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 昭和50年版 犯罪白書 第2編/第4章/第1節/2 

2 更生保護の特性とその沿革

 更生保護は,当面の目標を犯罪者の改善更生とその社会復帰の援助をすることによる再犯防止に向けているところから,その方法は,個別処遇を基調として,対象者の自立自助を援助する形を採ることとしている。その結果,社会福祉的な内容を持つ犯罪対策として特異な性格を帯びており,その実施は,国の責任において行われるものではあるが,更生保護の目的を達するために,すべての国民の応分の寄与が要請され,市民参加の原則が求められるなど,いわゆる官民一体の形態が不可欠とされている。この顕著な特性は,更生保護が犯罪者の社会内処遇であることの当然の帰結であるとともに,その沿革によるところが多い。更生保護というものの考え方や試みは,犯罪や非行のため社会の正常な生活から落後した者を救済しようとする慈恵的なものに発したことは疑いないところであり,我が国においても,長い間,民間篤志家や宗教家による慈善救済活動として国の責任の外で発展してきた。それが,近代国家の成長とともに,犯罪とその予防の問題が大きく浮かび上がり,犯罪者の救済が次第に犯罪予防の手段として認識され始めた。明治5年に監獄則を定め,これによって懲治監の制度を設け,再犯防止と社会復帰を図るために,監獄で刑余者を受刑者と区別して収容保護する制度を採用し,更に,14年に監獄則を改めて翌15年から施行し,別房留置による収容保護を始めたことなどは,国の責任において釈放者保護を行おうとしたものであった。しかし,再犯防止のための公営の更生保護ともいえるこれらの制度は,当時の国情に適さず,前者は,翌6年に停止,後者は22年に廃止され,以来久しく,釈放者保護は,専ら民間篤志家あるいは宗教家などの慈善事業にゆだねられ,政府は,これら免囚保護又は刑余者保護と呼ばれた事業に対し,奨励費の支出,民間保護施設の設立の勧奨等を行うにとどまっていた。
 明治初期の釈放者保護は,免囚保護又は刑余者保護の呼称からもうかがえるように,対象は専ら出獄者に限られていたが,明治38年に刑の執行猶予に関する法律が施行され,更に大正13年に刑事訴訟法が改正され,起訴便宜主義が明記されるに及び,執行猶予者及び起訴猶予者も保護の対象に組み入れられた。
 一方,犯罪少年に対しては,成人犯罪者とは別な体制で臨んでおり,明治13年公布の旧刑法における懲治場収容による矯正改善制度の採用,33年制定の感化法による感化教育の実施等,国の責任体制は成人の場合に比べ強力ではあったが,更生保護について国の責任が明確に打ち出されたのは,大正11年制定,翌12年から施行された旧少年法が最初である。旧少年法の施行により,少年犯罪に対しては,慈善的な民営の免囚保護,刑余者保護とは異なり,この法律により設置された少年審判所による少年保護制度の運用が行われた。この制度においては,処遇の方法の一つとして,保護観察を採用し,実施機関として少年保護司の制度を設けた。少年保護司には,官吏である専任の保護司と民間の篤志家である嘱託保護司を設け,観察業務の実施を両者の協働態勢で当たらせることとした。先に述べたように,執行猶予者,起訴猶予者を新たに対象に加え,免囚保護は釈放者保護と呼ばれるようになっていたが,旧少年法の施行とともに,更に少年保護がこれに加わって,ここに釈放者保護と少年保護を包摂する司法保護ができ上がった。
 現在の更生保護の前身がこの司法保護であるとすることができるが,その内容を子細に見ると,司法保護の概念の中には,仮釈放は含まれておらず,他面,少年審判や矯正院処遇が含まれているなど,両者は厳密には重ならない。
 このような経過を経て,罪を犯した者のすべてが司法保護のわく組みの中で保護の対象とされるようになり,長年,民間の善意にゆだねられてきた更生保護事業を国の責任において運営する旨を明らかにすべきであるとする気運が高まり,昭和14年に司法保護事業法が施行されるに至った。この法律は,再犯防止の見地から,民間の司法保護事業経営者に対する国の監督と助成について定めたもので,嘱託少年保護司とともに現在の保護司の前身とされる司法保護委員は,この法律の規定によるものである。
 司法保護事業法における保護の対象は,広範囲にわたり,起訴猶予者・執行猶予者・刑執行停止者・刑執行免除者・仮出獄者・刑執行終了者・保護処分少年の7種類に及び,また,保護期間には制限を設けなかった。このように,広範にわたる対象者に対し,しかも,期間を限らず保護の措置を執り得る点で,司法保護事業法の運用は,刑事政策的意義のほかに,一般の社会事業としての性格を多く併せ持つものであった。
 司法保護事業法が施行された昭和14年以降の我が国の更生保護活動は,[1]旧少年法に基づき少年審判所,矯正院,少年保護団体が行ったもの,[2]司法保護事業法に基づき司法保護委員会,司法保護委員,司法保護団体が一般の犯罪前歴者に対して行ったもの,[3]思想犯保護観察法に基づき保護観察所,保護観察審査会,思想犯保護団体がいわゆる思想犯に対して行ったものの三つの系列によって運営されていた。それらが,犯罪者予防更生法の施行に始まる一連の立法を契機として,現在の体制へと変容を遂げたのである。