前の項目   次の項目        目次   図表目次   年版選択
 昭和62年版 犯罪白書 第4編/第1章 

第4編 犯罪及び犯罪者処遇についての国民の意識

第1章 序  説

 国の刑政は,国民の理解と支持を基盤としてはじめて有効に作用し得る。
 国民の健全な常識的見解と遊離し,国民の信頼を失った刑政は,法秩序を維持することにも困難を来す事態をもたらすことになろう。もつとも,国民の健全な常識的見解,それは,国民一般の考え方,意識あるいは期待といったもので,大方の国民の理解と支持を得られるものというような漠然としたものであろうが,その実態は,容易に捉え得るものではなく,それが一見国民の大多数の意見であるかのように観察される場合であっても,実際には,単に,一時的な感情に流された一部の者が声高に唱えているにすぎないものである場合も少なくなく,他方,それは時代の進展や社会環境の変化とともに変転し得るものでもあるから,国民の真意を正しく把握することは非常に困難であり,その内容がいかなるものかを軽々に摘示することは危険であるとすら言い得よう。そのためか,これまで刑事政策の分野においてこの問題を調査・分析した研究は,当該分野のごく一部についてのものが若干見受けられるにすぎず,多くの実務家は,専ら各人の職務遂行の過程において,自らの経験に照らし,それぞれの職務に関する事柄についての国民の考え方,意識あるいは期待を感覚的に把握するという方法に頼らざるを得なかったように思われるのである。
 しかしながら,価値観の多様化が進みつつあると言われる昨今,刑事政策が今後とも国民の信頼を得ていく上においては,たとえそれがいかに困難であっても,犯罪及び犯罪者処遇についての真摯な国民の意識を調査し,国民の真意を客観的に探求する努力を続け,他方,刑事政策に携わる者がこの調査結果の分析内容を認識した上でそれぞれの執務に当たることの必要性は,従前にも増して重かつ大となっていると言っても過言ではないであろう。法務総合研究所では,このような観点から,仮に十全を期することができないにせよ,犯罪者の検挙・処罰・処遇に関与する諸機関等に対する評価をも含め,国民の犯罪と犯罪者処遇に関する考え方,意識,期待等についての調査を試みることとし,(総理府)内閣総理大臣官房広報室が実施している世論調査において,犯罪と処遇に関する一般国民の意識等についての調査の実施方を同室に要望し,その結果,昭和61年7月に同室による当該世論調査が実施されるに至ったほか(その内容は,既に,同室から「犯罪と処遇に関する世論調査」報告書として公にされている。),法務総合研究所独自の調査として,受刑者及びその家族を対象とした同様の調査を実施した。法務総合研究所が,上記世論調査以外に,受刑者を対象とする調査を行ったのは,これら受刑者は現に犯罪者として処遇を受け,更生を遂げて社会に復帰することが期待されているのであるから,その立場にある者の犯罪及び犯罪者処遇についての意識がいかなるものであるかは,受刑者の処遇上極めて重要であると考えられるからであり,また,受刑者の家族を対象とする調査を行ったのは,犯罪者の家族は当該犯罪者の行為により直接・間接に迷惑ないし被害を受けているとも考えられる反面,罪を犯した者の身内として,当該犯罪者をかばい,その社会復帰に際しては最初の受入口となるべき立場にもあるところから,その意識を探っておくことは,犯罪者の処遇を効果あらしめるためにも必要であると思われたことによるものである。
