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 昭和37年版 犯罪白書 第一編/第三章/一 

第三章 特殊犯罪

一 選挙犯罪

 選挙犯罪とは,公の選挙に関して行なわれる犯罪で,これに関する罰則は,主として公職選挙法に規定されている。この法律は,衆議院議員,参議院議員ならびに地方公共団体の議員および長の選挙などに適用されるが,このほかに,たとえば漁業法が海区漁業調整委員の選挙に公職選挙法を準用するとさだめているように,他の法津でこれを準用するものにも適用される。
 昭和三三年までの選挙犯罪の推移については,犯罪白書昭和三五年版に詳述したので,ここでは昭和三五年一一月二〇日に施行された戦後第八回目の衆議院議員総選挙の際に発生した選挙犯罪について,その概況を説明することにする。
 昭和三五年一一月の総選挙は,衆議院の解散による総選挙であったが,日米新安保条約締維をめぐって岸内閣の退陣,池田新内閣の成立等の事情があったため,一般に解散必至が予想されており,ために,いわゆる「百日選挙」といわれたように,早くから事前運動が激しく行なわれたのである。この総選挙における立候補者数は,九四〇人であって,定員の二倍をわずかに上回るにすぎず,従来の総選挙に比して立候補者数は少なかったが,選挙運動は従来に比して激しく行なわれたといわれている。これは,選拳地盤が固定化するにつれて,新人進出の余地が少なくなり,新人が進出するとすれば,そこに激しい選挙運動を必要とする情況にあったからである。選挙の結果は,自民党二九六人(解散前より一三人増),社会党一四五人(二三人増),民社党一七人(二三人減),その他九人が選出された。
 この総選挙に伴って発生した選挙犯罪は,検察庁の受理した総数が五三,三七二人(ただし,このうちには検察庁相互間の移送が含まれている)であり,このうち買収(供応,利益誘導を含む)は四七,四七四人,文書違反(新聞紙等の頒布を含む)は二,三九三人,その他が三,五〇五人である。これを従来行なわれた衆議院議員および参議院議員の総選挙と比較するとI-32表のとおりである。この表で明らかなように,昭和三五年一一月の総選挙は,従来の衆議院議員および参議院議員の総選挙に比して違反者の総数が最も多く,また,比較的悪質と認められる買収の比率が八八・九%とこれまた最高の比率を示しているのである。この点からもこの総選挙がいかに激しくたたかわれたかがわかるであろう。

I-32表 選挙違反の検察庁新受理人員と率(昭和25〜28,30,31,33〜35年)

 もっとも,この総選挙にあたっては,公明選挙の旗印が強く掲げられたのであって,たとえば,昭和三五年八月には全国的に「選挙法を守る運動」が発足し,また同年九月には政府もこれに協力し選挙違反について厳正公平な取締を期すべき旨の閣議決定がなされ,選挙直前には衆議院において公明選挙に関する決議が行なわれる等,国民一般に公明選挙への関心がかなり高まりつつあったと認められるのであるが,その結果は予想に反して従来にない違反者を出したのである。
 これらの選挙犯罪の違反者のうち選挙施行約六ヵ月後の昭和三六年五月三一日までに起訴されたものは,一五,五一二人,不起訴処分に付せられたものは,二四,四九八人,合計四〇,〇一〇人であるが,これらの者の違反態様は,I-33表に示すとおりである。すなわち,総処理人員四〇,〇一〇人のうち約八九%にあたる三五,六〇八人が買収で圧倒的に多く,これに次ぐものが文書違反(四・六%にあたる一,八四一人)と戸別訪問(三・二%にあたる一,二八九人)である。また,総処理人員のうち,三八・八%にあたる一五,五一二人が起訴され,六一・二%にあたる二四,四九八人が不起訴とされている。起訴率が三八・八%というのは,昭和三三年五月の総選挙の起訴率四三・六%を下回っており,また刑法犯の起訴率の五六・二%に比して必ずしも高いものとはいえないが,これは比較的軽微な事件までが送検されたためであろう。起訴された一五,五一二人のうち,その一七%にあたるものが公判請求され,残る八三%が略式命令請求により罰金が求刑されている。公判請求されたものの大部分は,とくに悪質または重大な違反として懲役または禁錮刑が求刑されるものであることはいうまでもない。したがって,公判請求されたものの大半は,買収にかかるものである。

