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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第一章/二/2 

2 犯罪に陥りやすい素質

(一) ロンブローゾ学説と生来性犯人

 犯罪原因を生物学的素因とくに遺伝的な素因に求める代表的なものとしては,ロンブーロゾの生来性犯人説がよく知られている。ロンブローゾはイタリーの精神医学者で,彼の方法が従来の観念的な犯罪観に対しきわめて実証的であり,当時の最新の人類遺伝学を導入したことから,犯罪人類学派ともよばれ,近代刑事学の始祖とされている。かれは,犯罪者の大部分が生まれつきの犯罪者と考え,これを「生来性犯人」と名づけたが,この生来性犯人は,つぎの理論的命題によってうまれた。
(イ) このような犯罪人は,生来的に特異な人類学的類型である。
(ロ) この類型は,因果的に関連のある一定の身体的(いわゆる変質徴候)ならびに精神的表徴によって,特徴づけられている。
(ハ) この特徴は,犯罪行為を行なうべく運命づけられた人格のあらわれで,隔世遺伝または変質によって生じたものである。
(ニ) したがって,このような人格の所有者は,環境がよほどよくないかぎり,ほとんど宿命的に犯罪に陥る,というのである。
 ロンブローゾは,のちに,生来性犯人のほかに,精神病性犯人,激情犯人,偶発性ないし機会性犯人の存在を肯定して,生来性犯人の範囲をせばめたが,それでも,なお,三五パーセントはそうした生まれつきの犯罪だと考えた。
 このような人類学的犯罪観が,ラカッサーニュ,マタベリー,タルドなど社会環境を重視する人びとから,きびしい批判をうけたのは当然であるが,その重要な理論的命題である変質徴候,隔世遺伝,変質などについての説が,精神医学者によって,一つ一つ論駁された。その後における犯罪生物学の発展によって,その始祖たるロンブローゾの人類の一変種としての生来性犯人の存在は否定し去られたが,犯罪人類学派の主張はまったく影をひそめたわけではない。かれの生国イタリーには,いまだに彼の学説の正しいことを確信して,犯罪者と非犯罪者の資質を組織学的に研究している学者もいるし,社会学的な犯罪観が風靡しているアメリカにも,犯罪者と非犯罪者の身体的差異を研究している文化人類学者がいる。

(二) 犯罪の遺伝と変質

 犯罪の遺伝とか変質ということばは,今日も,なお通俗的にもちいられていて,今日の常識で結核が遺伝病でないことが明らかであるとおなじくらいまでには,正しく理解されていない。今日までに明らかなことは,犯罪者のうちで常習的な犯罪者に遺伝負因が比較的濃いという程度のことで,遺伝によって伝えられるものは,犯罪に陥りやすい素質だけである。専門的には「遺伝負因」とよばれ,血縁中の精神病,精神病質,精神薄弱,飲酒嗜癖,犯罪などの存在があげられ,自殺,売春,浮浪,脳出血などの存在を加えるのもある。しかし,これらの精神障害や異常行動が直接に子孫に伝えられるというのではなく,これらの異常や社会不適応と関係の深い人格偏倚が素質として伝えられるということである。I-25表は,各種の犯罪者の直接犯罪負因として,従来の研究者の掲げている数字をまとめたものであるが,父の場合をみても,グリュック夫妻の六六パーセントからシュトンプルの四パーセントまで,かなりの幅がみられる。犯罪者たる父母のいることそれじたいが不良な環境となることは,いうまでもない。

I-25表 各種犯罪者の直接犯罪負因

 変質という概念は,いまから百年ばかりもまえに,フランスの精神医学者のモーレルが唱えたもので,ある人種または家族の精神身体的な抵抗力が,遺伝的に世代から世代へと進行的に低下するということである。したがって,人種や家族にこの変質がおこると,かれらは宿命的にいつかは滅亡する,というのである。変質者は,このような遺伝的変質の産物で,身体的には変質徴候をもち,精神的には精神的変質となってあらわれるという。ロンブローゾの生来性犯人の説には,このモーレルの考えかたがつよく影響している。精神的変質ということばは,のちに,異常性格とおなじ意味につかわれるようになった。このつかいかたは誤りで,精神病や精神薄弱が変質でないとおなじように,性格の異常が変質のあらわれでないことは,専門家のあいだで認められているところである。したがって,異常な犯罪がおきると,今日,なお,報道関係者や一部の専門家がそれをただちに変質者の仕業にしてしまうのは,時代おくれの考えかたであるばかりでなく,誤った用語でもある。

(三) 知能の欠陥(精神薄弱の犯罪)