 これら三つの調査は,いずれもそれぞれ後述の調査対象者に対して,[1]犯罪の被害に遭った経験,[2]犯罪者,特に,身近に起こり得る犯罪を犯した者に対する処分ないし処遇,[3]犯罪報道における実名報道,[4]犯罪者に対する刑事司法関係機関の役割に関する質問を行い,その回答を通じて,一般国民,受刑者及び受刑者の家族の犯罪及び犯罪者処遇についての意識等を探ろうとしたものである。個々の質問内容の詳細は,次章以下の該当部分において後述するが,このうち,上記総理府広報室が実施した「犯罪と処遇に関する世論調査」(以下「総理府世論調査」という。)は,同報告書の記載によれば,調査期間を昭和61年7月18日から24日まで,調査対象を日本国内に居住する20歳以上の者の中から層化二段無作為抽出法により抽出した3,000人とし,調査員による面接調査方法によって行われたもので,有効回収数(率)は2,392人(79.7%)とされており,法務総合研究所が実施した「受刑者の意識調査」(以下「受刑者調査」という。)は,調査期間を同年10月1日から同月末までの1か月,調査対象を当該期間に全国の行刑施設(本所のみ74庁)で新入時教育を受けた受刑者のうち,調査を拒否する者及び病気などのため調査不能であった者を除く全員の2,678人とし,調査方法としては,所定の質問用紙(各質問に対し主として択一方式により回答を求めるもの)を対象受刑者に交付し,所定の記入を受けて(記入に際しては施設職員が立ち会って適宜質問の趣旨の説明等を行っている。),これを回収し,これとは別に,施設職員が分類調査票等の公的資料に基づき当該受刑者に関する調査票を作成し,この両者によることとしたもので,有効回収数(率)は2,648人(99.0%)となっており,また,法務総合研究所が実施した「受刑者家族の意識調査」(以下「受刑者の家族調査」という。)は,調査期間を同じ1か月,調査対象を当該期間に全国の保護観察所(50庁及び3支部)において受理した受刑者に係る環境調整事件全件についての引受人のうち,受刑者の親族(内縁の夫又は妻を含む。)で,当該受刑者が行刑施設に入所する前にこれと同居していた者に限定した813人とし,調査方法としては,担当保護司が当該引受人を訪問して所定の質問用紙(「受刑者調査」と同じ方式のもの)への記入を依頼した上,所要の記入を受けて,約7日後に,これを回収し,これとは別に,保護観察官が当該保護観察所の公的資料に基づき当該受刑者及び引受人に関する調査票を作成し,この両者によることとしたもので,有効回収数(率)は,727人(89.4%)となっている。
 本編は,これら三つの調査を柱として,犯罪及び犯罪者処遇についての国民の考え方ないし意識及び犯罪者の検挙・処罰・処遇に関与する司法関係機関等に対する国民の信頼と期待に焦点を絞り,これらの調査結果を紹介するとともに,必要に応じ,他の資料をも引用しながら,これらに分析・検討を加えて特集としたものである。第2章においては,国民が,窃盗や無銭飲食等の常習犯,少年による万引事犯,親殺し・子殺し,通常市民の暴力ざた等の身近に起こり得る犯罪を犯した者をどのように処遇すべきであると考えているかについて,これらの犯罪の実態等の紹介と調査結果等の分析を行い,これに関する国民の意識を探ることを試み,第3章では,「司法関係機関の活動に対する信頼と期待」との標題の下に,捜査,裁判における量刑,刑務所の役割及び保護司の役割について国民がどのように評価しているかに関し,それぞれについての実情と調査結果とを紹介するとともに,国民がこれらに寄せている信頼と期待の現状を分析・検討し,第4章においては,犯罪者処遇の在り方,出所者との接し方,犯罪報道における実名報道等についての調査結果に表れた国民の考え方を通じ,犯罪者に対する対応の在り方一般についての国民の意識を見ることとした。
 もとより,このような限定された調査により,犯罪及び犯罪者処遇についての国民の考え方ないし意識,あるいは,犯罪者の検挙・処罰・処遇に関与する司法関係機関等に対する国民の信頼と期待の内容等のすべてが隈なく明らかにされるものではなく,本編において言及するところも,広範囲にわたる刑事政策の分野についての国民の意識のうちのごく一部のものにすぎないと思われる。しかしながら,これでも,漠然として捉えどころのないように思われる国民の意識を探る上での一つの手掛かりともなり得ようかと期待している。