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 昭和37年版 犯罪白書 第一編/第三章/三/5 

5 交通犯罪の問題点

(一) 取締指数

 激増する交通犯罪を阻止するためには,道路の改善,道路運行に関する自動車の規制,運転免許制度の改善等幾多の施策の強力な実施にまたなければならないが,刑事手続上の対策としては,第一に迅速適正な検挙,第二にその迅速な処理,第三に適正な処罰が考えられることはいうまでもない。
 第一の適正な検挙とは,どの程度の検挙をいうのであろうか。いうまでもなく,交通犯罪とくに道交違反のすべてを検挙するということは不可能に近いことである。その違反が現実に全国的にみて果たしてどの位あるものかその数を的確にはつかみ得ないほどであるが,その反面自動車運転者なら誰でもやっている違反だからとしてこれを放任することもできない。道交違反の検挙数は,警察の方針や警察力の大小によって左右されるが,必要最少限の検挙だけは是非励行されなければならない。交通事故の発生と自動車の運転違反の取締との間に密接な関係があるということがアメリカで研究され,交通事故を減少させるためには,最少限どの程度の運転違反を検挙すればよいかという研究が行なわれている。これがいわゆる「取締指数」である。アメリカの報告によると,自動車の運転中の危険な違反行為の有罪数を死傷の結果を伴った交通事故数で割った値が,おおむね一五から二五までの数値となれば,適正な検挙が行なわれていることになるといわれている。
 この指数を法律制度や交通事情等の異なるわが国の交通犯罪にあてはめることができないことはいうまでない。しかし,道交違反の徹底的検挙を行なうといってもおのずからそこに限界があり,すべてを尽くすことは不可能であるし,また取締の人的,物的な制限もあることであるから,適正な検挙といえるための最少限とはどの程度のものをいうか,これを実証的に明らかにする必要がある。このためには,交通事故の発生と道交違反の検挙との間に果たして関連が認められるかどうか,これが認められるとすれば,交通事故を減少させるためには最少限どの程度の検挙を励行すべきかを明らかにし,わが国の取締指数を算出すべきものとおもう。
 この取締指数は,大都市と農山村ではその数値を異にするであろうが,いずれにもせよ取締の一応の目安を与えるものとしてその研究が期待されなければならない。

(二) 交通犯罪の迅速処理

 交通犯罪とくに道交違反は,迅速な処理がとくに要請される。この要請にこたえる制度として,昭和二九年に交通事件即決裁判手続法が実施されたが,前述したように,その運用は必ずしも満足なものとはいい難い。昭和三一年の二〇・一%から昭和三五年の一五・三%へと年々その占める比率が減少しているからである。これは即決裁判手続が簡易かつ迅速な手続を目的としていながら,略式命令手続の簡易性より劣っているためではないかとおもわれる。
 元来,刑事手続法は被告人の人権を守るために複雑かつ厳格な手続を要求しているのであるから,刑事手続法にのせて処理する限りにおいてはそこにおのずからの限界があり,簡易かつ迅速な処理は到底期待し得ないという反論がある。また,道交違反に対して刑罰をもって臨もうとする限り,憲法との関係もあって,戦前の警察犯処罰令のごとき手続は困難だとする見解もあり,道交違反の簡易かつ迅速な手続を考慮することは,種々の困難を伴っている。そこで,道交違反のうち犯罪性の強いもの,たとえば,酔っぱらい運転,無免許運転,スピード違反,ひき逃げ等に対しては刑罰をもって臨むこととし,その他の犯罪性の比較的薄い罪種については,行政罰をもって臨み,この種の罪については簡易かつ迅速な処罰を期待したらどうかという主張もある。
 最近において道交違反の処理に抜本的な改革をはかるために,いわゆる「切符制」とか「チケット制」などが論議され,そのあるものが実施されようとしている。この新方式は,アメリカの「交通切符」制度を参考としたものであり,現行の手続に本質的な改革を加えずに,主として運用の面で簡易化をはかる制度だといわれている。この制度が果たしてどれだけ簡易かつ迅速処理の目的にかなうかは,実施状況をみて検討し,その是非を判断すべきであろう。
 いずれにもせよ,道交違反の簡易かつ迅速な処理は,警察,検察,裁判の面からも絶対の要請といえるであろう。道交違反の激増が今後も続くとすれば,恐らくはその処理に忙殺されて,刑法犯その他の本来の犯罪の処理に影響を及ぼすおそれがあるからである。道交違反の処理も重要なことは疑いないが,これ以外の犯罪がこの犠牲となり,道交違反の処理に振り回されるようなことになってはならない。
 アメリカでは,交通違反者に三つのタイプがあるといわれている。第一は,視力や聴力その他の身体的障害かまたは精神的障害があるために正しい運転ができず,違反した者,第二は,道路交通法令とか運転の技術等について知識を欠くために違反した者,第三は,交通法令に従うことができ,かつ,これに従わなければならないと知りながら,あえてこれを無視して違反した者,の三種類である。第一のタイプに対しては,刑罰よりも身心の障害の治療矯正が必要であり,第二のタイプに対しては,不十分な知識等をおぎなうための安全運転教育が必要であり,第三のタイプに対しては,刑罰や免許の取消等の制裁が必要だと説かれている。そして常習的違反者は,主としてこの第三のタイプに属する場合が多いといわれている。
 わが国の道交違反者についてもこの三つのタイプが存在することは疑いない。道交違反者がこれらのどのタイプに属するかを迅速に見分けて,刑罰は主としてこの第三のタイプの者に科するようにつとめるべきであり,第一,第二のタイプの者にはそれぞれ必要な矯正手段をとることを考慮すべきであろう。すなわち,刑罰以外の矯正的措置が場合により採りうるような制度が考慮される必要があろう。

