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 平成 元年版 犯罪白書 第4編/第3章/第3節/2 

2 仮釈放制度

 ここでは,仮釈放制度のうち,主として仮出獄について述べ,少年院からの仮退院については,本編第4章第2節6において述べることとする。
 仮出獄は,明治40年制定の現行刑法により,懲役又は禁錮に処せられている受刑者に対して,改俊の状があるときは,一定期間の経過後に,行政官庁の処分をもって,これを許可することができるとされているものである。この行政官庁とは,現行刑法制定以来,司法大臣(昭和23年2月からは法務総裁)を指していたが,昭和24年7月犯罪者予防更生法の施行により,仮釈放審理の機関として地方成人・少年保護委員会(現在の地方更生保護委員会)が設立され,以後は,この合議制の行政機関を指している。
 仮出獄者に対しては,明治41年制定の監獄法の規定等によって警察官署による監督が行われ,仮出獄者は警察官署に対して帰住の報告をし,旅行の届出をなし,転居の許可を請い,毎月出頭することなどが義務づけられていた。その運用等への反省から,これに代えて,大正11年制定の旧少年法では,少年にして仮出獄を許された者については,少年保護司の観察に付することとした。そして,昭和24年7月犯罪者予防更生法の施行により,仮出獄者はすべて保護観察機関の保護観察に付されることになり,犯罪者予防更生法施行法により警察官署による監督は廃止された。
 昭和における仮出獄の運用の状況を,仮出獄者数,仮出獄率等によって示したのが,IV-36図である(付表14表参照)。昭和元年から6年までの仮出獄率は,おおむね5%前後と極めて低いものであった。当時の仮出獄の運用は,主として各刑務所長の心証に基づいて行われていたため,これを統一して,仮出獄制度の適切な運用とその積極化を図るために,司法省は,6年5月に仮釈放審査規程を訓令し,具体的な審査基準を定めた。その結果,仮出獄率は,8年から18年までは10%から19%の間を前後しつつ,おおむね上昇の傾向を示すに至った。19年には30%,20年には55%をそれぞれ超え,21年には74.0%と飛躍的に向上したのは,戦争末期から終戦直後にかけての食糧事情や衛生状態の悪化,経費節減の必要性等のため,早期釈放の措置が積極的に採られたことによるものである。また,犯罪者予防更生法が施行された24年の仮出獄率は79.7%という極めて高い率を示しているところであるが,その前後の22年から26年は,行刑施設が過剰拘禁に悩まされた時期であり,その解消を迫られたという事情もあいまって仮出獄率はおおむね70%を超えていた。27年以後も,年末在監人員が6万人を超えている35年までの各年においては,新しく発足した更生保護制度を充実させようとする意気込みのもとに,仮出獄率はおおむね65%ないし70%という高い水準を維持しつつ,積極的な仮釈放が行われた。しかしながら,戦後の混乱期が去って,成人犯罪が減少し,受刑者数が減少し始めた30年代の後半以降,仮出獄率は次第に後退し,57年には50.8%と犯罪者予防更生法制定後最も低い仮出獄率を示すまでになった。59年3月,法務省は,仮出獄の適正かつ積極的な運用の方針を明確にし,以後63年までの仮出獄率は,毎年55%を超えている。

IV-36図 仮出獄人員等の推移(昭和元年〜63年)

 行刑施設の長からの仮出獄申請に対する5年ごとの棄却率は,昭和25年から29年までの5年間の棄却率が5.2%,30年から34年までが5.7%,35年から39年までが11.0%,40年から44年までが13.4%,45年から49年までが10.9%,50年から54年までが11.2%,55年から59年までが6.8%となっており,60年から63年までの4年間については,棄却率は5.0%である。仮出獄申請に対する棄却率という側面からも,30年代の前半までの積極的な許可,その後の慎重な仮出獄審理の時期を経て,50年代後半に至って仮出獄の積極化が試みられているというすう勢が読み取れる。