I-33表 昭和35年11月総選挙の違反の罪種別処理人員と率(昭和36年5月末現在)

 この総選挙にみられた買収事犯の特徴ともいうべきものは,まず,一般的に公示前の買収,すなわち,事前運動にあたる買収の多かったことである。これは解散が早くから予想されていたため,無理な地盤の割込みや有力運動員の抱込みをはかり,または,選挙人に迎合して人気を得ようとして,多額の金品を公示前にばらまいたものである。また,買収の規模の相当大きいもの,たとえば,「町ぐるみ買収」,「部落ぐるみ買収」等といって一地域全般に金品をばらまいたもの,または買収金員が数百万円にのぼるものが少なくなかった。さらに,買収が保守政党に限られず,革新政党の運動にもみられたことは,この総選挙の特徴の一つであった。また,後援会,労働組合その他の後援団体の活動を利用して,換言すると,組織を利用して選挙運動を行ない,これが選挙違反に問われたものが多かった。
 次に,検察庁で処理された違反者四〇,〇一〇人の資格別をみると,選挙人が六四・八%で最も多く,これに次ぐのは選挙運動者の三三・八%である。I-34表は,昭和三〇年二月,昭和三三年五月および昭和三五年一一月の三つの総選挙における違反者の資格別をみたものであるが,これによって,候補者,出納責任者または総括主宰者の検挙される比率は次第に低くなる傾向がうかがえるとともに,選挙運動者の占める比率も次第に減少しているのに対して,選挙人の比率がたかまっていることがわかる。選挙運動者の比率が減少し,選挙人のそれが増加したことは,あるいは選挙運動者の運動が巧妙となって検挙を免れているためか,または買収資金が末端の選挙人にまでゆきわたったためか,その他種々の原因が考えられるが,その原因については十分に検討する必要がある。ここで考えられることは,一般に違反の方法が悪質巧妙化したといわれていることである。たとえば,買収資金の授受にあたり面識のない他府県人を関与させていもづる式検挙にそなえたり,あらかじめ検挙にそなえて授受した金品の趣旨について弁解,口実をかまえる等事前に詳細の打合せを行なったり,労務賃の名目で支出手続をととのえたり,証拠を偽造,湮滅したりした事例が少なくなかった。このような選挙運動の巧妙化が統計上選挙運動者の違反の占める比率を少なくした一因とも考えられる。

I-34表 衆議院議員総選挙の違反の資格別人員と率(昭和30,33,35年)

 選挙施行後約一ヵ年後の昭和三六年一一月三〇日までに,起訴人員一五,五一二人のうちの七一・二%にあたる一一,〇四九人に対して第一審の裁判が言い渡された。このうちには略式命令の確定によるものが含まれていることはいうまでもない。全部無罪を言い渡された者はわずかに四名にすぎないから,ほとんどすべてが有罪を言い渡されたものといえる。この有罪裁判の内訳を示したものがI-35表である。これによると,七・六%にあたる八三七人に対して懲役または禁錮が言い渡されたが,このうち八一二人には刑の執行猶予が付せられているから,体刑の実刑の言渡を受けたものは,わずかに二五人にすぎないのである。また,九二%にあたる一〇,一六六人に対しては罰金または科料が言い渡され,このうち刑の執行猶予に付された者は一三人にすぎない。なお,罰金または科料に処せられたもののうち略式命令の確定によるものは,八,八二八人である。略式命令を請求したものは,一二,八七九人であるから,約四,〇〇〇人に近いものが略式命令を不服として正式裁判の申立をしたものと推定される。

I-35表 昭和35年11月総選挙の第一審裁判結果別人員と率(昭和36年11月末現在)

