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 昭和40年版 犯罪白書 第一編/第三章/四 

四 動力学的な犯罪原因論

 動力学的犯罪原因論ともいうべき立場の学説は,昭和三五年版の犯罪白書においても簡単に紹介した。また,すでに述べた精神病質に関する精神分析学派の人々の所説などのうちに動力学的考え方が存在していることは明らかと思う(九五頁)。ここでは,やや古いがわかりやすい一例として,メッツガーの所説を略述する。
 メッツガーによれば,犯罪の条件と考えられる素質的要因と環境的要因のそれぞれに属する多数の因子について,優越の論議をするなどということは,研究の出発点において誤っている。これらの因子は個々に独立し固定した強さをもって働くものではなく,ある一定時点においても,また,発達史的にみても,相互に複雑な組合せとなって働き,かつ,その組合せにしたがって,その強さを異にするものである。われわれの対象は,この「動力学的構成体」でなければならない。しかし,いきなり全体的に動力学的構成体について論議をすることは混乱を招くだけであるので,メッツガーは,これを素質の動力学,環境の動力学および素質と環境の動力学の三つに区別して論じ,このようにして全体的な理解を得しめようとしている。
 まず,いわゆる素質の動力学において,メッツガーは,「潜在的犯罪」ということと犯罪者の全人格内にしばしばみられるとする「素質―対立」という現象について注意した。犯罪行為への傾向は,たとえ最善の人間の中にも存在するという。すなわち,何人も犯罪性の思想と追求傾向を精神的深層に持つが,法は思想や精神深層の状態を罰するものではないから,これらの傾向は刑罰の対象になることはなく,そこには,いわゆる潜在的犯罪が存するに止まる。しかし,問題は,その傾向がどのようにして犯罪行為となって顕現するかである。ここにメッツガーは,精神医学者のホフマンなどの研究結果を参考として,「素質―対立」の理論を説く。すなわち,たとえば先にクレッチマーの体型による気質分類に関する所説を紹介したが,そこで説かれた気質はむしろ理念的な存在であって,実際の人間は遠い祖先以来幾重にも混合し続けて来た,しかも,いわば渾然一体となった性格特徴を持っている。だから,凶悪な殺人犯人が,その凶暴性にも拘らず,特定の人間や動物に優しい愛情を示すようなことは何等不思議ではない。個々の性格特徴は相互に結合し,反発し,敵対し,また互に拘束する。そして,それらの総体が一つの動力学的構成体として,ある時に犯罪の実行に及ぶというのである。次に,メッツガーは,同様な考え方をいわゆる環境の動力学においても説いた。多くの環境的因子もまた人の出生からその犯罪の実行に至るまで長期間にわたって作用するが,それらはやはり単独ではなく,相互に複雑な組合せを形成して作用するというのである。たとえば,貧困という因子に親の愛情の欠如という因子が加われば,一体的となって犯罪傾向を助長するということは容易に理解しうるであろう。このようにして,メッツガーは,最後にいわゆる素質と環境との動力学に達した。この段階においては,もはや素質と環境とを分析することさえ困難とされる。けだし,たとえば,環境は素質の形成に作用し,また,そのようにして形成された素質は環境の形成に作用して,いわば無限に進行しつつ,両者の動力学的構成体を構成するものと考えられるからである。そこで,犯罪とはこの構成体の一つの働きであって,その原因は何かといえば,構成体全体といわざるをえないようなことになる。しかし,このことから,素質環境問題の問題性を否定しようとするならば,それは誤りであり,反対にこの問題は依然として将来も犯罪学の中心課題の一つとして存続するであろうと,メッツガーは注意している。