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平成22年版 犯罪白書 第7編/第3章/第2節

第2節 警察への重大事犯者等に関する情報提供

法務省は,警察において,犯罪の防止や犯罪が生じた場合の対応を迅速に行うことができるようにするための協力として,次のとおり,警察庁に対し,重大事犯者を中心に一定の罪を犯した受刑者に関する情報を提供している。

平成17年6月から,刑事施設の長は,警察庁に対し,13歳未満の者に対する強制わいせつ,強姦,わいせつ目的略取・誘拐及び強盗強姦に係る受刑者などについて,釈放予定日のおおむね1か月前に,釈放予定日,入所日,帰住予定地等を通知している。22年5月末日までに情報提供した対象者数は,758人であった(法務省矯正局の資料による。)。

これに加え,平成17年9月から,法務省は,警察庁に対し,殺人,強盗等の重大な犯罪やこれらの犯罪に結び付きやすいと考えられる侵入窃盗,薬物犯罪等に係る受刑者について,毎月,釈放(予定)日,入所日,出所事由等を通知している。22年5月末日までに情報提供した対象者数は,延べ約13万1,000人であった(法務省矯正局の資料による。)。


コラム:ある殺人犯罪者が立ち直るまで

1 X は,不動産会社に勤務し,妻子と暮らしていたが,仕事の不満を飲酒で晴らすことが多く,泥酔の上での傷害事件で罰金に処せられたこともあった。その後,残業代欲しさに飲酒しながら残業していたのを上司V から叱責されて逆上し,給湯室にあった包丁でV を刺殺し懲役13年に処せられた。

2 X は,若年のため,裁判確定後,拘置所から調査センター(刑務所)に移送され,2か月間,綿密に処遇調査を受け,他人に責任を転嫁する傾向やアルコールへの依存が強いと判定された。その後,X は,A 刑務所に移送され,2週間,刑執行開始時の指導を受けて刑務所生活の決まりなどを学んだ。その間,刑務所の職員は,X と面接して性格等を調査し,調査センターでの調査も踏まえ,「処遇要領」が策定され,矯正処遇は,「犯した罪の重大性を理解し,被害者や遺族への謝罪の気持ちを深める。」,「飲酒の問題を認識する。」,「将来の生活設計を考える。」ことを目標として実施されることとなった。

3 刑執行開始時の指導が終了し,X は,6人の共同室に収容され,規則正しい生活を送ることになった。平日は,午前7時前に起床し,朝食後,他の受刑者と共に工場まで行進し,午後4時30分まで,金属プレス機等を使用して機械部品を組み立てる作業に従事した。次第に技能が向上し,難しい工程の作業を任されるようになり,入所の5年後には,班長に指名され,他の受刑者に作業方法を教えるようにもなり,他人を指導する難しさに気付くことも多く,上司V の叱責に反感を抱くばかりであった,かつての自分を反省するきっかけにもなった。また,作業技能が向上するに従って作業報奨金は増え,月額約1,000円から,出所時には月額約1万円となった。平日には,毎日,作業時間の途中で,40分間,工場単位で運動場等で運動をする機会があり,雑談するだけの受刑者もいたが,X は,運動に心がけ,年1回の運動会等でも活躍し,楽しみが少ない中で気分転換になった。入浴は,週に2〜3回,工場単位で他の受刑者と共に行った。作業終了後は,行進して居室に戻り,夕食後,午後9時に就寝した。

休日や平日の就寝までの余暇時間は,共同室で,同室の受刑者と将棋や雑談をしたり,備付けの小説や家族からの差入金で購入した雑誌を読むなどして過ごした。また,刑務所では,受刑者が参加する俳句,絵画等のクラブ活動が行われ,X は,毎月1回,教室で篤志面接委員から書道の指導を受けた。

衣類,寝具,日用品は,刑務所から貸与されたものを使用しなければならなかったが,下着や歯ブラシ等は自弁のものを使用することも許されていた。

4 A 刑務所では,X が出所後は妻を引受人として自宅に戻りたいと希望していたので,入所の3か月後に,その旨を記載した「身上調査書」をX 宅の所在地を管轄するB 保護観察所に送付し,B 保護観察所長は,担当保護司を指名し,保護司によるX の妻との面談の結果等を踏まえて,同人を引受人とし自宅に戻ることに問題がないことを確認し,A 刑務所及びC 地方更生保護委員会にその旨を伝えた。その後,保護司は,1年に1回程度,X の妻の引受けの意思に変わりがないことや生活状況を確認し,B 保護観察所に報告した。

5 X は,裁判確定後は,面会は月2回まで,手紙の発信は月5通まで認められ,妻や父・兄と手紙のやりとりをするほか,毎月,遠方から来る妻と透明板で遮られた面会室で面会していたが,次第に,妻の気持ちは離れ,入所の3年後,離婚を申し出られ,これに応じた。そのため,X は,落ち込んだが,刑務所の職員が面接して相談に応じてくれたため,将来について前向きに考えることができた。

6 入所の5年後,X の心情が安定してきたことから,「被害者の視点を取り入れた教育」が実施された。X は,それまで,横暴な態度を取っていた被害者V も悪いと考えていたが,6か月間,月2回程度,講話等による指導を受け,次第に,V を悪者にして自分の責任を軽く考えようとしていたと気付くようになり,悔悟の念を強め,毎月,刑務所主催の仏教の集合教誨に参加し,V の命日には刑務所が依頼する宗教家による個別教誨を受けて,V の慰霊に努めるようになった。また,V の遺族には,X の父が賠償の分割金を支払っていたが,X も,作業報奨金の中から香料を送金するようになった。

