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 昭和37年版 犯罪白書 第一編/第六章/八 

八 保安処分のための基礎的調査

 これまで述べてきたことから明らかなように,犯罪性精神障害者の対策は,ヨーロツパ大陸系の多くの国々では,保安処分の中で取り扱われているのが普通である。責任無能力者または高度の精神障害者は,治療=看護施設あるいは司法精神病院は送られ(ドイツ,スイス,イタリー,スェーデン,ノールウェー,フィンランド,デンマーク等),アルコールその他の薬剤中毒または嗜癖者は療護施設,矯正施設または脱慣施設に送られる(ドイツ,スイス,スェーデン,ノールウェー,フィンランド,デンマーク等)。フランスでは,わが国の精神衛生法のように,行政処分によって精神病者は精神病院に,アルコール中毒者は保健局の管理下にある治療または再教育センターに送られることになっている。
 アメリカ合衆国では,ヨーロッパ式の系統的な保安処分の方式は採用していないが,国立または州立の精神病院,医療刑務所などに収容して,司法当局と精神衛生当局との緊密な協力のもとで,適切な処遇が円滑に行なわれている。
 なお,最も困難な問題である精神病質犯罪者については,ゴーロッパでは予防拘禁ないし保安拘禁の制度がいくつかの国々で試みられ,専門の保安施設をもっている国もある。アメリカ合衆国では,これに灯する治療的不定期処分の試みとして,多くの州が性的精神病質に対する特別立法を行なっていることも述べた。
 今日,わが国には,このような制度がみられないが,一九四〇年の改正刑法仮案の中では,保安処分の一環として,精神障害者またはろう唖者に対する監護処分と,アルコールまたは麻酔剤の嗜癖者に対する矯正処分が提案されている。しかし当時の風潮としては,他の労作処分や予防処分とともに,時機尚早として積極的な支持を得なかったようである。昭和三六年一二月二〇日に刑法改正準備会が公表した改正刑法準備草案には,保安処分の章がもうけられ,治療処分と禁断処分が提案されている。すでに,昭和三五年四月に準備草案の未完稿が世に問われて以来,法律関係者ばわりでなく,精神医学の領域からも熱心な関心がよせられ,日本精神神経学会の中に,この問題に関する専門の研究委員会がもうけられたほどである。
 このような情況にかんがみ,法務省刑事局では,「保安処分に関する特別調査」を行ない,全国にわたって,精神障害者の犯罪に関する主な具体的事例を集めた。集められた事例は,昭和三四年一月から,昭和三六年四月までの間に,全国の地方裁判所または地方検察庁で,(1)心神喪失の理由によって,不起訴または無罪とされた者,および(2)治療処分・禁断処分等の保安処分が制度化されていたとすれば,これに付すのが相当と思料されたものの主なものである。
 I-128表は,心神喪失該当として,不起訴または無罪となった者の精神論断名と処分との関係を示したものであり,I-129表は診断名と被疑事実―罪名との関係を示している。まず,処分別についてみると,該当者五五二人のうち四九二人すなわち八九・一%の者が検察庁段階で不起訴処分になっていることがわかる。

I-128表 心神喪失該当者の診断名別処分別人員(昭和34年1月〜36年4月)

I-129表 心神喪失該当者の診断名別・罪名別人員等(昭和34〜36年)

 精神医学的診断の内容をみると,五八・三%が精神分裂病で,アルコール中毒の七・四%がその次に位している。繰うつ病,てんかん,精神薄弱は四ないし五%というところで,その割合は先に精神病と犯罪のくだりで述べた精神鑑定例の場合と大差がない。罪名別人員をみると,殺人が三五%で圧倒的に多く,放火の一九・七%,暴行・傷害の一四・七%,窃盗の一〇・一%などがこれに次いでいる。さきの鑑定例と比較してみると,殺人はほぼ同率であるが,放火がやや少なく,暴行・傷害・窃盗などが多ぐなっている。
 次に,保安処分相当と認められた者についてみると,総数五四七人のうち二〇二人(三六・九%)が起訴され,三四三人(六二・七%)が不起訴になっている。なお,起訴され,実刑に処せられた者が二一%,執行猶予になった者が五・一%,罰金刑を言い渡されたものが〇・四%で,I-130表は,これらの処分と罪名との関係を示している。この罪名別人員でとくに注目されるのは,心神喪失該当者の場合と著しく趣を異にし,麻薬取締法違反が圧倒的に多く,二六・三%を占めていることである。これらは,おそらく麻薬中毒者とおもわれるが,そのうち九五%が起訴されている。麻薬取締法違反に次いで多いのは窃盗と暴行・傷害であるが,これらは一五%程度で,殺人や放火はそれほど多くない。

I-130表 保安処分相当と認められた者の罪名別・処分別人員(昭和34〜36年)

 保安処分相当と認められた者については,精神診断の明らかでない者がまじっているので,これを統計で示すわけにはゆかないが,やはり精神分裂病,アルコール中毒,麻薬中毒,精神薄弱等が多く,精神病質者も少なくたいようである。
 I-131表は,心神喪失該当者と保安処分相当者について,各庁で行なった精神衛生上の処理状況であって,心神喪失該当者の四六・四%が精神衛生法による措置入院,三〇・一%が同意などの入院で精神病院に入院している,非該当というのは,精神衛生鑑定の結果,精神衛生法による精神障害者と認められなかったものである。

I-131表 心神喪失該当者・保安処分相当者の処分後の処置別人員と率(昭和34〜36年)

 保安処分相当と認められた者については,三二・二%が措置入院の扱いを受けているが,二四・三%については,精神衛生上の処置がとられていない。なお六五人の勾留は,麻薬中毒患者で禁断症状の著しい者に対してとられた応急の措置である。
 さらに,法務総合研究所では,同じ期間内で東京地方検察庁で取扱い,精神病院収容の処置をとった二〇三人について,病院入院中および出院后の経過を追跡調査し,彼等の保護環境である家庭訪問を行なって,一般病院における治療看護と,地域社会における保護上の問題について専門的な分析と検討を行なった。これらの調査結果については,目下整理中であり,次の機会に詳細な報告を行なう予定であるので,二,三の所見を提供するにとどめたい。
 I-132表は,これらの二〇三人について,精神病院に入院したのちに確定した診断名で,精神分裂病が圧倒的に多く,アルコール中毒,躁うつ病,てんかんなどの病患ぶこれに次いでいるのは,全国的な統計と変わりがない。ただ精神病質と精神薄弱が多くなっていることは,検察段階における診断が,かならずしも的確に下されなかったことを物語るものではなかろうか。I-133表は,出院時の治癒状況と入院期間の関係を示したもので,七四人の入院中の者は,入院から調査までの期間を示している。これをみると,二〇三人のうち五〇人,すなわち四分の一の者が治癒または寛解退院しているが,軽快または不完全な治癒のまま退院しているものが二〇%をこえている。また,人格的な欠陥状態を残したり,症状不変のまま退院している者が一三・八%みられる。

I-132表 措置入院者の診断名別人員と率(昭和34〜36年)

I-133表 病院出院時の治癒状況と入院期間別人員等(昭和34〜36年)

 これらの者に対する病院側の社会的予後についての意見は,一般的にいって悲観的で,再犯を予想するもの,長期の保護を希望する声が圧倒的に多い。ことに精神病質者は,中毒者であると否とを問わず,病院における処遇が容易でなく,種々の事故の原因になっていることから,保安処分的な施設への収容が強く要望されている。