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 昭和35年版 犯罪白書 第一編/第二章/三/2 

2 覚せい剤犯罪

(一) 覚せい剤犯罪の推移

 覚せい剤は,プロパミンまたはメチール・プロパミンとよばれる中枢性の興奮剤で,麻薬ではない。すでに,三〇年以上も前から,アメリカでは,ベンツェドリンの名で覚せい剤が使用され,つづいて,ドイツ,イギリスなどの国でもこれを使用し,わが国でも,ヒロポン,セドリン,ホスピタン,メチブロン,ネオアゴチンなどの名で発売されていた。その作用は大脳皮質の刺激による覚せい作用ばかりでなく,疲労感,倦怠,沈うつ感などを消散させて快感をもたらしたり,作業能力を増進させる効果のあるところから,精神科の臨床ばかりでなく,軍需工場における徹夜作業にもちいられ,とくに,前線では強制的に使用されていた。この軍需用として貯えられていたものが,戦後,まず,大量に放出されて,文士,芸能人,夜間従業者,接客婦などに愛好されるようになったが,当初は,まだ内服であった。ところが,戦後急速に流行した麻雀クラブやダンスホール,キャバレーなどに出入する人びとや,不良集団のあいだに本剤の使用が流行し,それにつれて注射薬も市販されるようになった。
 本剤の中毒患者は,わが国では,昭和二一年春頃から散発的にあらわれはじめたが,嗜好者は,その後,急速に増加している。このような覚せい剤の濫用は当局の注意をひき,昭和二三年七月には劇薬に指定され,ついで,昭和二四年一〇月には製造の全面的中止が勧告されたが,その濫用は増加の一途をたどった。そこで,参議院厚生委員会では,第一〇回国会で,覚せい剤禍の問題をとりあげ,取締りのための立法に着手し,昭和二六年法律第二五二号で「覚せい剤取締法」が公布され,同年七月三〇日から施行された。この法律は,覚せい剤が医療上の効用をもつ反面,その習慣性のため弊害をもたらす点が麻薬に似ているのにかんがみ,その内容において麻薬取締法に類似している。そして,昭和二九年六月二〇日の一部改正で,罰則が従来よりも強化された。精神衛生法の一部も改正され,覚せい剤の慢性中毒者を精神障害者とおなじにとりあつかうことになり,検挙取締とあわせて行政措置の万全を期した。覚せい剤取締法の制定にともない,覚せい剤の授受が地下にもぐるようになったとともに,その使用階層も,犯罪者や非行少年の集団に移っていった。また,覚せい剤を迎える地下市場は着々と拡大され,その密造事犯が跡をたたなかったため,その根源を断つべく,昭和三〇年法律第一七一号で覚せい剤取締法を改正し,覚せい剤製造原料のおもなものおよび製造途中の中間体のおもなものを指定して,これを取締の対象としたほか,さらに一段と罰則を強化して,この種の事犯の徹底的な検挙と処罰とが企てられた。
 覚せい剤に関係した犯罪は,およそ三種類に分けることができる。第一は,取締法違反による狭義の覚せい剤犯罪である。これは覚せい剤の密造,販売,所持などについての違反行為だから,かならずしも嗜癖や中毒に関係のない者もいる。第二は,覚せい剤の常用者のこれを入手するための犯罪で,利欲を動機とするものである。第三は,中毒性の精神障害にもとづいて罪を犯す場合で,いずれも嗜癖状態が原因となっている。覚せい剤の犯罪というと,一般にこれらが混同される傾向がある。ところで,覚せい剤常用者に多い犯罪は傷害罪で,暴行や恐喝がこれについでいる。これに反し,強姦や放火はいちじるしく少ない。
 矯正施設に収容されている受刑者や,保護少年の覚せい剤嗜癖に関するデータは,別の角度から犯罪や非行との関係を明らかにしてくれる。高峰博士は,昭和二五年春ごろから同二八年五月までのあいだに七,〇〇〇人の受刑者を調査し,その一三パーセントが覚せい剤の常用者であったと報告しているが,昭和二九年六月に,全国の刑務所,少年院,少年鑑別所の在所者について,覚せい剤の使用経験を一斉調査した結果,二五パーセントから三五パーセント,全国平均で二八パーセントの者がこれを使用した経験をもっていることが明らかにされた。

(二) 事犯の検挙と処理状況

 昭和二六年覚せい剤取締法が制定公布されてからの覚せい剤事犯の年次別検挙人員は,I-53表にみるとおり,逐年増加し,昭和二九年には頂点に達した。その後は急速に下降線をたどり,昭和三三年には,最盛期であった昭和二九年の〇・五パーセントに減少している。つぎに,I-54表によって,検察庁新受人員をみても,ほぼおなじ傾向が認められ,昭和二九年に五万人をこえた新規受理人員は,その後急激に減少し,昭和三三年には,わずか六〇九人となった。

I-53表 覚せい剤事犯検挙人員

I-54表 覚せい剤取締法違反の検察庁新受・起訴人員等

 さて,この表によって起訴率をみると,麻薬犯罪にくらべて一般に低く,公判請求率もはるかに低い。もっとも,昭和二九,三〇年には,六四パーセントの起訴率を示している。元来,覚せい剤犯罪は,麻薬犯罪にくらべれば一般に犯情が軽く,この両年には数万の事件を処理しているから,相当に厳重な処分基準といえよう。その後に起訴率の低下しているのは,犯情の重い事件が減少しているためであろう。違反の内容別人員を昭和三四年の統計によってみると,所持および譲渡譲受の禁止違反がその約九〇パーセントをしめ,製造禁止違反は一パーセントにもみたない。また,覚せい剤問題対策推進本部の調査によると,昭和三〇,三一,三二年の検挙者の年齢別構成は,各年度とも,二〇才以上三〇才未満の者がもっとも多く,五二パーセントから五七パーセントで,三〇才以上の計が残余の大部分をしめ,二〇才未満が四パーセントから七パーセントである。
 前記のとおり,麻薬関係法令違反事件は,昭和三二年以降ふたたび増加のきざしを示し,この種の事犯に対する不断の取締りと各般の施策との必要を示唆している。覚せい剤取締法違反事件が数年で激減したのは,欧米にもその例をみない目ざましい成果で,その害毒についての啓発宣伝や医療保護など各種の行政施策の遂行と,不断の厳重な取締りと適正な事件処理との総合によるものとされている。