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令和3年版 犯罪白書 第7編/第1章/第2節/2

2 コングレスの変遷

昭和30年(1955年),スイスのジュネーブにおいて,第1回コングレス(なお,第1回から第10回までの名称は「犯罪防止及び犯罪者の処遇に関する国際連合会議」(United Nations Congress on the Prevention of Crime and the Treatment of Offenders)であった。)が開催された。国際刑法監獄委員会が開催する国際会議は官民を合わせた専門家会合の性格が強かったため,コングレスも同会議の性格を継承し,昭和35年(1960年)の第2回コングレスから昭和50年(1975年)の第5回コングレスまでの4回では,本会議における投票権は政府代表のみに与えられたものの,分科会については非政府組織(NGO)や個人参加者にも投票権が与えられるなど,学術的な色彩を帯びた会議であった。

昭和55年(1980年)の第6回コングレスからは,本会議・分科会を問わず加盟国の政府代表のみに投票権があるとされ,その他の参加者はオブザーバーと位置付けられることとなり,決議の採択を通じて政策決定を行う政府間の国際会議となった。

そうしたところ,コングレスで採択される決議の数が増大し,その膨大な数の決議等をいかに実施するかということが現実問題として取り上げられることとなった。最終的に,平成3年(1991年)の国連総会の決議によって,新たに,経済社会理事会の機能委員会の一つとして,国連の犯罪防止及び刑事司法の分野における主体的政策決定機関であるコミッションが創設され,コングレスはコミッションの諮問機関として再定義された。

その後,平成7年(1995年)の第9回コングレスからは,コングレスで決議を採択することはなくなったが,全体会合に加えて,ワークショップが正式プログラムとなり,これらの正式プログラムと並行してパネルディスカッション方式等の附属会合も開催されることとなった。このことから,コングレスは,それまでと比較して,政府間会議としての性格が薄れ,再び第5回コングレス以前の専門家会合としての色彩が強い会議となった。

平成10年(1998年)の国連総会決議により,平成12年(2000年)の第10回コングレスからは,上級会合ハイレベルセグメント)が創設され,政治宣言が採択されることとなり,同コングレスでは,単一の政治宣言である「ウィーン宣言」が採択された。

その後,平成14年(2002年)の国連総会決議により,コングレスにおける政治宣言の採択及び上級会合の開催が恒久的なものとなり,コングレスがコミッションにおける政策の大綱について強い影響力を及ぼす現在の形となった。

なお,昭和30年(1955年)の第1回コングレスから直近の第14回コングレス(京都コングレス)までの開催状況は,7-1-2-1表のとおりである。

7-1-2-1表 コングレス関連年表
7-1-2-1表 コングレス関連年表