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 昭和55年版 犯罪白書 第4編/第1章/第1節/1 

第1節 成人犯罪者処遇制度の推移

1 沿  革

 犯罪者処遇の歴史は,自由刑の制度を採り入れることによって大きな変革を遂げた。我が国においては,明治3年12月頒布の新律綱領で筈・杖・徒・流・死の五刑を定めたが,6年6月に頒布された改定律例は,筈・杖・徒・流の刑を改めて懲役に代えることとし,また,13年7月布告され15年1月から施行された旧刑法は,法律において罰すべき罪を重罪,軽罪及び違警罪の三つとし,刑を主刑及び附加刑に分け,重罪の主刑を死刑,徒刑,流刑,懲役,禁獄とし,軽罪の主刑を禁錮及び罰金とし,違警罪の主刑を拘留及び科料とした。5年11月制定の監獄則並図式は,監獄の本質として仁愛,懲戒を旨とすべきことを説き,その緒言において,「獄ハ,人ヲ仁愛スル所以ニシテ人ヲ残虐スル者ニ非ス,人ヲ懲戒スル所以ニシテ人ヲ痛苦スル者ニ非ス」と掲げ,行刑処遇の基本理念を示した。
 その後,明治14年9月に監獄則が制定され,監獄を分けて留置場,監倉,懲治場,拘留場,懲役場及び集治監の6種とした。22年7月公布の改正監獄則は,監獄の種類を集治監,仮留監,地方監獄,拘置監,留置場及び懲治場と改めたが,同時に監獄則施行細則が定められ,投法及び時限,工銭,給与,衛生及び死亡,書信及び接見,差入品,教海,賞与,懲罰などについて規定している。41年3月に現行監獄法が公布され,同年10月1日から施行された。
 監獄法は,監獄を分けて懲役監,禁銅監,拘留場及び拘置監の4種とし,労役場及び監置場を監獄に附設するとともに,拘禁,作業,教海・教育,医療・衛生,接見・信書などの規定を含んでおり,運用によっては,社会復帰のための処遇につながる今日の刑事政策上の配慮を有する法律であり,その内容は,具体的な運用の過程において逐次改善が図られた。また,大正11年10月,監獄官制の全面改正が行われるとともに,監獄の名称を刑務所と改め,監獄の名称からくる印象の転換が図られ,昭和6年には仮釈放審査規程が定められ,仮釈放の審査方式を標準化して仮釈放を積極的に運用する方針がとられた。更に,8年に行刑累進処遇令が制定され,処遇段階を4階級に分け,責任の加重と処遇の緩和とを通じて受刑者の自発的な改善への努力を促進し,段階的に社会生活に近づけ,もって社会適応化を図ろうとする組織的教育的処遇が推進された。
 一方,更生保護の分野においては,その制度化に相当の年月を要した。明治14年制定の監獄則は,仮出獄の制度とともに別房留置の制度を定めたが,この別房留置の制度は,刑期満限の後頼るべき所のない者,仮出獄を許されて住居や引取人のない者及び警察監視に付された者を,本人の願い出によって監獄内の別房にとどまることを許すものであった。この制度は,受刑者の増加に伴う財政的負担の膨脹や制度そのものに対する批判が強まったことにより,22年の改正監獄則によって廃止され,その後長い間,釈放者の保護は,専ら民間の保護事業に頼ることとなった。21年3月,金原明善により免囚保護のための組織的な民間施設の初めとされている「静岡県出獄人保護会社」が設立されたことにより刺激され,全国各地に同様の免囚保護施設が相次いで設立されるに至った。38年4月に刑の執行猶予に関する法律が公布され,我が国に初めて刑の執行猶予の制度が導入されたのに伴い,これらの執行猶予者も免囚者と合わせて保護の対象とされ,また,大正13年には刑事訴訟法が改正されて起訴猶予制度が法文上規定されるに至ったため,これら猶予者を保護する民間施設も各地に設立されるに至った。
 明治41年10月に施行された現行刑法には,仮出獄及び刑の執行猶予に関する規定が設けられたが,これらの者に対する保護観察についての規定はなかった。我が国において初めて保護観察の制度が採用されたのは,大正12年1月施行の旧少年法によってであるが,成人に対しては,昭和11年5月公布の思想犯保護観察法によって,治安維持法違反による刑の執行猶予者,仮出獄者,刑期終了者などを対象とする保護観察に限られた。このように,今次大戦までは,成人の一般犯罪者に対する保護観察制度は採用されなかったが,14年3月に司法保護団体と司法保護委員を制度化した司法保護事業法が制定され,起訴猶予者,刑執行猶予者,刑執行停止者,刑執行免除者,仮出獄者,満期出獄者及び少年法による保護処分少年などを対象とする更生保護の体系の整備が図られた。