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 昭和55年版 犯罪白書 第4編/第1章/第2節/1 

第2節 非行少年処遇制度の推移

1 沿  革

 我が国においては,少年を成人から区別して処遇しようとする考えはかなり古くからあった。明治13年の旧刑法は,12歳未満の者を刑事未成年者とし,12歳以上16歳未満の者は,是非の弁別のないときは罪を論ぜず,情状により満20歳に至るまで懲治場に留置することができることとし,また,刑事未成年であっても8歳以上の者に対しては,情状により16歳まで懲治場に留置することができた。翌14年の監獄則では,尊属親から願い出のあった8歳以上20歳以下の放恣不良の者を懲治場で「矯正帰善」させる出願懲治の制を定めた。その後,35年12月に埼玉県監獄川越支署を16歳未満の幼年男囚及び男子懲治人の集禁場に指定したことを契機として,40年までの間,各地の施設にこの種の指定が行われたが,41年に現行の刑法及び監獄法が施行されたことに伴い,懲治場処分は廃止され,少年について特設監獄が設けられることとなった。
 これより先,懲治場での処遇の実際が一般犯罪者の自由刑の執行とほとんど異ならなかったところから,民間有識者の間に感化院設立の気運が高まり,明治18年10月,東京に私立予備感化院が設立されたのを初めとして,漸次各地に私立感化院が設立された。33年3月感化法が公布され,道府県立の感化院の設置を規定したが,この種の感化院が設けられたのは,わずかに東京,神奈川,埼玉,大阪,秋田の2府3県にすぎなかった。また,大正6年8月に国立感化院令が公布され,翌7年には,最初の国立感化院として武蔵野学院が設けられた。感化法は,昭和9年10月施行の少年教護法によって廃止され,感化院は教護院と称されるようになった。少年教護法による国立又は道府県立の少年教護院は,少年審判所から送致された少年などを収容し,少年鑑別機関を設けていたが,23年1月から施行された児童福祉法によって廃止となり,教護院は児童福祉施設の一種となった。
 一方,我が国最初の少年法は,大正11年4月に公布され,翌12年1月から施行された。この少年法は,刑罰法令に触れる行為をし又は刑罰法令に触れる行為をする虞のある18歳未満の少年に対し,寺院,教会,保護団体又は適当な者に委託すること,少年保護司の観察に付すること,感化院に送致すること,矯正院に送致することなど9種類の保護処分をすることができることとし,少年の審判のため少年審判所を設けることとした。また,少年に対する刑事処分として不定期刑を採用し,刑の執行を猶予された者あるいは仮出獄を許された者に対して少年保護司の観察に付することとした。
 少年審判所から送致される少年を収容する国立の施設について規定した矯正院法も,少年法と同時に公布され,大正11年12月には,最初の矯正院として,東京に多摩少年院,大阪に浪速少年院が設立されたが,少年法の施行区域が拡張されるとともに,矯正院の数も次第に増加した。委託保護のための保護団体として,11年には,千葉に財団法人星華学校が設立されたのをはじめ,この種団体が急速に増加したので,翌12年5月,これら少年保護団体の指導連絡に当たる少年保護協会が創立された。少年法は,我が国の非行少年処遇にとって画期的な法律であったが,当初における施行区域は,東京,神奈川,大阪,京都,兵庫の3府2県に限られていた。昭和9年には愛知,三重,岐阜の3県にも施行されるこ,ととなったが,全国的に施行されるに至ったのはよ,ようやく17年に入ってからである。
 今次大戦後の諸法制の改革の中で,現行の少年法が公布されたのは昭和23年7月で,翌24年1月から施行された。現行少年法は,少年年齢を18歳未満から20歳未満に引き上げ(実施は,26年1月),司法機関である家庭裁判所が保護処分にするか,刑事処分にするかを決定するとともに,保護処分の種類を保護観察,教護院又は養護施設送致,少年院送致の3種類とし,少年の福祉を害する成人の刑事事件についても家庭裁判所の管轄とした。また,少年法とともに少年院法が施行されたことに伴い,矯正院法は廃止され,少年院として,初等,中等,特別及び医療少年院を設置するほか,少年法の規定によって観護措置のため送致される少年を収容する施設として少年観護所を設置し,少年鑑別所を附置することとした。