 犯罪者の知能,とくに知能の欠陥をおもな症状とする精神薄弱と犯罪との関係について,つよい関心を示したのはアメリカの学者であった。なかでも,心理学者のコダードは,ロンブローゾのいう生来性犯人は精神薄弱であって,知能の欠陥こそ犯罪のもっとも重要な原因であるとし,アメリカの刑事学者の注目を浴びた。これが刺激となって,アメリカに精神測定の一種のブームがおこり,種々の犯罪者や非行少年に知能検査が行なわれた。もちろん,多くの学者は,犯罪者や非行少年のうちにかなり高率の精神薄弱の存在を指摘したけれども,一方には,ヒーリーやイギリスのバートなどのように,精神薄弱の役割をそれほど重くみない学者もいた。彼等の調査によれば,非行少年における精神薄弱の比率は一〇パーセント前後で,たしかに,知能の欠陥は,犯罪の原因として見のがすわけにはいかないけれども,これをとくに重くみることはできないとした。
 このように,犯罪者や非行少年における精神薄弱の比率は,学者によりまちまちで,かなりの幅のあるところから,刑事学者のサザランドは,一九一〇年から一九二八年までのあいだに発表された三四二の研究を整理してみたところ,少年矯正施設に入っている者の精神薄弱の割合は,最低一パーセントから最高九六パーセントまでの幅があるけれども,年代別にその平均値をとってみると,調査年代が新しくなるにつれ減ってきて,五一パーセントから二〇パーセントまで下がっていることが明らかになった。なお,ゴダードの研究では,一六の矯正施設で精神薄弱の比率は平均六四パーセントであった。おなじくアメリカのウッドワードは,一九三一年から一九五〇年までのあいだに発表された一四の研究を検討した結果,一九三一年発表の七一から一九五〇年発表の九二までIQ(知能指数)の平均にいちじるしい上昇がみられた。さらに,一九三四年以降どの研究をみても,IQ七〇以下の精神薄弱は,一三パーセント以下であることがわかった。
 わが国での非行少年についての調査研究を整理したのがI-26表で,これをみても,精神薄弱は,終戦前の少年院の調査では二四-四一パーセントのあいだだったのが,戦後は二〇パーセント前後に減っている。また,少年鑑別所では一〇パーセント前後だから,警察や,検察庁や家庭裁判所でとりあつかう少年では,もっと低くなって,一般国民中の精神薄弱の比率と大差ないことになろう。しかし,女子は,男子にくらべて(I-27表)精神薄弱の比率が高く,少年鑑別所で二〇パーセント前後,少年院で三〇-三五パーセント,女子刑務所で五七パーセント(後出)となっている。これは,女子犯罪者のうちにはたして精神薄弱が多いのか,それとも,女子では精神薄弱のほうが余計に検挙され,あるいは施設に送られる条件になっているためなのか明らかでない。

I-26表 非行少年中の精神薄弱者の割合

I-27表 少年院等在院者中の精神薄弱者の割合

 かくて,犯罪原因における低知能の重要性はしだいに失われてきたけれども,多くの心理学者によって,犯罪者の知能の質的な面における特性が注目されている。また,精神薄弱の非行者には,知能の欠陥のほかに,多かれ少なかれ,人格の異常性がともなっており,そのため特有の犯罪現象を示しているが,その詳細については,精神障害者の犯罪のくだりで述べることにしたい。なお,犯罪の種類と知能との関係をみると,一般に放火には知能の劣る者が多く,性犯罪がこれにつぎ,殺人や文書偽造などは一般に知能が高い(I-38図参照)。

I-38図 青少年犯罪者の罪名別知能段階別構成

 このように,犯罪者や非行少年のうちに精神薄弱が少なくなって,犯罪原因にしめる知的欠陥の役割が重くみられなくなった最大の原因は,精神薄弱に対する一般の認識と理解とが高まり,特殊教育が普及し,精神薄弱の社会福祉対策がすすんだためとおもわれる。なお,最近は精神薄弱の再犯率も減少している事実がみられているが,これも,矯正施設における分類処遇と専門施設の分化と,保護観察技術の進歩によって,もたらされたものであろう。

(四) 性格の異常(精神病質と犯罪)

 性格の異常と犯罪との関係については,いまもむかしも,変らないつよい関心がはらわれ,とくに,慣習性犯人や状態犯人は,性格の異常―精神医学の用語でいう精神病質ときりはなして論ずることはできない。I-28表にも明らかなように,種々の犯罪者のうちでの精神病質の比率にかなりの幅があるけれども,頻回累犯者や慣習犯人の大部分が精神病質人格者で,状態的な人格偏倚が犯罪反復の重要な原因になっている事実は,だれも否定できないであろう。