(三) 少年の交通犯罪

 前述したように,道交違反を犯す少年の増加率は著しく,交通犯罪対策の一つとして少年を無視し得ない現状にある。少年の違反者はすべて家庭裁判所に送致され,そこで処分が決定されるが,その大半は審判不開始または不処分であることはさきに述べたとおりである。道交違反の少年に対して,他の犯罪と同じように家庭裁判所の手にゆだねるのが妥当かどうか疑問であり,むしろ成人と同様に取り扱うべきであるとする主張があるが,他面,心身の発達が未熟で人格形成期にある少年であるから,刑罪をもって臨むべきではなく,一般犯罪と同様に保護処分によるべきだとする意見もある。しかし,いずれの見解をとるにせよ,道交違反の少年を保護処分の名において放任すべきものではない。家庭裁判所で審判不開始または不処分に付せられた少年がどのような矯正的処遇を受けているか明らかではないが,これらの者に対して再犯防止の観点から適当な保護処分方法を考究することが必要であることはいうまでもない。全国の家庭裁判所のなかで二,三の庁では積極的に道交違反の少年に対して保護観察処分を言い渡しているが,道交違反の保護観察の方法は他の一般犯罪のそれと質的に異なるものと考えられるから,どのような方法が最も効果的であって再犯の防止に役立つかを今後積極的に研究するとともに,この種の少年を専門に取り扱う保護司をもうけ,これに適切な保護観察を行なわせることも考慮さるべきであろう。
 道交違反の少年に対して適切な保護観察方法を見出すためには,まず,少年に対する資質を鑑別する必要がある。この資質鑑別は本来,少年鑑別所で行なわなければならないところであるが,実際にはほとんど行なわれていない。検察庁のうちで二,三の庁では,労研安全テスト,クレペリン・テスト等を実施して,適正な処遇を決する資料としたところものるが,まだ試験的実験の域を出たものではない。このような資質鑑別の方法についても,数的にきわめて多い道交違反の少年に対して,集団的方法の研究がなされなければならないことはいうまでもない。

(四) 民事上の損害賠償

 交通事故によって人命を奪われた者または傷害を負った者に対する民事上の損害賠償は,その金額が諸外国に比較して低いばかりでなく,その請求手続が民事訴訟手続によるために迅速な救済がなされていない実情にある。自動車損害賠償補償法によると,強制保険制度によって自動車による人身事故に対して補償することになっており,死者に対して五〇万円が限度となっている。したがって,同法の定める限度の損害賠償ならば,民事訴訟を必要としないが,それ以上の救済を求めようとする場合は,話し合いがつかない限り,民事訴訟に頼らなければならない。しかし,一般にわが国の訴訟は金と時間がかかるといわれており,控訴,上告までの期間をみると,早くとも数年間を要するために,いわゆる事故屋または示談屋とよばれるものが生じ,賠償金取立の仕事に従事しているといわれている。この種のもぐり職業を封じ,適正な賠償額を迅速に入手できるような制度を考慮する必要がある。
 また,わが国の損害賠償額は欧米の諸国に比してきわめて低いといわれている。裁判例によると,わが国でも比較的高額の損害賠償を認めた事例がないわけではないが,一般にはまだ低額であるといえよう。欧米ではもちろん国によって異なるが,過失によって死の結果を招いたときには,一千万円以上の賠償額を命ずる国もある。このような高額の賠償責任を認めることが人身事故を防止している面があることも看過できないから,自動車損害賠償補償法による補償額の引上げをはかるとともに,損害賠償額を一般に引き上げることも考慮されるベきであろう。