 昭和三六年一一月末現在でなお四,二〇六人が第一審に係属しており,これらの事件は複雑または重大なものが多いとおもわれるから,これらの事件の裁判結果をみなければ,裁判の全般的な傾向をうかがうことはできないであろう。
 公職選挙法は,一部の軽微な事犯を除き,選挙犯罪で罰金以上の刑に処せられた者に対しては,原則として公民権つまり選挙権と被選挙権とを一定の期間停止すべきものとされている。その斯間は,罰金刑に処せられたものは,その裁判が確定した日から五年間(刑の執行猶予の言渡を受けた者については,その裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間),禁錮以上の刑に処せられた者については,その裁判が確定した日から刑の執行をおわるまで,およびその後五年間(刑の執行猶予の言渡を受けた者については,その裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間)であり,とくに,買収事犯の再犯者については,右の五年間が一〇年間とされている。ただ,裁判所は,情状により,刑の言渡に際して,右の公民権の停止の規定を適用せず,またはその期間を短縮する旨を宣告することができるとされている。そして,公民権を停止された者には,選挙運動も禁止されるのである。
 ところで,昭和三五年一一月の総選挙の選挙犯罪について公民権停止の言渡状況をみると,I-36表のとおり,第一審有罪裁判人員一一,〇〇三人のうち四二・八%にあたる四,七〇八人に公民権不停止を言い渡し,また,その二九・一%にあたる三,二〇二人に公民権停止期間の短縮を言い渡している。したがって,原則どおり法定期間公民権の停止の制裁を受けたものは,その二八・一%の三,〇九三人にすぎないことになる。これを懲役または禁錮と罰金または科料に分けると,体刑については,〇・五%の四人に公民権不停止が言い渡され,一四・九%の一二五人に公民権停止期間の短縮が言い渡されているが,財産刑については,四六・三%に公民権不停止が,また,三〇・三%に公民権停止期間の短縮がそれぞれ言い渡されている。すなわち,財産刑については,わずか二三・四%のものが原則によった公民権の停止の制裁を受けているにすぎないのである。

I-36表 昭和35年11月総選挙の第一審裁判人員のうち公民権停止の言渡人員と率(昭和36年11月末現在)

 そこで,最高裁刑事局の調査による昭和三三年ないし三五年における選挙違反事件の公民権停止等の言渡状況をみると,I-37表のとおり,公民権不停止は,昭和三三年の三八・九%から昭和三五年の三四・四%へと漸次減少の傾向をみせているのに対し,昭和三五年一一月の総選挙においては,公民権不停止が四二・八%と著しく高率を占めているが,これは,係属中の事件が少なくないことを考慮にいれるとしても,注目されなければならない。

I-37表 選挙違反第一審有罪人員のうち公民権停止の言渡人員と率(昭和33〜35年)

 なお,選挙犯罪の公判審理は,「特別の事情がある場合の外は,他の訴訟の順序にかかわらず速かにその裁判を」行ない,「事件を受理した日から百日以内にこれをするように努めなければならない」と公職選挙法に定めているとおり迅速な裁判が要請されている。そこで,昭和三五年一一月の総選挙の選挙犯罪について,起訴の日から第一審判決までどの程度の日時を要したかをみると,I-38表39表に示すとおりである。この表は,昭和三六年一一月末現在で審理期間をみたものであるが,第一審判決のあったもの一一,〇四九人のうち,法の予定した百日以内で裁判のあったものは,七三・八%にあたる八,一五四人である。もっとも,略式命令請求に対して被告人が異議をとなえず,確定したものの数は,八,八二八人であるから,これらのほとんどは,略式命令による確定とみて差支えないであろう。そして,一〇〇日をこえ六月以内のものは,一一・三%にあたる一,二四六人であるが,このうちの約半数以上は略式命令の確定によるものと推定されるから,公判請求がなされたものおよび略式命令の請求がされたが正式裁判の申立をしたものの大半は,六月をこえ一年未満の期間を要したことになる。

I-38表 昭和35年11月総選挙の違反事件第一審審理期間別人員と率(昭和36年11月末現在)

I-39表 昭和35年11月総選挙の違反事件第二審審理期間別人員と率(昭和36年11月末現在)

 昭和三六年一一月末現在で第一審に係属中のものは,四,二〇六人であるが,その審理期間は,一年以上のものが二八人,六月をこえ一年未満のものが四,一六九人であるから,九九%までのものが六月をこえていることになる。一年以上のものが少ないのは,選挙の日から約一年後現在で調査したためであるから,これらの審理期間が今後果たしてどの程度を要するものか予測を許さないものがある。
 現在の刑事手続法によって審理する限りにおいては,裁判所の過重な事件負担等の関係もあって,法の予定した一〇〇日裁判をはかることは,一般的にいって困難というべきであろう。しかし,選挙犯罪はできるだけ迅速に処理されることが望ましく,「遅れた裁判は裁判なきに等しい」という格言は,まさに選挙犯罪についてあてはまる言葉といえるから,第一審裁判は少なくとも起訴の日から一年以内に言い渡されるよう,裁判所も訴訟関係者もともに努力しなければならないわけである。