I-28表 犯罪者中の精神病質者の割合

 精神病質の概念については,アメリカの学者とドイツの学者とで若干の相違があるけれども,わが国でもちいられているのはドイツのシナイダーの定義である。すなわち,精神病質とは異常人格で,その異常性のために社会が悩まされるか,あるいは本人が悩まされるようなものである。ところで,この異常性とは,社会学的な意味での偏りであって,今日では,平均人格様式からの偏倚とみる人が多い。また,異常の成因については,内因性すなわち生まれつきと考えられ,そのためたえず社会と摩擦をおこすことから,内因性の状態的不適応という考えかたがひろく採用されている。このような人格の持主が犯罪に陥りやすいことは,いまさらくりかえすまでもないことである。
 この精神病質人格については,種々の臨床的類型が考えられていて,各類型と犯罪との結びつきが多くの学者によって研究されている。わが国で,今日,一般にもちいられている類型は,さきに述べたシナイダーの類型で,それは,つぎのようなものである。発揚情性型,抑うつ型,自己不確実型,狂信型,自己顕示型,爆発型,情性欠如型,意志欠如型,無力型。しかし,これらの型が,すべて犯罪と関係があるわけではない。このうち,犯罪と密接な関係があり,かつ,数ももっとも多く見られるのは,意志欠如型と情性欠如型である。つぎは自己顕示型と発揚情性型で,爆発型や気分易変型は,激情犯や暴力犯などに比較的多い。狂信型は,数はさほど多くないけれども,矯正がきわめて困難で,施設内処遇にもいろいろ問題がある。
 シナイダーは,性欲異常あるいは性的倒錯についてとくに精神病質類型を設けないが,性的精神病質という概念を別に設けている学者は少なくないのであって,アメリカのいくつかの州では,後述するように,特別の立法措置をさえとっている。性的異常は,ただちに性犯罪にむすびつくところから,諸外国では注目されている。今日,精神病質について残されている問題は,その概念規定をもっと明確にするとともに,人格偏倚の程度を客観的に測定する標準化された方法を工夫することにある。このパーソナリテイの特性を多面的に把握するために,各種のテストの組合せによる人格測定の方法が,多くの臨床心理学者によってこころみられている。

(五) 身体的特徴(犯罪者の体型と脳波異常)

 ドイツの精神医学者であるクレッチマーが身体構造―体型と性格との関係を明らかにして以来,ロンブローゾとはちがった意味で,身体的特徴が犯罪者人格との関連において重要な意味をもつことが再認識されるにいたった。しかし,これは,あくまでも,犯罪と関係の深い人格特性の基底をなす身体特徴を明らかにしようというので,犯罪原因そのものを,身体特徴との関連において,一元論的に云々しようとするのではない。周知のように,クレッチマーは人間の体型を細長型,肥満型,闘士型および発育異常型に分けたが,これまでの研究では,犯罪者には,一般に,闘士型が多く肥満型の少ないことが特徴とされている。そのほか,分裂性―闘士型―発育異常型はつよい累犯傾向を示すこと,犯罪別にみると詐欺的窃盗犯人には細長型,暴力性財産犯や暴力性風俗犯には闘士型,非暴力的風俗犯には発育異常型の多いことが明らかにされている。闘士型が暴力犯に特有であることについては,多くの学者の意見が一致している。最近,グリュック夫妻も,非行少年と非行のない少年について,シェルドンの提唱する体型(外胚葉型,中胚葉型,内胚葉型)の研究を行なった結果,非行少年に筋肉質の中胚葉型が多いことに関心を寄せている。この所見は,これまでのクレッチマーの体型診断の結果とも,ほぼ一致するものである。そのほか,犯罪者の内分泌機能や植物神経機能の研究などもみられているが,これらは犯因性人格の身体的基礎を明らかにしようとする程度のもので,直接に犯罪原因に肉迫するような所見は,まだ得られていない。
 わが国の矯正施設にも最近では脳波測定が普及し,犯罪者や非行少年の診断に役立っている(I-29表30表)。従来とても,犯罪者や非行少年のうちに,高率の脳波異常が指摘されてきたが,この異常波の出現率には二〇パーセントから八〇パーセントくらいまでの幅があるし,脳内過程や行動異常と脳波との関係についても,まだ十分に明らかにはされていないので,犯罪行動と脳波異常とを直接に結びつけて,因果関係を云々できる段階にはいたらない。しかしながら,脳の器質的障害による行動異常と,機能的な行動異常とを識別するうえに,脳波測定はかくことができないし,これは,犯罪と関係の深い「てんかん」性の障害や,それと縁の近い爆発性,気分易変性,攻撃性などの人格障害の精密診断には,今日,もはや,なくてはならないものとなっている。

