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 平成11年版 犯罪白書 第5編/第7章/第3節/2 

2 刑事司法における被害者の法的地位及び被害者施策

 (1)被害者の権利
 イギリスには,犯罪被害者の権利を示した犯罪被害者基本法はないが,政府が犯罪被害者援護の基本方針を示した被害者憲章が定められている。この被害者憲章では,被害者が警察,検察庁,裁判所,保護観察所等の刑事司法機関から受けることのできる援護の内容及び基準が示され,十分な援護が受けられなかった場合の不服申立の方法についても示されている。これによると,刑事司法機関は,犯罪によって発生した不利益がそれ以上悪化しないように被害者を支援すると同時に,被害者に対して誠実かつ礼儀正しく接することが求められている。
 また,検察庁(CrownProsecutionService)は,被害者憲章とは別に,1993年,「検察庁による被害者及び証人の取扱いに関する宣言」(Statement on the treatment of victims and witnesses by the Crown Prosecution Service)を発表し,1994年には,検察官のための活動指針をまとめた検察官規則(TheCodeForCrownProsecutors1994)において,検察官が重要な判断をするときは,公共の利益と共に被害者の利益を考慮しなくてはならないと定めている。
 (2)被害者に対する情報提供
 1996年の新被害者憲章では,刑事手続のそれぞれの段階において,各刑事司法機関が犯罪被害者に対して,どのような情報提供を行うかが具体的に示されている。警察は事件捜査の進ちょく状況,訴追決定及び判決に関する事項,検察は訴追事実の変更及び訴追の維持に関する事項並びに証人の証言に関する事項,保護観察所は受刑した加害者の釈放に関する事項について,それぞれ被害者に情報提供を行う。裁判の進ちょく状況等,一連の刑事手続に関する情報を被害者に提供するのは検察庁ではなく警察の役割である。また,被害者は,刑事法院(Crown court)の許可があれば,判決等基本的な事項に関して裁判所の記録を閲覧することができる。
 (3)被害者の刑事司法への関与
 被疑者が検挙され,警察によって訴追がなされた場合,事件は検察庁に引き継がれ,訴追を維持するに足る十分な証拠の有無及び訴追を維持する公益性について判断がなされる。この訴追の公益性を判断する際に,検察官は犯罪被害者の利害を考慮することが求められている。警察が訴追を断念するか,検察官が公訴を取り消した場合に,私人訴追が原則のイギリスでは,被害者が新たに訴追を提起することができるが,警察又は検察庁が保持している証拠を被害者に開示することについての判断は,各機関に任されている。また,加害者の保釈に対して被害者が不安をもっている場合には,その事実が検察官から裁判所に伝えられ,保釈審理の際に考慮される。保釈が決定された場合には,保釈の事実と共に保釈中の遵守事項が警察から被害者に通知される。裁判が開始されると,被害者は検察側の証人として法廷で証言を求められることがある。しかし,被害者が,その被った被害の影響について陳述したり,量刑に対して意見を述べる権利が認められているわけではない。ただし,裁判官は,有罪認定後,量刑を検討するために,保護観察所に対して判決前調査報告書の作成を求めるが,報告書には,検察庁からの資料等を基に被害の影響について記載されることになっている。また,1996年の新被害者憲章によって,実験的に,警察の捜査段階で被害者から見た被害の影響について記した書類を作成し,一件書類と共に検察庁に送付する試みが行われている。重大な犯罪により加害者が有罪判決を受け,刑務所に収監された場合には,被害者は,保護観察官を通して,加害者の仮釈放審査の際に遵守事項に対して意見を述べる機会が与えられる。
 (4)刑事司法における被害者に対する保護
 被害者憲章では,警察は,犯罪被害者が身辺の安全に対して抱いている不安を聴取し,適宜の対応をとるべきことが定められている。また,証人等裁判にかかわる者を脅した場合には,1994年刑事司法及び公共秩序法(Crimi一nal Justice and Public Order Act1994)により特別な罰則規定が設けられている。さらに,イギリスでは,刑務所の被収容者が外部に電話をかけることが許されているが,刑務所に収容された加害者から脅迫の電話があったり,加害者である受刑者の一時釈放に関して不安がある場合には,刑務所庁(Prison Service)に専用電話(help line)が設けられており,同庁を介してその被収容者を収容している刑務所長に対し,脅迫の事実や不安の内容を伝えることができる。