X は,出所後に役立てようと考え,職業訓練を希望していたが,入所の6年後,1年間,毎日,工場での作業は行わず,職業訓練を受け,自動車整備士の資格を取得した。また,刑務所の依頼で実施されていた篤志面接委員による簿記の講座も受け,余暇時間にも勉強して,3級の資格を取得した。

さらに,入所の9年後,出所後を見据えて「酒害教育」が実施され,X は,3か月間,毎週1回,専門家の講話を聴くなどの指導を受け,飲酒による失敗の経験を反省し,出所後の断酒を決意した。

7 X は,入所の1年後,些細なことで他の受刑者と激しい口論になり,閉居罰10日の懲罰を受けた。X は,これに懲りて,それ以降は,短気な性格を自覚し慎重な行動を心がけ,良好な受刑態度を続け,入所の4年後からは,第2類の優遇区分に指定され,面会及び手紙の発信が認められる回数が増え,頻繁に,父や兄と手紙のやりとりをしていた。父からX の娘の写真が送られ,X は,その写真を居室に飾り,更生の励みとしていた。また,制限区分は,入所の7年後からは,第2種に指定され,X は,職員の立会いなしに父と面会したり,身体検査も受けないようになり,刑務所から信頼されているのでこれまで以上に更生に向けて努めようと考えていた。

8 入所の3年後,X は,前記のとおり離婚したため,引受人を父に変更することとした。そのため,改めて,父の住居地を管轄するD 保護観察所が生活環境の調整を開始し,担当となった保護司は,Xの父を訪ね,父と同居するX の兄夫婦とも面談して,父を引受人とすることに問題はないことを確認した。その後も,保護司は,年に2回程度,X の父の引受けの意思やX の釈放後の生活の準備状況を確認し,D 保護観察所に報告していた。さらに,入所の5年後,C 地方更生保護委員会の保護観察官は,仮釈放審理に向けての調査を開始し,X と面接するなどした。

入所の11年後,X の受刑態度が良好で更生の意欲も強いと認められたため,A 刑務所は,C 地方更生保護委員会にX の仮釈放の申出をし,同委員会の委員は,X の裁判の確定記録等を精査し,X とも複数回面接し,V の遺族からX の仮釈放に対する意見等も聴取した上,審理の結果,1か月後に仮釈放すること,受刑期間が長いため,仮釈放の当初は更生保護施設「E 会」に居住させること,「酒を一切飲まないこと」及び「暴力防止プログラムを受けること」を特別遵守事項とすることを決定した。

9 仮釈放日に,X は,刑務所長から仮釈放の決定書の謄本を受け取り,出迎えたE 会の職員とともにD 保護観察所に出頭し,保護観察官から遵守事項等の説示を受けた後,E 会に帰住した。X は,その数日後から,E 会の職員の同伴で市役所等に出向き行政サービスの利用方法等を学んだ。また,E 会で行われていた断酒会に参加したほか,保護観察官から「しょく罪指導プログラム」による指導を受けた。求職活動は,ハローワークで行っていたが,就職に至らず,保護司に相談して保護観察所での就労セミナーに参加し,3週間後に協力雇用主である工場に雇用され,1か月後には,D 保護観察所長から許可を得て,E 会から実父のもとに転居した。

その後の保護観察は,1年をかけて仕事や生活を安定させた上で,X や父の意向に沿って一人暮らしができるようにすることを目標の一つとして実施された。X は,長期受刑者であったため,通常より多く,毎月2回,保護司を訪ね,毎月1回,保護司の訪問を受け,生活状況を報告するとともに指導や助言を受けた。また,保護観察官も,転居から1週間後にX 宅を訪問して生活状況等を確認し,その後も,直接,就労,断酒,V の遺族への慰謝等について,X の指導を行った。これらの指導に従い,Xは,毎月,保護観察官から紹介された民間の断酒会に参加した。V の遺族については,E 会に居住中に,X の父の助力で訪問して謝罪することができたが,遺族の感情は厳しく,その後は,毎日,自室に備えた仏壇に手を合わせてV の冥福を祈った。さらに,X は,2週間ごとに5回,保護観察所で暴力防止プログラムに基づく指導を受けて,立腹したときは娘の写真を見て気持ちを静めることなど具体的な対処方法を考えた。その後も,保護観察官は,3か月に1回程度,保護観察所やX 宅で面接を実施し,給与明細書や断酒会の参加カードを確認するなどして,生活状況を把握するとともに,X が父と将棋を指したり兄の子供と遊んでいたのを評価し,断酒が継続できるように,意識的にそうした形で余暇を過ごすようにと助言するなどした。

こうして仮釈放から1年が経過し,生活が安定したため,X は,父宅の近くにアパートを借り,転居の許可を得て,単身生活を始めた。保護司は,X 宅を訪問する回数を増やし,生活状況を注意深く見守るとともに,X の父や兄夫婦にも交流を絶やさないようにと助言した。X は,V の遺族の深い悲しみに思いを致し,V の冥福を祈りながら,まじめに就労し,香料の送金も続け,仮釈放期間満了により保護観察は終了した。