I-29表 受刑者の異常脳波出現率

I-30表 行動問題児の異常脳波出現率

(六) 年齢(思春期,更年期,老年期と犯罪)

 人間の一生には,自然の四季や草木の栄枯に似た変化がある。それは,生理的な成熟と退行との過程であるが,同時に,心理的,社会的な変化をともなっている。この変化が,ときに人生の危機となり,いろいろの精神病はもとより,犯罪や非行を解発する原動力となっている。この移りかわりのうちで,もっとも重要なのは思春期である。この時期は,少年期から成人期に移る重大な時期で,だいたい,一四才ごろから二二,三才ごろまでにわたっている。この期間を狭義の思春期と青年期とに分けているひともある。いずれにしても,この時代には,性的成熟にともなう内的不安定,感情や気分の不調和と両価性,行動の矛盾性,周囲に対する遮断が,対立的な態度,直情的,非妥協的傾向,現実と理想の未分離などの特有の徴候となってあらわれるので,通常人も,多かれ少なかれ,一過性の社会的脱線を経験するのである。したがって,この時代に,多くの素質的失調が露呈して,犯罪や非行に陥るばかりでなく,ときには素質的異常傾向を固定させて,特有な犯罪人タイプをつくりあげるのである。
 ここで,犯罪の発生を被検挙者の年齢段階別罪種別構成についてみると(I-39図),思春期に急速に上昇して,青年期の後期に人生最大の山をなしていることがわかる。成年になると,生理的にも,心理的にも,また,社会的にも安定してくるが,更年期に入ると,まず,生理的,心理的な変化がおこり,第二の危機に入るのである。女子は,月経のなくなる経閉期がこれにあたり,通常四五-五〇才の間にもっとも多いが,四二,三才ごろからはじまる者もある。男子は,女子より一〇年くらい遅れ,初老期ともよばれる。しかし,この時期には,精神的にも成熟し,社会的にも安定しているので,思春期ほどの脱線行為はみられない。五〇代から六〇代にかけて,生殖腺のほかに有機体の一般組織に退行過程がはじまり,やがて老年期に入って,老人性の変化がおこる。この老年期は,医学ではおよそ七〇才からであるが,刑事学では,六〇才以上とされている。この時期には,老人特有の犯罪がみられる。

I-39図 被検挙者の年齢段階別罪種別構成(昭和33年)

 このような年齢的な発達段階に応じて,それぞれ特徴的な犯罪があらわれていることは,種々の刑事統計の示すところである。少年は,窃盗というもっとも原始的で単純な犯罪と,体力だけは旺盛だが思慮のかけたところからくる粗暴犯とに親しみ,二五才未満は,少年に準じた特色をもっているが,体力や性的エネルギーの横溢から,強姦や強盗などの強力犯が特徴である。三〇代と四〇代とは比較的に安定しているが,中年以上から公文書偽造や詐欺,横領などが比較的に多く,老年期に入ると,殺人,放火,性犯罪が上昇の気配をみせる。欧米では,とくに性犯罪が,老年期犯罪の特徴とみられている。このように,老年期に入ってふたたび殺人,放火,性犯罪のような重い犯罪がみられるのは,老年という特殊な境遇の影響にもよるが,高血圧症や老人性精神障害によるのも少なくないのであって,I-40図は,わが国の老人受刑者について,この間の事情を雄弁にものがたっている。なお,年齢と関連して留意すべきは,犯罪の始期の早い者(早発犯)ほど,その遅い者(遅発犯または晩発犯)にくらべて社会的予後が不良で,再犯の危険性の濃いことが知られている。これは,早発犯ほど素質的,環境的な病理性が濃厚なことを示すもので,非行少年についても立証されている。

I-40図 早発・遅発・初犯別老人受刑者の精神医学的診断別構成

(七) 性差(女性犯罪の特徴)

 世界のどの国も,刑事統計によると,女性犯罪は,男性犯罪にくらべて,いちじるしく少ない。実際に女性犯罪が少ないのか,また,事実少ないとしてその原因がどこにあるのかについては,いろいろ議論のあるところである。しかし,女性犯罪の特徴は,全体的,量的な差よりも,むしろ,質的な差にあるのであって,放火,失火,遺棄,堕胎,嬰児殺,売春などが女性的犯罪(これに対し,強盗,強姦,恐喝,涜職などは非女性的犯罪)とされてきているのは,女性特有の生理によるものであることは,述べるまでもない。とくに,月経と犯罪との関係は注目されており,月経中の感情刺激性,疲労性,衝動性は,直接に犯罪の原因となる。また,月経による精神不調が不満,羨望,嫉妬,怨恨などの感情を刺激して,激情犯に駆りたてることは,しばしばみられるところである。