 強姦事件等の性犯罪被害者又は児童が重大な犯罪の被害者である場合には,被害者の希望によって特別な訓練を受けた警察官が対応する。
 被害者が証人として法廷で証言する場合には,できる限り被害者の負担感を軽減させるために,事件関係者とは異なる待合室を確保すること,被害者が2時間以上待機させられることのないように努力が払われること,被害者に付き添う近親者の座席を法廷内に確保することなどの措置がとられる。また,被害者が被告人に対して恐怖心を抱いている場合には,裁判官の判断によって,スクリーンの背後から証言することや,被害者の住所・氏名が読み上げられないようにする措置が採られる。特に暴行等の事件における14歳未満の証人や性犯罪事件における17歳未満の証人の場合には,裁判所の判断により,テレビ・リンク(television link)による証言や,あらかじめ証人の尋問(interview)をビデオテープに録画することで証言に代えることができる。また,性犯罪被害者については,法廷で住所・氏名が読み上げられることはなく,これを報道することは法律で禁じられている。
 刑事法院には,犯罪被害者援護協会が運営する証人サービス(Witness Service)があり,被害者等が証人として出廷する際に,裁判手続に関する情報を提供したり,法廷の下見を手配したり,証言に対して不安をもつ被害者に対する付き添いサービスを行う。証人に対しては検察庁から必要経費が迅速に支払われる。
 (5)刑事司法における被害救済・被害回復
 イギリスでは,刑事裁判において,裁判官が刑罰の一つとして弁償命令(restitution order)及び賠償命令(compensation order)を言い渡すことができる。弁償命令は,盗罪に対して,物理的被害の現状回復を行わせるもので,被害物品の返還又はそれに相当する対価の支払を命ずるものである。これに対して,賠償命令は,犯罪の軽重にかかわらず,犯罪被害者が存在する限り,財産犯,生命身体犯を含むすべての犯行について発せられる可能性のある命令である。裁判所は,被害者が存在する犯行について全件,賠償命令を言い渡すかどうかを検討し,言い渡さない場合はその理由を示す義務がある。賠償命令は単独の処分ともなり得るが,他の処分と併せて命じられる場合もある。罰金と併せて命じられた場合は,被害者救済のため,賠償命令を優先させなければならない。少年裁判所又は治安判事裁判所で命じられる賠償命令の最高額は,事件ごとに5,000ポンドが限度となっているが,刑事法院では最高限度の定めはない。ただし,裁判所は,支払者の資力を考慮して金額を定めることになっている。また,10歳以上15歳以下の少年が加害者の場合,裁判所は,両親(又は後見人)に対し賠償命令の履行を命じなければならない。少年が16・17歳の場合,裁判所は,裁量により両親に対して,その履行を命じることができる。V-87表は,罪種・金額別の賠償命令の科刑状況を見たものである。暴力犯罪を除いて各罪種とも100ポンド以下の言渡しが過半数を超えており,金額が増えるごとに言渡し件数が減少している。

V-87表 罪種別賠償命令の金額

 また,V-43図は,有罪判決を受けたもののうち,賠償命令を受けたものの比率を罪種別に見たものであるが,暴力犯罪が35.2%と最も高く,そのほかは20%以下となっている。

V-43図 罪種別賠償命令言渡し率

 こうした経済的な賠償だけではなく,近年は,被害者と加害者による和解を刑事司法の中に取り入れる動きが進んでおり,一般的に修復的司法(restorative justice)と呼ばれている。この一つの試みとして,1998年犯罪及び騒乱法(Crime and Disorder Act1998)によって,少年に対する処分に,修復命令(reparationorder)が新設された。この処分は,非行少年に金銭以外の方法による被害者に対する償いを行わせるもので,被害者に対する謝罪を含む被害修復の行為が遵守事項として命ぜられる。
 成人が加害者の場合,被害者と加害者の和解による示談を行わせる試みは,一部地域において警察又は裁判所ごとに試行がなされているが,法的制度としては存在していない。また,保護観察官が作成する判決前調査報告書の中には,加害者側の被害に対する意識が記載されることになっている。
 被害者は,加害者が刑事裁判で有罪認定を受けたか否かにかかわらず損害賠償請求のための民事訴訟を起こすことができる。