているが,欧米諸国の入院患者数にくらべればきわめて少ない。
 I-127表は酩酊犯罪で精神鑑定をうけた者について,罪種と精神診断との関係を示したもので,放火が約三六%で最も多く,殺人が約二七%でこれに次いでいる。傷害は約一八%で割に少ないが,これは精神鑑定例という特殊な条件のためであろう。

I-127表 罪種別・精神鑑定結果別の酩酊犯罪人員等

 さきにも述べたように,飲酒による酩酊と一口にいっても,ほろ酔い機嫌の普通酩酊から,完全に病的状態にある病的酩酊,機会性ないし社交性の飲酒から慢性アルコール中毒,はては中毒性精神病までいろいろの種類がある。しかも,普通酩酊といっても,初期の発揚期にみられる軽い程度のものから,泥酔といわれる完全麻痺にいたるまで,いくつかの精神変調の段階があるうえに,多くの場合追想の錯誤が伴うので,責任能力の判定はけっして容易ではない。ことに,アルコールの耐容性には個人差があるし,常用者ないし嗜癖者には,つね日ごろの欲求不満や現実逃避的な心理機制もはたらいているので,その判定には慎重で,多面的な検討が必要である。
 わが国では,昔から一般に「酒の上」の事故には寛大な風習があるが,欧米では,酩酊による刑法犯に対して,刑事処分と保安処分の両面から,きびしい態度でこれに臨む国が多いし,酩酊それ自体を処罰の対象にしている国もある。すなわち,保安処分の一環として,飲酒者療養施設,嗜癖者の矯正ないし脱慣施設,アルコール中毒に対する治療処分など,それぞれ国情に応じた専門施設がもうけられ,合理的な解決策が講じられている。また刑務所に送られた中毒者は,専門の施設に集めるなど分類収容がなされ,そのほか,一般精神病院への収容,嗜癖者のための更生センターや匿名禁酒同盟(アルコーリック・アノニマス)の活用など,きわめて多面的な対策が積極的に行なわれている。わが国でも,とくに酩酊による交通犯罪が増加している折りわら,このような多面的な解決策を真剣に考慮すべきであろう。