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 平成 9年版 犯罪白書 第3編/第1章/第2節/3 

3 特別法犯の動向

 特別法犯の検察庁新規受理人員は,昭和40年代及び50年代は,おおむね10万人台で推移し,30年代と比較して,総数の上でさほどの変動は認められない。
 道交違反の検察庁新規受理人員は,昭和40年には約496万5,000人にまで達した。しかし,43年,道路交通法の一部改正によって,いわゆる交通反則通告制度が導入されたことに伴い,翌44年には約147万人へと大幅に減少した。しかし,46年以降,再び増加を始め,50年代は190万人台から240万人台の間を推移し,この傾向は同制度の適用範囲が拡大される62年の前年まで続くこととなる。
 薬物関係では,昭和32年以降,1,000人を下回っていた覚せい剤取締法違反による検挙人員が増勢に転じたのは45年のことである。覚せい剤取締法の一部改正によって罰則が強化された48年の翌年に若干減少したものの,その後も増加を続け,59年には約2万4,000人を記録し,20年代末に次ぐ,第二のピークに達することとなる。
 保安関係では,昭和30年代に急増していた銃刀法違反による検察庁新規受理人員が,40年には約2万2,000人のピークに達し,以後は,おおむね減少傾向を示し,50年代末には5,000人台に減少している。33年に公布・施行された銃刀法は,40年代から50年代にかけて,銃器に対する規制を強化することなどを内容とする主要な一部改正がなされている。40年の改正にはけん銃密輸入事犯の急増等の,46年の改正にはライフル銃を使用した重大な人質・立てこもり事件の発生等の,52年の改正には銃器を使用した暴力団の対立抗争事件の増加等の,それぞれの背景事情が認められる。
 その他,昭和40年代から50年代における特別法犯の動向として注目すべき事項としては,風俗関係犯罪では,風俗営業等取締法違反について,40年代前半及び50年代半ばに大きなピークが認められること,環境関係犯罪では,40年代後半にいわゆる公害問題への対応として環境関係法令が整備されたことによって,各法の違反事件が受理されるようになったこと,労働関係犯罪では,30年代後半から急増していた労働基準法違反が42年にピークに達した後,急激に減少していること,財政経済関係犯罪では,独占禁止法違反が,49年に,第一次石油ショックを背景としたいわゆる石油ヤミカルテル事件による受理人員があったこと,知的所有権関係法令違反のうち,商標法違反については,40年代までは減少傾向にあったが,50年代には,ブランド志向の風潮を背景としたいわゆる偽ブランド商品が大きな社会問題となり,受理人員が急増したことなどを挙げることができる。