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 昭和44年版 犯罪白書 第一編/第五章/二 

二 事件の受理と処理

 昭和四二年一〇月八日に発生した第一次羽田事件以降,本年四月二八日の沖縄デー事件までの間に,全国の検察庁で受理した学生による集団暴力事件の被疑者数は,法務省刑事局の調査によれば,総計一〇,〇一一人(本年五月二〇日現在)におよんでいる。この種事件を受理した検察庁は,全国四九地検のうち三八地検におよんでいるが,最も受理人員の多いのは東京地検の七,九八四人で,総数の七九・八%を占めている。受理人員の推移については,前節のI-26図にみたとおりであるが,ちなみに,これらの事件のうち,受理人員五〇人以上の事件について,その具体的な受理の状況,さらに,処理の状況についてもみたのが,I-99表である。これによると,最も受理人員の多いのは,本年一月九日から一九日にかけて,数次にわたって事件の発生をみた東大事件の九八四人であり,これに次ぐのは,本年四月二八日の沖縄デー事件の九七九人で,これはまた,一日のうちに発生した事件の受理人員としては,最高の数字となっている。

I-99表 受理50人以上の主要学生集団暴力事件受理・処理人員(昭和44年5月20日現在)

 次に,この一〇,〇一一人の受理人員のうち,勾留請求されたのは,約六九%にあたる六,八八一人,勾留状の発付をみたものは三,九二二人で勾留請求人員の五七・一%である。その勾留認容率ともいうべき比率を平均したものの推移を,おおむね,三か月毎に分けてみたのが,I-27図であるが,これによると,昭和四二年一〇月から一二月に至る間の勾留認容率の平均は,六四・四%であったが,その後,急減して,昭和四三年七月から九月までの間の平均は,二一・〇%となっている。これは,勾留請求された被疑者のうち,ほぼ五人に四人の割合で,その請求が却下されていたわけである。これに続く同年一〇月から一二月までの間は,この種事件の受理が激増した時期であったが,勾留認容率も上昇を示して,五六・五%となり,本年一月から四月までの四か月間の平均は,七八・〇%となっている。なお,先のI-99表により,具体的な事件について,勾留認容率をみると,最もその比率の高いのが,昭和四三年一一月一二日に発生した,日大芸術学部捜索妨害事件の一〇〇・〇%で,本年二月七日から一二日にかけて発生した関学大事件の九八・二%,一月一九日発生の東大事件の九八・〇%がこれに次いでおり,一方,勾留認容率の最も低いのは,昭和四三年九月一二日発生の日大総決起集会デモ事件が七・一%,次いで,同月二二日発生の立川基地侵入事件が八・〇%となっている。

I-27図 学生集団事件の勾留認容率の推移(昭和42年10月〜44年4月)

 前述した一〇,〇一一人の被疑者の処理状況をみると,起訴された者が一,七七六人,不起訴が三,五一八人,家裁送致が一,六五四人で,起訴と不起訴の和の中に占める起訴の比率は,三三・五%である。
 ところで,この種事件により起訴された被告人の罪名は,どうなっているであろうか。I-100表は,主要事件の被告人一,六二七人の罪名を列挙したものである。同表は,数個の罪名により起訴された場合には,そのすべての罪名と,これに応ずる人員を重複して掲げているが,これによると,兇器準備集合と公務執行妨害を適用されたものが最も多く,総数の約六〇%の者が,この二つの罪名のいずれか,あるいは,その双方によって起訴されており,建造物侵入も,半数近くの者に適用されている。

I-100表 主要学生集団事件罪名別起訴人員(昭和44年5月20日現在)

 次に,この種事件により起訴された者のうち学生の占める割合をみると,一,一五四人中一,〇五一人,九一・一%となっている(法務省刑事局の調査による。)。所属大学は全部で一〇〇校におよんでいるが,起訴人員が三〇人以上の大学は一一校と,比較的特定の大学に集中している。また,これを国立,公立,私立に分けてみると,国立大学が四一校,起訴人員数が四三七人で学生総数に占める割合が四一・六%,公立大学が九校,起訴人員数三一人で二・九%,私立大学が五〇校,起訴人員が五八三人で五五・五%となっている。